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第11話:時刻表のメモ
朝の笹波駅は、通勤通学の人波がいったん途切れ、静けさを取り戻していた。
ホームの柱にもたれて立つのは、旅人風の女性。カーキ色のマウンテンパーカーに黒のリュック、足元は使い込まれたトレッキングシューズ。首にはカメラのストラップ、肩までの明るい栗色の髪は風で少し乱れている。
名前は村瀬七海(むらせ ななみ)、27歳。地図アプリより紙の地図が好きな、一人旅の愛好家だ。
ベンチに腰を下ろすと、座面に一枚の紙が貼りつくように置かれているのに気づく。
古びた手書きの時刻表のコピー。その隅に、青いボールペンで小さく書き込みがあった。
《11:42 乗ったら戻れない》
七海は腕時計を見た。現在11:35。あと7分。
「戻れないって、どこに?」とつぶやくが、周囲に答える人はいない。
好奇心が胸を押す。彼女はカメラをリュックにしまい、ベンチから立ち上がった。
やがてホームに響く接近音。銀色の車体が滑り込み、ドアが開く。
車内には誰もいない。空気はほんのり甘い匂いがして、外より暖かかった。
一歩踏み出しかけて、七海は足を止めた。
——「戻れない」という言葉が、旅行者の胸を高鳴らせることもあれば、凍らせることもある。
彼女は深呼吸し、ドアが閉まる瞬間にホームへ下がった。
電車は無人のまま、音もなく発車していく。
ベンチに戻ると、紙はもう消えていた。
七海は笑いながらカメラを取り出し、ホームの端から水色の空を一枚撮った。
「戻れなくてもいい景色は、今ここにある」