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きなこもち
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#サレ妻
都築七美
1,141
「水野翼と……会ったことある?」
奈緒の指先が、ストローに触れたままぴたりと止まった。
ほんの一瞬、目が見開かれる。
「……は?」
けれど次の瞬間には、眉を寄せて一花を見返していた。
「ないけど。なんで?」
「本当に?」
「本当って……」
奈緒の顔から、それまで浮かんでいた笑みが消えた。
「一花、私のこと疑ってるの?」
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ、どういうこと?」
思っていたより強い声に、一花は言葉を詰まらせた。
「一花のことストーカーして、挙げ句に家に火までつけた男と、私が会ってたって思ってるってこと?」
「違う。そう決めつけてるわけじゃないの。ただ……」
「ただ?」
一花は膝の上で握っていた手に力を込めた。ここまで聞いておいて、何も話さないわけにはいかない。
「この前、水野と面会したの」
「……え?」
奈緒の目がわずかに見開かれる。
「どうしても、聞きたいことがあって」
「一花から会いに行ったの?」
「うん」
奈緒はしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。
「それで? あいつに何か言われたから、私を疑ってるわけ?」
「……気になることがあったの」
「何を言われたの?」
問い返され、一花は奈緒の顔をじっと見つめた。
けれど、その表情から何かを読み取ることはできない。
「水野が、俊介の借金のことを知ってた」
「……それで?」
「私がそれで悩んでたことも。水野とは、話したことさえないのに」
奈緒の視線がわずかに揺れたような気がした。
けれど、それも自分が疑っているから、そう見えただけなのかもしれない。
「だからって、なんで私になるの?」
「それは……」
あの言葉が頭に浮かぶ。
――えらい。
けれど、それを口にすることはできなかった。
ただでさえ親友を疑っているのに、昔使っていた方言が同じだったからなどと言えば、自分でも馬鹿げているように思えてしまう。
「ごめん」
一花は視線を落とした。
「奈緒を犯人だって決めつけたいわけじゃない。ただ、どうして水野がそんなことを知ってるのか分からなくて……」
「だったら警察に聞けばいいじゃん」
「聞いてる。でも……」
「私に聞く必要ある?」
奈緒の声に、はっきりと苛立ちが滲んだ。
一花は何も返せなかった。奈緒の言うことはもっともだった。何の証拠もないまま、長年の親友にこんな問いをぶつけている。
「……今日はもう帰る」
「奈緒」
奈緒はバッグを手に取り、席を立った。
「ごめん。なんかもう、えらくなってきた」
一花の胸が、どくんと鳴った。
――えらい。
奈緒は自分がその言葉を口にしたことにも気づいていないようだった。
苛立ったままバッグを肩へかけ、一花から視線を逸らす。
「今、一花と普通に話せる気しない」
「待って。私……」
「一花が今、いろんなこと疑いたくなるくらい追い詰められてるのは分かるよ」
奈緒はそこで一度言葉を切った。
「でも、私まで疑われるのは……さすがに傷つく」
それだけ言い残し、奈緒は振り返ることなく店を出ていった。
一花は追いかけることができなかった。向かいの席には、半分以上残ったアイスコーヒーだけが置き去りになっている。
(……私、何してるんだろう)
高校時代からずっとそばにいてくれた親友だった。つらい時には話を聞いてくれて、火事のあとだって何度も心配してくれた。
そんな奈緒を、証拠もないまま疑った。
怒るのも当然だ。傷ついたと言われても、何も言い返せない。
それでも、一花の頭から離れないのは、奈緒が去り際に何気なく口にした言葉だった。
『なんかもう、えらくなってきた』
あまりにも自然だった。
昔と同じように、奈緒自身は何も気にしていない。
だからこそ、水野が使ったあの言葉が重なる。
『一花ちゃんはえらくても平気な顔する子なんでしょ?』
(……違う)
奈緒なわけがない。
(違うに決まってる)
何度もそう言い聞かせる。
けれど、必死に否定しようとしている自分自身が、もう奈緒を心の底から信じきれていないことを証明しているようだった。
数日後、一花は定期診察のため、形成外科を訪れていた。
診察を終えると、神崎がカルテを閉じる。
「傷の治りは順調です。新しくできた皮膚も、少しずつ安定してきています」
「ありがとうございます」
ほっとしたはずなのに、一花の声はどこか沈んでいた。
神崎はそんな様子に気づいたのか、少しだけ表情を曇らせる。
「何かありましたか?」
一花は迷った末、小さく頷いた。
「……友人に、聞いてみたんです」
「水野のことを?」
「はい」
膝の上で両手を組む。
「会ったことがあるかって聞いたら、ないって言ってました」
「そうですか」
「でも……怒って帰ってしまって」
一花は俯いた。
「当然ですよね。親友なのに、家に火をつけた犯人と会ってたんじゃないかなんて疑われたら」
あの日の奈緒の顔が浮かぶ。傷ついたような、怒ったような表情だった。
「私、ひどいことしたのかもしれません」
「それでも、疑問は残っている」
神崎の言葉に、一花は顔を上げた。
「……はい」
そう認めるだけで、胸が痛んだ。
「奈緒じゃないなら、それでいいんです。むしろ、そうであってほしい」
一花はゆっくりと言葉を選ぶ。
「でも……だったら、水野は誰から私のことを聞いたんだろうって。それがどうしても引っかかって」
神崎はしばらく黙って考えていた。
「では、そこを調べましょう」
「え?」
「奈緒さんが関わっていると決めつける必要はありません」
神崎の声は、いつもと変わらず落ち着いていた。
「水野にあなたの情報を与えた人物が、本当にいたのか。いたとしたら、それが誰なのか。まずはそこを事実から確認すればいい」
「事実から……」
「それなら、親友の方が無関係だった場合、そのことを確かめることにもなるでしょう」
一花は目を瞬いた。
奈緒を疑うために調べるのではない。
奈緒を疑わなくて済むように、確かめる。
そう考えると、胸にのしかかっていたものがほんの少しだけ軽くなった。
「ただし、ご自身だけで探るのはやめてください」
神崎の声が少し強くなる。
「もし本当に水野へ情報を与えた人間がいるなら、何をするか分かりません」
「じゃあ、どうすれば……」
神崎は腕時計へ視線を落とした。
「この後、時間はありますか?」
「え……はい」
「紹介したい人がいます」
コメント
1件
**寺島あおいです🤍** うわあ、ここで奈緒さんに直接ぶつけてしまったんですね…。一花の必死さと、奈緒さんが傷つくのも当然だなって思う気持ちが交錯して、胸がぎゅっとなりました。特に「えらい」という言葉が奈緒さんの口から出た瞬間の衝撃はぞっとしましたね。でも最後に神崎先生が「奈緒を疑わなくて済むように確かめる」と言い換えてくれて、少し救われました。この二人の信頼関係、壊れないでほしい…!続きが気になります。