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世に在りし日の夕暮れ時。
ある山の中を進むとどこまでも続いているような長い階段。
その階段を登ると鳥居の前で狛犬(こまいぬ)とたぬきがこちらを見つめている。まるでこの先の鳥居の中にいる何か見守っているかのように。
本殿の後ろに、大きな大きな椛の大木がある。その大木は渇きを潤すように、大空からじっとあなたを見つめていた。
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「薫、本当にお金は大丈夫か?」
玄関にて。僕が外に出るため、靴を履いていると父が話かけてきた。父の声は、どこか心配そうだ。
「大丈夫だよ」
「そんなこと言って、お札を見間違えて財布に入れたりしてないだろうな」
「そんなことあるわけないって! あはは!」
今日は一ヶ月前から計画していた一大イベントの日。ここ最近は勉強づけだったからこそ、僕は完璧に準備を整え、意気揚々と家を飛び出した。
「行ってらっしゃい」
という父の声に見送られ、電車を乗り継ぎ、目的地である県の駅に降り立つ。さらにバスに揺られ、最後はタクシーに乗り込んだ。タクシーの運転手は寡黙な人だったが、驚くほど博識だった。僕が問いかけると、この土地の古い伝承や名物、そして僕の目的地である「秘境の神社」についても詳しく教えてくれた。車窓に広がる山深い景色を眺めながら、僕は知識の深い彼との会話を大いに楽しんだ。ふと、父の言葉が脳裏をよぎる。まさかとは思いつつ、僕は財布の中を確認した。その瞬間、全身の血の気が引いた。
「はぁっ!」
そこに鎮座していたのは、最高位の福沢諭吉ではなく、野口英世。しかも枚数が足りない。「あの……すみません。お金が足りなくて……。申し訳ないんですが、このあたりで降ろしていただけませんか?」
「承知いたしました」
運転手は淡々と応じる。僕は申し訳なさでいっぱいになり、車を降りる際に精一杯の感謝を伝えた。表情を見ると、あまりに言い過ぎたのか、運転手は鬱陶しいやつをみるような表情をしていた。そして…
「ご利用ありがとうございました」
赤いラインの入ったタクシーが、霧の向こうへ走り去っていく。その後、歩いて行こうかとも考えたが、目的地までまだ距離があった。そうして結局、親に連絡して近くまで迎えにきてもらう羽目になった。案の定、駆けつけた父からは
「それ見たことか」と軽くどつかれたが、「一人で行きたいんだろ?せっかく来たんだから楽しんでこい」と一万円札を握らされた。僕は父からお金の負担をかけたくなかったため、こんなの要らないと否定したが、
「夕飯抜きにされたくないだろ?」
そう高圧的に満面の笑みで送り出す父のイゲンに怖気ずき、あっ、間違えた。そう笑う父に甘え、僕は再び目的地を目指した。
たどり着いたその神社は、まさに秘境だった。時刻は18時30分を過ぎていた。人気(ひとけ)の少ない境内であったが、他の参拝客が写り込まないよう工夫しながら、夢中でシャッターを切る。歩き回ってみつけたお気に入りのスポットでは、二十数分ほど何も考えずに景色を眺めた。日頃の疲れが、澄んだ空気の中に溶けていく。イレギュラーはあったが、当初の目的は達成したので、満足感のある休日だった。けれども、それからだった。そして、それは家に帰って尚も終わらなかった。背後から、じっとこちらを射抜くような「視線」を感じ始めたのは。僕をあざ笑うかのような、粘りつくような「笑っている視線」。そして、獲物を定めるかのような、鋭く、凍てつくような「冷たい視線」。この二つが合わさったような1つの視線が僕をじっと見つめていた。
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伝承
今は昔、ある山に「巳魈(みし)」という恐ろしい怪異がおった。
巳魈はかつて、その地を治めておった武家・五月雨家の当主を手にかけたという。その後も巳魈は、夜な夜な山中で獣のような奇声をあげては、里を荒らし回ったそうな。
そんな巳魈に里の人々が怯え、戸を閉ざして過ごしておったある時のこと。
一人の旅の陰陽師が現れ、激しい戦いの末に巳魈を一本の巨大な椛(もみじ)の木へと封じ込めた。
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陰陽師は、二度と巳魈が暴れぬよう、その木の傍らに小さな社を建て、「式神」とされる狛犬を据えて立ち去ったという。
また、不可解なことに五月雨家の家臣たちはその後、その社に「商売繁盛」を願って一体のたぬきの像を奉納した。「他を抜く」という縁起を担いだものだと言い伝えられているが、なぜ荒ぶる怪異が封じられた場所にたぬきを置いたのか、その真意を知る者は今や一人もおらぬ。
コメント
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読んでいただきありがとうございます!続きは5月5日までに、一気に2話公開する予定です。