「ええ、そうで、ございます、こちらの、貴公子様が、姫君様を……」
妙にかしこまりつつも、頬を緩ませる、橘が、貴公子様、貴公子様と、繰り返す。
「橘様、どうなされたのですか?」
「紗奈、わからぬのですかっ!こちらの、貴公子様ですよっ!」
橘は、守恵子の側にいる紗奈へ、なにやら、視線を送るのだが……。
「橘様、いったい、どうなされたのですか?」
常春《つねはる》も、追うように問うた。
「はああーー、何事です、この兄妹《きょうだい》ときたら!わからぬのですかっ、貴公子様と、守恵子様ですよ!?」
じれったそうに、橘は、言った。
「ありゃー、常春殿も、わからぬのか?女房殿は、その貴公子殿と、守恵子様が、夫婦になれば、ちょうど良いと言いたいのじゃよ!ワシには、わかるがのぉー。ん!!もしや、これは、夫婦の以心伝心なのかぁー!!!」
髭モジャが、弾けた。
「あらまあ!何てことを、お前様は言うのでしょうねぇー、でも、それも、良いかもしれませんねー!!」
ほほほ、と、橘は、何か、とり繕っている。ところが……。
「ほんとぉーー!橘様!!髭モジャったら、余計なこと考えてぇ!!」
紗奈は、やはり、なにもわかってないようで、だから、髭モジャなのよー、言っていいことと、悪いことがある!などと、怒っている。
「いや、わかってねぇーのは、紗奈、お前さんじゃーねぇーのか?っつーか、お前さん達兄妹が、すっとぼけてるから、髭モジャが、変わりに、言ったんだろが?」
斉時が、口を挟んで来た。
「おそれながら、斉時様、私と紗奈は、すっとぼけてなどおりませぬ。よっぽど、お宅の、秋時様の方が、すっとぼけておられますっ!」
「あーー!兄様!秋時!!秋時ですよーー!あやつ、琵琶法師の手下だったじゃないですかっ!!!斉時様!!どうするんです?!」
常春と、紗奈の追求に、ゴンと、一段と大きな音がして、斉時は、うおぉっと、呻いた。
「な、なんとっ!秋時があっっ!!」
守近だった。
今し方の、ゴンと鳴った一撃で、斉時を成敗し、
「なんたることーーーー!!!」
と、棒読み状態の台詞を吐いた。
「そ、それは、如何様な、つまり、その、秋時なる方が、御屋敷に、出入りして……」
貴公子、及び、薬院《やくいん》と、呼ばれる若者が、渋い顔をして、何か考えこんでいる。
「薬院様、どうされました?」
若者の、妙な気配に、紗奈が、声をかけた。
「あれ、そーゆーのは、わかるのかよ、紗奈」
何故か、性懲りもなく、再び口を出して来た斉時に向け、守近は、沓《くつ》を、振り下ろす。
それは、ゴン、ゴンと、一層大きな音を立て、斉時は、ひやっと、叫び頭を抱えてうずくまった。
「いやいや、失礼いたしました。いったい、何がおありなのでしょう……」
「あっはい、皆様は御存じないと思いますが、都では、下々の間で、おかしな香が、流行っており……その、香のせいで、施薬院《せやくいん》は、困りきっておるのです」
「……と、いうあなたは、施薬院の……」
守近が、若者の身元を探った。
「えっ、守近様、あんなに、守恵子様とくっつけようとしてたのに、身元を知らなかったのですか?!」
タマが、晴康《はるやす》の腕の中で、呟いた。
「いや、どこの誰かは、知らないけど、身のこなしとか、着る物とかで、おおよその位は、わかってると思うよ。じゃないと、橘様にしても、あんな、明け透けに、三文芝居は行わないだろう?」
ふーんと、タマは、わかったような、わからないような、返事をした。
一方、若者は、今の状態に気がついたのか、慌てて、平伏すると、守近へ身元を明かした。
「申し遅れました。わたしは、施薬院に仕える者。こちらの、御屋敷にて、火災で焼き出された皆を保護されていると、聞き及び、様子を伺いに参ったのです」
「ああ、それで、守恵子様を、……薬院様に、助けて頂いてよかった!」
紗奈が、安堵の息をつくのを、守近は、不思議そうに見た。
「うむ、守恵子の命の恩人が、施薬院に、お仕えと分かったが、紗奈のみならず、常春までも、何故、こちらの、貴公子殿と面識があるのだ?」
「あー、それは、薬院様だから
ですよー!」
守近は、意味がわからぬと、常春を見る。
「常春や、悪いが、紗奈の言いたいことを、通詞《つうやく》しておくれ」
「あ、はい、通詞、ですか」
吹き出しそうになるのを、必死で堪えながら、常春は、前にいる、若人の事を守近へ、説明した。
「……つまり、そなたは、施薬院の司《つかさ》。そして、非常に、謙遜深い人物であるがため、施薬院長という司職《つかさしょく》でありながらも、ふんぞり返るわけでもなく、駆け込んで来る下々の者を、身につけた医学の心得にて、その具合を診てやり、薬草《くすり》を、分け与えるがため、皆から、薬院様、薬院殿と、慕われている。のだな。と、いうことは、施薬院の監督は、代々、丹波氏の世襲職となるからして、そなたは、そちらのご子息か」
一気に言い終わった、守近へ、長いよーーっ!と、小さいが、しっかりとした声がして、しぃー!タマ、黙って、と、幼い声が続いた。
皆の気持ちを、代弁するそれは、笑いを誘ったが、一応、ここは大事な場面とばかりに、一同は、図ったように堪えている。
そんな、守近の、長々とした口上にも、若人は、怪訝な顔をする訳でもなく、丹波康頼《たんばのやすのり》でございます。と、改めて、頭を下げたのだった。
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