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きなこもち
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#サレ妻
都築七美
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夜になっても、一花の胸のざわつきは消えなかった。
昼間に会ったあの女が、いったい誰なのか。誰の指示で動いているのか。
夕方、榊から「分かったことがある」と連絡が入り、一花と神崎、奈緒は再び事務所に集まっていた。
デスクの上に置かれているのは、小型のボイスレコーダー。
榊が再生ボタンを押すと、昼間のカフェで交わされた会話が、わずかな雑音とともに流れ始めた。
『あなたとあの男が会っていたことなんて、誰も知らない。連絡先だって交換させていないんだから』
榊はしばらく黙って聞いていた。
やがて椅子の背にもたれ、感心とも呆れともつかない息を漏らす。
「……上手いな」
「え?」
一花が聞き返すと、榊はボイスレコーダーへ目を落とした。
「自分から固有名詞をほとんど出してない。水野のことも、ずっと『あの男』で通してる」
少し音声を巻き戻す。
『誰が一花を狙ってるんですか?』
『知らない方がいいわ』
「相手が名前を出しても、そこには乗らない。聞き返しもしないけど、自分の口からは言わない」
榊の指先が、デスクを軽く叩く。
「意識的だろうな」
「手慣れている、ということか」
神崎の問いに、榊は短く頷いた。
「録音される可能性まで考えて喋ってるのかもしれない」
奈緒は俯いたまま、何も言わなかった。
昼間、自分が追い詰められていく様子を改めて音声で聞くのは、さすがに堪えるのだろう。
榊は録音を止めた。
静かになった室内で、今度は奈緒へ視線を向ける。
「悪いけど、ここから先は席を外してもらえる?」
奈緒がゆっくり顔を上げた。
「……私には、聞かせられないってことですか?」
「そういうこと」
榊は悪びれる様子もなく答えた。
「悪いけど、親友を裏切るようなやつを、俺は信用しない」
榊は悪びれる様子もなく答えた。
その目だけが、すっと冷たくなる。
「今日協力してくれたことは助かった。でも、それとこれとは別だ」
いつものどこか軽い調子は消えていた。
淡々とした声には、取りつく島もない。
「こっちがこれから誰を調べるのか、何を掴んでるのか。それをあの女に横流しされても困るからな」
「そんなこと……しません」
「ま、今はそう言うに決まってるよな」
奈緒が唇を引き結ぶ。
助けを求めるように一花へ目を向けたが、一花は何も言わなかった。
以前なら、きっと庇っていた。
けれど今は、奈緒が傷ついた顔をしているからというだけで、その手を取ることはできない。
神崎がさっとスマートフォンを取り出した。
「タクシーを呼びます」
「……一人で帰れます」
「何かないとも限らないので、念のため今日はタクシーで帰ってください」
静かな声だったが、断らせるつもりはないようだった。
神崎の判断は早い。
あの女と接触した直後である以上、奈緒を一人で帰らせるのは避けたい。同時に、このまま建物の近くに残られれば、話を聞かれる可能性もある。
確実に帰宅させる意味でも、タクシーを使わせるのが一番だった。
ほどなくして、建物の前にタクシーが到着する。
神崎は奈緒とともに外へ出ると、彼女が車へ乗り込むまでその場に残った。
コメント
1件
榊の「固有名詞をほとんど出してない」って気づき、めちゃくちゃ好きです。会話の細部から相手の手練れ具合を読み取る嗅覚——この作品の魅力は、そういう「言わないこと」の読み解き方にあるんだなって改めて思いました。奈緒を外そうとする判断も、一花がかつてなら庇っただろう今の沈黙も、キャラの立ち位置が静かに変わってきてる感じがしてゾクゾクします。次が気になります。