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初めて繋がった日。
言い換えると俺が初めて蓮の役に立った日は、今日みたいにしとしとと湿った雨が降る、平日の夕刻のことだった。
前夜、蓮は日付が変わっても帰って来られなくて、深夜2時を過ぎた頃に漸く、その重たい玄関ドアから入って来ると、シャワーも浴びずに寝床へと飛び込んだ。
汗とアルコールの匂いが感知されたけれど、蓮はもう起き上がる気力もないようで、ベッドで横になっていた俺を抱き枕のように抱きしめ、朝まで一度も目を覚まさず深い眠りについた。
蓮は朝も大分遅い時間に目を覚ますと、まずはシャワーを浴びに行き、念入りに歯磨きをした。伸びかけていた無精髭も剃って、俺にこう言った。
「今から出掛けない?」
「外へ?……本気…?」
命令されたことは倫理や道徳に反すること以外は従順に従う俺たちだけれど、この提案にはいささか戸惑った。俺たちラブドールは言わば密やかな趣味みたいなもので、白昼堂々と外に連れ出される類のものではなかったからだ。
「外、行くの?」
念押しでもう一度聞くと、蓮はクローゼットの中から、楽に着られるフリーサイズのTシャツやスウェットを選んで俺に渡した。もともと着せられていたのは特徴のない長い白いシャツと下着だけ。着替えをするのはこれが初めてだった。
「ん。行こ。しょっぴー」
「わかった」
しょっぴーと言うのは、時々蓮が呼ぶ「翔太」の愛称のようなものだ。昔好きだった先輩をそう呼んでいたらしい。俺は素早く着替えると、蓮の後について行った。
「今日は一日オフなんだ。しょっぴーとこうして外を歩いてみたかった」
「そうか」
「生憎の天気だけどね」
一つの傘を二人で分け合うようにして歩く。
蓮の肩が俺の顔よりだいぶ高い位置にあって、見上げるように蓮を見ると、蓮は恥ずかしそうに笑った。
「でも、おかげでこうやって手を繋げる」
「そうか」
蓮の温もりが俺の手をつたって感じられる。体温は36.6度。熱があるわけではないようだ。昨日はアルコールの匂いもしたけれど、楽しくなかったのだろうか、蓮の顔色はあまり良くなかった。
「大丈夫?」
「えっ?」
蓮は俺を振り返ると、なんだか悲しそうな表情を見せた。悲しませるような単語や言い方をしてしまったのかと、思考を巡らせるが、わからない。泣きたくなるような顔が、ぶるぶるっと首を振った蓮の顔から消えると、蓮は、傘で俺たちを隠して、そっと口付けをした。
とても優しいその感触に、舌を入れるべきか迷ったけれど、場所は屋外だし、蓮とはまだ性行為をしたことがなかったからそのままにしておいた。
「ありがと」
嬉しそうにはにかむ蓮は、少し目線を下げて、俺を先導していく。しばらく歩くと駅に着き、二人分の切符を蓮は購入した。俺は蓮に倣って、人間のふりをして改札を通り抜けた。
目的地は、都心から離れた水族館だった。電車をいくつも乗り継ぎ、モノレールのような乗り物に乗って見る景色は、おそらく俺にとって初めての外の景色だった。
「すごい………」
薄暗い室内しか知らなかった俺にとって、外の空気や広々とした世界は、知識以上の情報で溢れていた。解析が追いつかない圧倒的な情報量。肌に心地よい風すら感じることができる。開放感とはこのことかと実体験として学んだ。
「蓮、すごいよ。ありがとう」
「ん。でも、もっと色んなものを翔太に見せたいんだ」
そう言って、海の中の世界だよ?と蓮は水族館の中へと俺を導いて行く。まるでトンネルのような、アーチ型の水槽の迫力に目が離せなかった。
俺は、ひとつひとつの海の生き物を知っている。検索すれば、それが何なのかがわかる。でもそれはこうして体験することとはまるで違っていた。蓮は次から次へと俺に知る喜びをもたらしてくれる。感動を与えようとしてくれる。きっとそれは、俺を人間と等しく扱おうとしてくれているのだと理解した。蓮に応えるには何が出来るだろう。俺は学ぶことを楽しみながら、蓮にフィットする何かを探すべく計算し続けていた。
「今日はさ、俺の我儘聞いてもらってもいい?」
滅多に言わないそんな言葉に少し計算が遅れた。蓮の頬が紅潮している。蓮の元へ来てから半月ほど。まだ、スキンシップもあまり求めて来ない蓮は俺に何を求めているんだろう…。ふと、脳が、正確に言うと、メインコンピューターの入っている頭部が誤作動を起こした感覚がした。少し変な感じだ。
「いいよ」
目の前の蓮を優先して、俺はそう答えていた。蓮が手を差し出す。
「手、繋いでもらってもいい?」
「なんだ、そんなこと…」
差し出された手を取ると、蓮は、そうじゃなくて、と言って、指と指の間に自分の指を絡めた。
「こうやって、繋ぐんだよ」
「わかった」
視線を逸らされる。
「あんま、見ないで」
「なぜ?」
「夢みたいだから、しょっぴーと。俺、照れてる」
「………」
照れる、という感情は知ってる。でも、ラブドールである俺相手に照れる必要なんかあるだろうか。最終的にセックスをするために俺は存在するのに。それでも蓮が疑似体験として俺と恋愛をしたい気持ちでいることは俺にも解って来ていたので、俺は蓮の恋人として振る舞うことにした。
「好きだよ、蓮」
「……っば!!!そういうの、いきなり言わないで」
蓮は顔を真っ赤にしながら怒っていた。
「ごめん。嫌だった?」
「やじゃない。行くよ!」
蓮はそういうと、強い力で俺をぐんぐんと引っ張って歩き出した。
コメント
7件
めめ可愛いっ!! 完結まで無理せず頑張ってください!!
こっちの🖤は耐性ないパターンなんだ可愛い🤭 完結まで頑張ってーーーー!!!!!