テラーノベル
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孤児院に着くと、夕暮れ時でちょうど子供たちが庭で無邪気に遊んでいた。
夕日に照らされたブランコが軋む音
鬼ごっこをする子供たちの甲高い笑い声
そして土の匂いが混じり合い
どこか懐かしいような、しかし今は場違いなような感覚が俺の心を包んだ。
その賑やかな声が、俺の心臓の鼓動を一層速くす
る。
胸の奥で不安と期待がせめぎ合い、足が鉛のように重く感じられた。
少し緊張しながらも、俺は意を決して玄関の方へ足を進めた。
すると、不意に背後から「あれ、楓ちゃん?」という聞き慣れた温かい声が聞こえた。
振り返ると、そこには将暉さんの優しい笑顔があった。
振り返ると、そこには将暉さんの優しい笑顔があった。
「あ……将暉さん…!」
俺は思わず声を上げた。
将暉さんは驚いたような表情を見せたが、すぐにその顔は柔らかいものに変わり俺に近づいてくる。
その眼差しは、いつもと変わらず、俺の心を落ち着かせてくれるようだった。
「急にここに来るなんてどうしたの?あ、巴くんの様子見に来た感じ?」
将暉さんの言葉に、俺は一瞬戸惑ったが、すぐに本題を切り出すことにした。
こんな場所で立ち話をするのも気が引けたが、一刻も早くさんのことを話したかった。
「いえ……少し将暉さんに用事があって」
俺はそう言って、将暉さんの目を見つめた。
「…俺に?」
将暉さんの目がわずかに見開かれ、何かを察したように俺の顔をじっと見つめた。
「はい、少し…仁さんのことで」
そう切り返すと、将暉さんは一瞬驚いた様子を見せた後、ふっと微笑んだ。
その微笑みは、俺の抱える悩みを全て見透かしているかのようだった。
「それなら…院内に入ってゆっくり話そう」
将暉さんのその言葉に、俺は安堵の息をついた。
まるで、重い荷物を下ろしたような感覚だった。
「はい」
俺は将暉さんの後について建物の中に入った。
孤児院の内部は、外の子供たちの元気な声とは対照的にどこか静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。
廊下には、子供たちの描いたらしい色鮮やかな絵が飾られ
壁には成長の記録を記した写真が貼られている。
その温かい空間に、俺の心は少しだけ和らいだ。
応接室に通され、将暉さんに促されるままソファに腰掛けて待っていると
すぐに将暉さんが飲み物を持ってやってきて、俺の対面の席に座った。
テーブルには温かい紅茶が置かれ、その湯気が静かに立ち上っていた。
将暉さんの顔は真剣そのもので、その視線は俺の心の奥底を探るようだった。
「それで…じんと何かあったってことかな?」
将暉さんの真っ直ぐな問いかけに、俺は喉の奥で言葉が詰まるのを感じた。
話す内容の重さに、どう切り出せばいいのか
言葉を選ぶのに時間がかかった。
しかし、ここで話さなければならないという強い決意が俺の背中を押した。
少し躊躇したものの、意を決して口を開いた。
「あの…実は──」
俺は、以前母親から聞かされた話が事実だったこと
兄が俺を裏切っていたこと
ヤクザ嫌いの兄に仁さんの正体がバレてしまったこと
そして元ヤクザであるさんと俺が付き合っていることをカミングアウトした途端
兄から「別れる」と強く言われたこと。
その全てを仁さんに泣きながら相談した結果
「お互いのために」と、仁さんから別れを告げられてしまったことまで、事細かに説明した。
言葉にするたびに、胸の奥が締め付けられるような痛みが走り
声が震えるのを抑えられなかった。
将暉さんは、俺の言葉を一言も聞き漏らすまいと、真剣な表情で耳を傾けてくれた。
「……ということなんです」
俺が話し終えると、応接室には重い沈黙が流れた。
将暉さんは俺の言葉を一つ一つ噛みしめるように聞き、深く考え込んでいるようだった。
その表情は、悲しみと、そして何かを決意したような、複雑なものだった。
「なるほどね……」
将暉さんはそう呟き、顎に手を当てて少し考えたあと
ゆっくりと口を開いた。
「楓ちゃんはじんのこと知りたいと思う?」
将暉さんの突然の問いかけに、俺は「え?」と戸惑いの声を上げた。
その質問の意図が、一瞬掴めなかった。
「お兄さんにも聞かれたんでしょ?前科があるかもとか、もしかしたら人殺してるかもしれないって」
将暉さんの言葉は、俺の心の奥底に触れるものだった。
兄から突きつけられた言葉は、確かに俺の心を揺さぶった。
「それは……知りたい、です」
俺は迷わず答えた。
知りたい、その一心だった。
「じんが命の恩人だから?それとも興味本位?」
将暉さんの言葉と視線は、普段の温かさとは異なり、まるで俺の心を刺し貫くような鋭さを持っていた。
その威圧感に、俺は一瞬怯んだが
それでも逃げることなく、将暉さんの目を真っ直ぐに見つめ返して改めて自分の思いを口にした。
「そんなんじゃないです、俺は…仁さんの最後の表情が、どうしても気掛かりなんです」
俺の言葉に、将暉さんの視線から威圧感が消えていくのを感じた。
その表情は、再び優しいものへと変わっていた。
将暉さんの顔に、わずかな安堵の色が浮かんだように見えた。
「どういうこと、楓ちゃんに嫌な顔でもしたの?」
「そうじゃなくて……仁さんって、たまに凄く苦しそうな顔をするっていうか…」
「昨日も、俺が兄さんのこと話したら…俺のせいで苦しませてごめんなって、仁さんは悪くないのに……俺が弱音吐かないで、仁さんのことをちゃんと兄さんに紹介したいって言ってれば、あんなに苦しそうな顔させずに済んだかもしれない」
「俺がちゃんと話していれば、仁さんにあんな顔させて、別れることもなかったかもしれないのにって……」
俺は、仁さんが見せたあの苦しそうな表情を思い出し、胸が締め付けられる思いだった。
仁さんの瞳に浮かんだ
言葉にならないほどの深い悲しみと諦めが、今も鮮明に俺の脳裏に焼き付いている。
「………」
俺が話している間、将暉さんはずっと俺の目を見つめていた。
その瞳は、俺の心の全てを見透かしているようで、少し恐怖心を抱きつつも俺は言葉を続けた。
全てを正直に話す覚悟だった。
「俺、兄さんの言う通り、仁さんの過去なんてなにひとつ知らないし、以前なら…仁さんの心に土足で踏み込んでいいのかと躊躇してました」
これまでは、仁さんの過去に触れることを恐れていた。
彼の領域に踏み込むことが、彼を傷つけるのではないかと。
いいや、どんな過去を持っていても自分がそれを偏見を持たずに心から受け入れる事が出来るのか
という、恐さもあったのかもしれない。
「それでも、仁さんにあんな顔させたくなかった、だからちゃんと仁さんと話し合って、兄さんにもちゃんと仁さんのことを、俺達のことを認めて欲しい」
それでも、もう今はなにかに怯えている場合じゃない。
仁さんの苦しむ顔を見るくらいなら、どんな困難にも立ち向かう。
その気しかなかったんだ。
「仁さんと生きてる世界が違うなんて、分かってますけど、分かってたつもりでした」
「けど……俺は仁さんが好きなんです、元ヤクザだとかどうでもよくなるぐらいに。仁さんは俺の光なんです、独りじゃ気づけなかったことも仁さんは気付かせてくれて、いつも俺のことを考えてくれてた」
「なのにまだ、俺は仁さんに愛言葉のひとつも言えていないのに、このまま仁さんと別れるなんてできないんです」
「…俺は、あの人に伝えたいことが、聞きたいことが山ほどあるんです」
俺は、仁さんへの溢れるほどの思いを将暉さんにぶつけた。
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