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第7話「帰れないツバメ」
春と秋の境目が曖昧な、しとしと雨の日。
風間琴葉は帰宅途中、アパートの階段下で誰かがうずくまっているのを見つけた。
シャツにネイビーのジャケット。
濡れた黒髪が前に垂れ、まつ毛の長い少年が傘も持たずにしゃがんでいる。
どこか幼く、でも背は意外と高い。肌は薄くて冷たそうだった。
「……だいじょうぶ?」
声をかけると、少年は顔を上げた。
切れ長の瞳、目尻がすこし上がっていて、どことなく人懐っこい雰囲気。
けれど表情には、明るさと不安が混ざっていた。
「うん、雨宿り。ここ、安全そうだったから」
「このままだと風邪ひくよ。……うち、来る?」
その一言で、彼はあっさりと琴葉の部屋に上がり込んできた。
温かいタオルを渡しながら、琴葉は訊く。
「ねぇ、あなた……もしかして、ツバメ?」
少年は目を伏せて、こくりとうなずいた。
「うん。ツバメ。本当はもう、南に行くはずだったんだけど、なんか、途中で……飛び方、忘れたみたいで」
「飛び方を……?」
「高く飛ぶの、こわくなっちゃって。だからここに降りた」
彼は濡れた羽根のようなジャケットを脱ぎ、ソファにすとんと座った。
細い手首、どこか頼りない姿勢。それでも部屋の中をきょろきょろと眺める様子は、まるで自分の居場所を探している子どものようだった。
「ここ、巣にしてもいい?」
「……巣?」
「うん。少しだけ。君がいて、あったかくて、飛ばなくても怒られない場所」
琴葉は笑ってうなずいた。
「いいよ。代わりに、ちゃんと朝ごはん食べて、天井の隅に巣は作らないでね」
ツバメの青年は、照れくさそうに笑った。
その笑顔は、空の高みよりずっと近くにあった。