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中学二年の一学期、窓側に座る隣の席の男子の名前が「西岡迅」だった。二年生になる時のクラス替えで、初めて顔を合わせた。
彼が控えめで大人しい人だったこともあって、私たちの距離はなかなか縮まらず、普段雑談を交わし合うこともなかった。せっかく隣の席同士なのだから、少しずつ打ち解けていきたいものだと思っていたが、間もなく夏休みに入るという頃に、彼は転校して行った。
それきり会うこともなかった彼と、十数年ぶりに再会するとは思っていなかった。私は改めて彼を見て、それから首を傾げた。苗字が違っているし、現在の彼と中学時代の彼の印象とがどうも一致しない。私は彼に疑いの目を向けた。
「本当に、あの『西岡迅君』なんですか?私が記憶している西岡君と今のあなた、同一人物には見えないんですけど。まさか私を騙そうとしているんじゃないですよね……」
「騙すだなんて、そんなことして何の意味があるの」
塚本は苦笑いを浮かべながらも、きっぱりと言う。
「西岡で間違いないよ。ただし、それは旧姓だけどね」
「旧姓?」
その言葉が嘘か真かを見極めるために、私は彼の顔を凝視する。
「顔が違って見えるのは、あれからもう十数年がたって大人になったわけだし、あの頃の俺は前髪を下ろして黒の太いフレームの眼鏡をかけてた。おまけにいつもうつむきがちだったし、遠野さんとは会話らしい会話をしたことがなかったしね。だけどよく見てみて」
言いながら彼は私の前に顔を近づける。
「どう?」
「何となく、そんな感じもしないでもないというか……」
当時の彼にはなかった積極さにどぎまぎしながら、私はその綺麗な顔から目を逸らし体を引いた。
「どうしたら信じてもらえるかな。免許証は持っていないし、社員証も会社なんだよな……」
彼は困った顔をして腕を組んだ。しかしその表情の中には、私の反応を楽しんでいるかのような色が見え隠れしていた。
それに気づいて癪に障った私は、彼にいくつかの質問を投げかけてみることを思いついた。クラスメイトだったというのなら、それらに全部答えられるはずだ。
「もしも本当に西岡君だというなら、中二の時の担任の先生の名前、覚えてますよね?」
「石黒先生のこと?美術部の顧問だった、背の高い男の先生でしょ」
すぐに答えが返って来た。彼が間違うことを期待していたわけではなかったが、なんだか負けたような気分になって、私はくっと唇を噛む。
「当たり、ですね。それじゃあ、その時のクラス委員長だった人の名前は?」
「えぇと、確か、工藤賢子さんじゃなかったかな?陸上部の子で、ショートカットのボーイッシュな感じの子だよね」
「そ、それも合ってますね。じゃ、じゃあ、隣の四組の担任の先生のことは覚えてます?」
「四組っていうと、鈴木順子先生だよね。確か合唱部の顧問やってたような気がするけど」
「当たってるわ……」
私は瞬きを繰り返しながら、彼の顔をしげしげと見た。
「本当に?塚本さんは西岡君と同一人物なんですか?」
「そうだよ。そろそろ信じてくれた?」
「卒アルでも見れば、完全に信じられるかもしれないですけど……。ま、とりあえずは信じます。でも、そっか。そうだとすると、私……」
私ははあっと大きなため息をついて、両手で顔を覆う。
「気まずすぎます……。だって、ずっと感じの悪い態度を……」
塚本は愉快そうにくすくすと笑っている。
「俺のこと、だいぶ警戒してたもんね」
「あれは警戒というより、あなたが馴れ馴れしかったから、それで。……あっ!」
つい本音が出てしまい、私は慌てて口を閉じた。
彼は目を見開き、その後すぐにあははと声を上げて笑う。
「そんなに距離感おかしかった?確かに、冷静になって思い返せば、初対面の人に対する接し方じゃなかったかも。ごめんね。俺、実は店の前で会って話した時から、遠野さんだってことに気づいていたんだ。だから嬉しくなって、自分でも知らず知らずのうちに、舞い上がっていたのかもしれない。あの時に、クラスメイトだったってことを、早く言ってしまえば良かったんだよね。だけど、ちょっとした悪戯心が起きてしまって、遠野さんはいつ気づくんだろうって、わくわくしながら様子を見てた。思い出してもらえたら、連絡先を聞こうと思ってた。だけど、あの時の遠野さんはあまりにも警戒心丸出しで、結局そのことを言いそびれてしまったし、連絡先も聞き損ねた。でも、同じビル内で働いているんなら、すぐにまた会えるはずだと楽観的に考えてた。実際、それは考えが甘かったみたいで、なかなか会えなかった。これはもう、なけなしの伝手をたどって、中学時代の遠野さんの友達に連絡をつけようか、なんてことを思い始めていたところだったんだ。だから、この前も今日も、偶然にも飲み屋で会えたのは、すごい奇跡だと思ってる。今の今まで、遠野さんが俺のことを思い出さなかったっていうのも、奇跡と言えば奇跡だけどね」
最後の方のセリフを口にする彼の口調は、どこか拗ねて聞こえた。
「だ、だって、中学の頃は、西岡君とはほとんど絡まなかったと思うから……」
「俺ってそんなに影が薄かったかな」
「影が薄いとかそういうのじゃなくて……。私たちってろくに話さなかったでしょ?西岡君はとにかく控えめで、あんな風に喋る人じゃなかったじゃないですか。だから……」
「それには理由があったんだけどね」
「理由、ですか?」
首を傾げる私に、塚本はにこりと笑ってみせる。
「それについては、今度教えてあげるよ。それより遠野さん、その丁寧な話し方、もうやめない?俺たち、同い年の元同級生なんだよ?」
「あ、あぁ……。それもそうね」
戸惑いながらも、彼に言われた通り、私は普段使いの口調に改める。
彼の話を聞く中で気になったことを質問しようとして、いったん口を閉じる。彼が西岡であることが分かった今、どちらの名前で呼ぼうか少し迷ったのだ。しかし、ひとまずは昔の「西岡」と呼ぶことに決める。
「ところで、西岡君は結婚してるの?」
「どうしてそう思うの?もしかして俺のこと、口説こうとしてる?」
「そ、そんなんじゃないわ。だって、さっき『西岡』は旧姓だって言っていたでしょ?結婚して、奥さんの苗字なんかを名乗ってるのかな、って思ったから」
彼はあははと笑う。
「まさかそんな風に思われるとはね。でも違うよ。俺、中二の一学期で転校しただろ?あれは両親が離婚したからなんだ。その時俺は母に引き取られたんだけど、それ以来、母方の姓を名乗ることになったんだ」
「ご、ごめんなさい。無神経なこと聞いちゃったわ……」
余計なことを訊ねてしまったと後悔した。そういう事情があったのなら、「塚本」と呼んだ方が良さそうだ。
しかし彼は、そんなことはたいしたことではないと言わんばかりに笑顔を見せる。
「別に構わないよ。もう昔の話なんだから。遠野さんがそんな顔をする必要はないよ」
「う、うん……」
塚本に頷きはしたが、申し訳なかったという気持ちで胸がいっぱいになる。
表情を曇らせた私の気分を変えるかのように、彼は明るく言う。
「さて、そろそろ移動しても大丈夫そう?家まで送るよ」
「い、いえっ。もう本当に大丈夫だから」
「何度か言ったと思うけど、俺のマンションも遠野さんが帰る方向と同じなんだ。だから、もし遠慮してるんなら、その必要は全然ないから」
そう言われては、押して別々に帰りましょうとは言いづらい。彼の素性も知れたことだしと自分を納得させて、私はこくりと頷く。
「そういうことなら……」
「よし。あ、そのペットボトル、持つよ」
「ありがとう。でもバッグに入るから大丈夫」
「そう?じゃ、行こうか」
にこりと笑って彼は立ち上がる。
それに続いて、私もまたベンチから立ち上がった。
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