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お前さん!よしとくれよ、その上目使い。あーー、新橋の芸者に入れ込んだ時も、おなじ顔して平謝りだったねぇ。
それにしてもさ……。
菊子って、誰だい。え?言わせておけ?そうは言うものの、だんだんひどくなっているじゃあないかい?
この遊亀楼《ゆうきろう》の看板花魁があのザマだよ。
は?うちの別宅で養生させるかって?お前さん何言ってるんだい。
近頃人権やらいう物を持ち出してくる輩もいるから、邪険に出来ない?
そうなのかい?そうなら、なおさら、今のまま、見世《みせ》の布団部屋に押し込めておくのはまずいんじゃないのかい?今はまだ静かだけど、これからどうなるか……。
だろう?あたしゃー、それなりの病院送りが一番だと思うよ。本人も、入院しているつもりでいるんだ。ちょうどいいだろう?
ここは、見栄も外聞も捨ててしまうのが、本人のため、いや、あたしらのためじゃないのかい?
いつまでも、客に、藤乃《ふじの》は臥せっておりまして……なんて言い訳が通るわけがない。
あーー、はいはい、確かに臥せっておりますよ。だけどね、お前さん。藤乃は、もうおかしくなっちまってんだよ。
ここは、余計な噂が立つ前に手を打たないと、藤乃の客どころか、見世からまでも、客足が遠のくことになる。
見世の為にもなんとかしないとね。お前さんはここの主《あるじ》だ。もっと、しっかりしてくれなきゃ。
……おや、遣手《やりて》のトメじゃないかい。立ち聞きかい?
は?食事?藤乃へ……。
そうかい、そりゃーご苦労さま。
なんだい?何かいいたそうだねぇ。
え?食事を運ぶのを辞めたい?藤乃付きの禿にでもやらせばどうかだって?
ははん、トメ、お前もあの狂言じみた会話につきあわされているんだね?
まあ、わけのわからないこと言われちゃ、どこまで合わせばよいのやらと、惑う気持ちも出てくるだろう。
は?お前が看護婦?
じゃあ、妙に懐いているのは、お前のことだったのかい。中庭で散歩をしたとか言っていたけれど、まさか、お前、藤乃を表へ出したりはしてないだろうね?
ははは、冗談だよ。ここには、中庭なんてありゃあしない。客間から坪庭は見えるけれど、それだけさ。
分かっているよ、藤乃の言っていることはすべて想像、妄想ってやつだって。それも、かなり病的なね……。わかっちゃいるけど、あたしも、女将としてどうすりゃいいのか……。
ああ、そうだね、もっと早く気がついていたら、何か事態は変わっていたかもしれない。藤乃だって、少々臥せってましたで、見世に復帰できていたろうよ。
ところが、今のあれじゃあ……もう、だめだろうね……。
お前さんも、そう思って、ビスケットや、キャラメルなんぞで機嫌をとっているんだろう?
そんな子供だまししか、藤乃には、もう通用しなくなったのかねぇ。
悪酔いした客にも、ピシャリと啖呵切っては、男衆がなだめに入るきっぷの良さだったのに。
今じゃあ、ふふふ。だよ。おじ様、おば様、菊子は元気になりましたのよ。と、きたもんだ。
元気になったのなら、太客をもっと捕まえて欲しいもんだよ。
ああ、そんな事言ってもしかたない。あの男をうっかり信用してしまったのが、いけなかったのかねぇ。
トメ、お前にもあの男の本性はわからなかったか。
いや、あたしらが、金に目がくらんでしまったのが、いけなかったのかねぇ。
よりにもよっって、あんな若造成金の言うことを信じてしまって。
藤乃の身請け話を受けてしまったのが運のつきだったのかもしれないねぇ。
それにしても、あの酒井という男、まさか、黒松楼さんの女郎と雲隠れしちまうなんて。えらいご法度やってくれたんだ。
うちの面子も、黒松さんところの面子も、丸つぶれ。吉原に出入り禁止どころの騒ぎじゃないよ。
ああ、そうだろうね。トメ。
あちらさんは足抜けだ。酒井と連れ立って逃げた女郎を探し回っているのも当然だろうよ。
さて、お前さん、それに、トメ。うちは、どうすりゃいいんだか。酒井に責任取らせるかい?藤乃が、ああなってしまったんだよ?
まあ、惚れた男と身請け寸前まで行って、他の見世、それも自分より格下の女と逃げられたなら、どうにかなるのもわかるがね、あそこまで行ってしまったら……黒松さんと相談するのものねぇ。
そ、そうだ。廊下で立ち話もなんだ。お前さん、これからのことは場所を移して話そうじゃないか。