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征也の車がすっかり見えなくなって、私は深々とため息をついた。すでに中身が温んでしまったテイクアウトカップを両手で包み込み、ぼそりとつぶやく。
「ほんとに終わったんだな……」
彼の存在と彼への想いは、私の中で非常に大きな部分を占めていた。だから、今を最後に、私の未来と征也の未来が重なることはなくなったと思うと、寂しくて切ない。
けれどそれと同じくらい、あるいはそれ以上に、彼への想いをようやく本人に伝えることができて良かったと思ってもいた。こんな風に思えるのは、返ってくる彼の答えを分かっていた上での告白だったことに加え、この恋に関わる全ての涙を、すでに流しきっていたからかもしれない。
「きっといつか、征也君を好きだったことを、懐かしいと思える日が来るはずよね」
あえて声に出してつぶやき、自分を励ます。それから、もう部屋に行こうとエントランスに向かって回れ右をしたが、不意に背後から声をかけられて驚く。
「遠野さん、こんばんは」
「塚本さん?どうしてここにいるの?」
訊ねてからすぐに色々と思い出した。
「塚本さんのマンションはこの先だったわね。もしかして映画の帰り?」
「うん、その後軽く飲んできたんだ。まさか会えるとは思わなかったよ」
マンションの灯りに浮かび上がった塚本の顔はにこやかだ。彼は私の方へと歩み寄って来ると早速こんな質問をする。
「ところで今日って、合コンだったんだよね。二次会は行かなかったの?」
彼がそのことを知っているのは、何日か前に電話で話したからだ。映画に行かないかと誘われた日がちょうどこの日と重なっていて、行けない理由を問われた時、わざわざ言う必要はないのにうっかり口を滑らせてしまった。
「一次会で帰ってきたわ。私に合コンは合わないみたい」
苦笑しながら答える私に、塚本はなぜかほっとしたように笑う。
「ということは、いい出会いはなかったってことかな」
「恋愛的な意味で言えば、そうね。特に心惹かれる出会いはなかったかな。結局、偶然そこに来ていた知り合いと、今回私を誘った友達とばかり話してたの。だから私にとっては、普通の飲み会みたいな感じだったというか」
「知り合い?」
穏やかだった塚本の表情が動いた。彼は真顔で私の顔をのぞき込む。
「知り合いって、男?どういう関係の人?会社関係の人とか?それとも学生時代の?」
塚本は立て続けに質問を投げかけて来た。
そのことに戸惑いつつ、別段隠すことでもないからと私は答える。
「よく行っていたカフェの店員さんよ。大学の先輩にあたる人なんだけど、実は私の友達の彼氏とゼミが一緒だったってことが今日判明してね」
「ふぅん……」
塚本の声に不機嫌さがにじみ、私は戸惑う。
「私、何か変なこと言ったかな」
「どうして?」
「どうして、って……。だって、塚本さん、不機嫌そうだから。しかも何か言いたそうな顔してるし。気になるわ」
私は彼をじっと見つめた。
彼はその目に負けたようにふうっと息を吐き出し、のろのろと私の手元に視線を向けた。
「手に持ってるカップって、あの店のだよね。前に友達と待ち合せているからとか言って入っていった、大通り沿いにある店。確か名前は『カルム・カフェ』だったかな」
「確かに寄って来たけど……。このロゴで分かったの?よく覚えていたね」
「今日会った、知り合いだっていうカフェの店員さんは、そこの人?」
「そうよ」
「ふぅん。カフェはその人と一緒に行って来たんだ」
「私は帰るって言ったんだけどね。断り切れなかったの」
「さっきの車もその人の?」
「あれは、違うわ」
「じゃあ、誰?」
「誰って……」
どうしてそんなに次々と質問してくるのかと、私は戸惑った。先程の不機嫌な顔もそうだが、塚本の態度に違和感を覚えながら、私は短く答える。
「知り合いよ」
「どんな?」
「どんなって……。さっきからずっと質問ばかりなのね」
私の言葉に彼は一瞬息を飲み、それから表情を歪めて眉根を寄せた。
「実は俺、遠野さんが車を降りたところを見かけてさ。ちなみに誤解のないように言っておくけど、まったくの偶然だからね。それで、車が行ってから声をかけようと思ってたんだ。車を見送る遠野さんの様子はどこか寂しそうで、頼りなく見えた。そんなところを見てしまって気になったし、その原因を知りたいって思った」
どうせなら声をかけずに通り過ぎてもらった方が良かったのにと、そんな場面を見られていたことに気まずさを感じる。
「私、帰るね。おやすみなさい」
私はそそくさとエントランスに向かおうとしたが、背中に塚本の声が飛んできた。
「もしかして、この前言っていた片思いの人に送ってきてもらったの?」
私は足を止めて塚本を振り返る。
「とうしてそう思うの?」
「さっきも言ったけど、車を降りた後の遠野さんの様子が変だった。それに、だいぶ酔っぱらってたあの日、遠野さんが片想いの相手のことをカフェ店員だって言ってたことを思い出した。カフェに寄って来たって言ってたから、それでなんとなく、もしかしたらって思ったんだ」
私はため息をつき、眉根を寄せながら塚本を見る。
「だから、何?」
「失恋相手に送ってもらってきたってことなのかな」
塚本の言葉は、私の耳に皮肉げに届いた。不愉快な気分となった私はぷいっと顔を背け、する必要のない弁解を口にする。
「最初は断ったわ。だけど送るって強く言われて、それで送ってもらっただけよ。もともと過保護気味な所のある人だから。第一、塚本さんには関係ないでしょ」
素っ気なく答える私に、塚本は即座に反応する。
「関係なくないよ」
「え?」
「遠野さんが心配なんだ」
「心配?」
彼の真っすぐな視線にどきりとし、少し前にも、こんな感覚を覚えたことがあったと思い出す。そんなばかなと否定して、胸の中で聞こえる小さな鼓動から目を背けた。
「あの日、遠野さんがあそこまでひどく酔っぱらったのは、その人に失恋したことが相当ショックだったせいだろ?あれからまだそんなに時間が経っていないのに、そんな風に優しくされて辛くないの?その気持ちを抱えたまま、部屋で一人で泣いたりしない?大丈夫?」
優しい塚本の言葉が、胸の中に温かく染み入った。素っ気ない態度を取ってしまったことを反省し、私は足下に視線を落とす。
「心配してくれてありがとう。だけど、もう大丈夫なの。だって、本当の意味でちゃんと失恋できたから。このまま彼への想いを心の中に留めたままじゃ、やっぱり前に進めないと思って、今夜改めて自分の気持ちを彼に伝えたんだ。車を降りた時の私の様子が違って見えたのは、そういう状況だったからよ」
私にかける言葉を探してでもいるのか、彼は眉間にしわを寄せている。
私は顔を上げてそんな彼に微笑む。
「今日は映画に付き合えなくてごめんね。良かったらまた誘って」
塚本は一瞬考える素振りを見せた後、眉間を緩めて笑顔を浮かべた。
「『良かったら』じゃなくて、これからはもっと積極的に誘うことにするよ」
「え?」
「近いうちに、今日できなかった分のデートしようね」
「デ、デートって」
さらりと流せばいいのに、私は反応に困って目を泳がせた。
そんな私に笑みを向けて、塚本は軽く手を挙げる。
「じゃあ、おやすみ」
「う、うん。おやすみなさい」
今一度笑顔を見せて、彼は私の前から遠ざかっていく。軽やかに見えるその後ろ姿から、なぜか私はいつまでも目が離せなかった。