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熱くなる目頭を無理やり押さえつけるように、一度顔を伏せる。
脳裏には、父のあの傲慢な嘲笑がこびりついている。
『お前たちが一番望んだもの』
私の望みが、母との偽りの再会に溺れること?
舐めないで。
私が望んでいるのは──
(父への復讐。ダイキリとアルベルトとの共闘。そして、この世界の真実を暴くことよ!)
私は顔を上げた。
「ごめんなさい……でも行かなくてはいけないの。ごめん、お母さん」
声はまだ細かったが、その芯には鋼の意志があった。
母が悲しげに眉を下げ、私を追おうとする。
「なんの話をしてるの……?」
その困惑の表情に胸が締め付けられる。
それでも、私はゆっくりと首を振った。
「絶対に、絶対にお母さんの仇を取るから。もう少しだけ、天国で待ってて……。いや、私はもう、そっち側には行けないかもしれないわね…悪役令嬢以上に、人の心がないことをしてしまったんだから」
その瞬間、空間全体にヒビが入るような、鋭い音が響いた。
柔らかな西日が歪み始め、居間の机や椅子が陽炎のように揺らめく。
父の魔法が揺らいでいる。
私の精神が、この「幸福」を拒絶し、抵抗を始めた証拠だ。
母の、不安に満ちた顔。
本当なら、今すぐ駆け寄ってその不安を拭ってあげたい。
けれど、今はできない。
この温かい欺瞞の世界から抜け出し、本当の敵を討ち倒さなければ、私は私を許せない。
(父は……どこにいる?)
屋敷の中に父の気配はない。
あの男は今頃、外側で私たちがこの夢に溺れて死ぬのを、愉快そうに眺めているのだろう。
私は一度、深く息を吸い込んだ。
もし、本当の母が生きていたなら、きっと「無茶はやめなさい」と心配して止めるだろう。
けれど、現実は無慈悲だった。
母はもういない。
それは、幼い頃に血を吐くような思いで理解した事実だ。
あれを悪い夢だと思い込もうとしたこともあったけれど、現実から逃げても母は戻らなかった。
なら、私は今、こんな偽物の愛に惑わされてはいけない。
「お母さん……ありがとう。幸せな夢を見せてくれて」
私は深く頭を下げた。
その拍子に、ぽたりと床に雫が落ちた。
これは私の涙じゃない。
悲しみでもない。
戦うための、覚悟の重みだ。
再び顔を上げたとき、母の姿は霧のように薄れかけていた。
彼女は何かを言おうと口を開いたが、その声は音にならずに風に消えていく。
母は、最後に寂しそうに微笑み、私の頬を優しく撫でるような仕草をした。
「大丈夫よ」と囁かれた気がした。
それが父の魔法の残滓か、それとも母の魂が届けてくれた言葉なのかはわからない。
けれど、母は私のために「生きて」と言ってくれていた。