(目、開けたらどんな色なんだろう)
個人的にはブルーが似合うと思う。でも、グリーン……深い森のような色も捨てがたい。
こんなに美しい人間を目にしたのは、生まれて初めてで、ノアは完璧に、この青年に心を奪われていた。
パチパチと瞬きを繰り返して、彼を見る。
あまりに不条理な現実に、もう一人の自分が見せた都合の良い幻像かと疑ったけれど、何度瞬きをしても、彼は消えずにそこに居た。
しかしローガンは、こんなイケメンが現れたというのに、クリスティーナの腰を抱いたまま、鬱陶しげな表情を作るだけ。
「アシェル、今は取り込み中だ。後にしてくれ」
そう言い捨てたローガンは、きっと視力が悪いのだろう。
もしくは、暗に乳繰り合うのに忙しいと訴えているのかもしれないが、あいにくアシェルは、この光景を視界に入れることはできない。
わずかに困った素振りをみせたが、立ち去ることはしなかった。
「そうですか。では、端的にお伝えします。さほど面倒な案件ではないですから。兄上がクリスティーナ嬢を王妃にするというならば、私がこのお嬢さんと結婚したいです」
「ああ、構わん。好きにすれば……は?……はぁ!?」
クリスティーナの巨乳に9割思考を持っていかれていたローガンであるが、事の重要さに気付いて素っ頓狂な声を上げた。
しかし、アシェルの表情は動かない。微笑を浮かべたまま、より詳しく主張を繰り返しす。
「兄上は古の約束を反故にされるのでしょう?それは、我々に魔法を与えてくださった精霊王に対して不義理を働くこと。いつか大きな災いを受けるかもしれません。……私は、このような形なりですが、一応王族です。私がこのお嬢さんを妻にすれば古の約束は守ることができるでしょう」
「なるほど。一理あるな」
あっさり頷くローガンに、ノアは青筋を立てながら、ここにいる全員を睨みつけた。
(一理も、二理もない!!)
厄介者扱いされた挙句、目の前でたらい回しされるなんて、気持ちの良いことじゃない。むしろ不愉快だ。
しかもそこには、自分の意思が完璧に無視されている。
(馬鹿馬鹿しい。勝手にやってろ)
気づけばノアは、立ち上がっていた。
今更だけれど、ノアの手には拘束具がはめられているが、足は自由に動かせる。
これまで床に膝を突いていたのは、余計なことをしないほうが身のためだという、我が身の可愛さからだ。でももう、そうする必要は無い。
だって、何をしたって、お先真っ暗なのだ。ならば、最後くらい好き勝手させてもらおう。
そう決めて、ノアは出口の扉へと向かおうとした。けれど、一歩足を浮かせた途端、腰に何かが巻き付いた。
それは、アシェルの腕だった。
「どうやら、このお嬢さんも、私のことを気に入ってくれたようですね。目の不自由な私に態度で示してくれるなんて。良かった良かった」
見えていないはずなのに的確にノアの腰をさらい、己の身体に引き寄せたアシェルは本気で嬉しそうだ。
おとぎ話に出てくるような王子様に抱き寄せられたとて、ノアは嬉しくない。
なぜなら見た目は美しくても、中身はローガンと同様にノアをモノ扱いしているのだから。
だがノアは声が出せない状況にあり、訴えたいことがごまんとあっても、それを伝える術がない。
無駄だと承知で、ノアは首を横に振ってみる。全世界共通のそれをやれば、少しくらいは察してくれるだろうと思って。
しかし、アシェルは目を閉じており、ローガンは未だにクリスティーナの胸をチラ見している。
ノアの主張はクリスティーナにだけ伝わる形となったが、彼女は性格が悪く、ぽっと出のノアを心底疎んでいる。
そんな奴にしか伝わらないとなると、やっぱりロクな展開にならなかった。
「恐れながらアシェル殿下。わたくしの目には、このお嬢様は殿下の妻になることを、とても嫌がっております。わたくしの侍女になりたいようですわ」
(そんなわけないっ)
保身の為に、身の丈を弁えこれまでお貴族様に対して大人しくしていたが、吹っ切れたノアは、がっつりクリスティーナを睨みつけた。
すぐさま、鬼女も裸足で逃げ出すくらいの殺気のこもった視線を向けられた。だがノアは怯まない。もともと売られた喧嘩は買う主義だ。
そんな火花が散りあう一触即発の空気の中でも、ローガンはクリスティーナの胸を見ている。この男、どれだけ乳が好きなのだろうか。
対してアシェルは、相も変わらず微笑んでいる。
そして、のほほんという形容詞がぴったりの口調で口を開いた。
「クリスティーナ嬢、残念ながらそれは無理なんですよね」
好戦的な態度を取ったノアに青筋立てたクリスティーナであったが、相手は王位継承権を剝奪されたとはいえ王族。
さすがに露骨に牙を剥くような真似はせず、精一杯作り笑いを浮かべる。
「あらどうしてですの?無理強いをするなんて可哀そうではありませんこと?」
(このやり取り全部が無理強いということになぜ気付かない!?)
ノアは、ここにいる全員の神経を疑った。
ただ、やんごとなき方々にとって、孤児なんて所詮この程度の扱いなのかと冷めた目で見ている自分もいる。
雲の上の方々の思考を理解しても、今後役立つことは無いだろう。
自分の頭の出来が良くないことを自覚しているノアは、早々に今覚えたばかりの知識を消去して、部屋を立ち去ろうとした。
だが、自分の身体に巻き付いている盲目王子の腕はとても頑固だった。なかなか剝がすことができない。それどころか、更に自分を己の胸に引き込もうとしている。
もがくノア。それに気付いているのに力を緩めないアシェル。
無言の攻防戦は激しさを増していく状況なのだが、傍から見れば、抱き合っているようにしか見えない。
そしてそれを敢えて見せつけているアシェルは、ここで最大で最強のカードを切った。
「あ、言い忘れていましたけれど、このお嬢さんを私の妻にすることは既に陛下から了承を得ています」
「なっなんだと!?」
「……嘘でしょ!?」
(ええー!やだぁ!)
三者三様のリアクションを見せる中、ここで壁の一部と化していた魔術師グレイアスが、おもむろにローブの袖から書簡を取り出した。
「婚約証明書は、こちらに。どうぞ、ご確認ください」
ババーンと見せつけられたローガンとクリスティーナは、唖然とした表情のまま固まってしまった。
ノアはそれを見たいが、アシェルが邪魔して見ることができない。
しばしの間の後、ローガンがポツリと呟いた。
「アシェル。……それならそうと、早く言え」
渋面を作るローガンに、アシェルはノアを抱きしめながら、どんなふうにも取れる笑みを浮かべるだけだった。