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受付の横の応接室に、私は東雲さんを案内した。
来客用の部屋で、総務が週に一度、花を替える。今週は白いトルコギキョウ。東雲さんは白いコートを脱がずに座って、脱がないまま、私を見た。
「お時間、取らせません。聞きたいことは一つだけです」
「はい」
「私は、奏さんが好きです」
真正面から言われて、私は返事を飲み込んだ。東雲さんの目は動かない。
「子どものころからです。縁談は父が決めたものですけど、私は、父に決めてもらわなくても奏さんがよかった。だから、あなたに聞きます」
東雲さんが背筋を伸ばした。
「あなたが本物なら、引きます。本物ですか」
応接室の時計の音が、急に大きく聞こえた。
私のことなら、ここで言葉が消える。いつもそうだった。会議で手を挙げなかったときも、元カレに釣り合わないと言われたときも、私は何も言えなかった。
でも、これは私のことではなかった。
専務の半年のことだった。
「本物です」
声は、思ったより普通に出た。
東雲さんは、笑わなかった。しばらく私の顔を見て、それから、小さく息を吐いた。
「嘘が、下手ですね」
「……」
「奏さんの、どこが好きなんですか」
聞かれると思っていなかった。頭の中に浮かんだのは、三枚の付箋だった。
「……決裁を、三回突き返されました」
「はい?」
「根拠を添えて、と。三回とも同じ字で。四回目は、まだ出していません」
東雲さんが、まばたきをした。それから、少しだけ首を傾けた。
「変な人」
「よく言われます」
「でも、言い切った。それは分かりました」
扉が開いた。
専務だった。高梨さんが後ろにいて、受付から連絡が行ったのだと分かった。専務は東雲さんを見て、私を見て、私の隣に立った。
「東雲さん」
「奏さん。お久しぶりです。ご婚約、おめでとうございます」
「ああ」
専務は、私の左手を取った。
指輪のある手を。応接室の机の上に、見えるように。
「俺が選んだ。親父に何を言われても変えない」
手が、熱かった。それだけ覚えている。東雲さんは専務の手と私の手を見て、それから立ち上がった。
「では、お父様に伺います。奏さんが本当にそう言ったか」
「言った」
「ええ。聞きました」
東雲さんは私に向かって、きちんと頭を下げた。
「ひよりさん。また来ます」
名前で呼ばれた。白いコートが応接室を出ていって、高梨さんが後ろを閉めた。
専務は、まだ私の手を離さなかった。
「……専務」
「人前だ」
「もう、人前ではないです」
専務は手を離した。離してから、自分の手を一度見て、上着のポケットに入れた。
二階に戻ると、小森さんが椅子ごと寄ってきた。
「白いコートの人、誰ですか。受付の人が、すごいお嬢様だったって」
「お客様」
「ひよりさんのお客様なんて、初めてじゃないですか」
「初めて」
課長が、まあまあ、と言った。私は決裁書を開いて、出し直す分の数字を書き始めた。字は普通に書けた。左手の指輪が、紙の上で動くたびに見えた。
東雲さんは、嘘が下手だと言った。
嘘が下手なのは、本当だ。でも私は、言い切ったあとに自分の声が普通だったことのほうを、ずっと考えていた。
夜、マンションの台所。
私が湯を沸かしていると、専務が帰ってきた。靴箱の一段目に革靴を置く音がして、台所の入口に立つ。
上着を脱がずに、段ボール箱の横に鞄を置いた。箱は、今朝より一つ減っていた。どこの棚に行ったのかは、明日の朝の補充で分かる。私はそれを数えに行かないことにした。
「よく言い切った」
「はい」
「嘘が下手だと思っていた」
「嘘は、下手です」
湯が沸いた。火を止めて、私は言った。
「でも、私のことではないので」
専務が黙った。
短い間だった。でも、専務が何かを言おうとしてやめるのを、私は今日二度見た。応接室で手を見たときと、今と。
「茶を」
「淿れます」
湯のみを二つ出した。専務の分は濃く。ブラックの缶しか買わない人は、茶も濃いほうが好きだと思った。専務は一口飲んで、二口目を飲んだ。濃さのことは何も言わなかった。
「東雲さんは、何を聞いた」
「本物かと。それと、専務のどこが好きかと」
「何と答えた」
「決裁を三回突き返されました、と」
専務が湯のみを置いた。置いた手が、そのまま止まった。
「……それは、好きなところか」
「聞かれたので、覚えていることを言いました」
「そうか」
専務は湯のみを持ち直して、飲んだ。
「東雲さんは、裏で動かない。正面から来る。だから厄介だ」
「厄介、ですか」
「嘘で勝てる相手じゃない。お前の嘘は、特にだ」
言い返そうとして、やめた。応接室で、東雲さんにも同じことを言われたからだ。
「それでも、言い切ったんだろう」
「はい」
「なら、それでいい」
専務は茶を飲み切った。
専務のスマホが、机の上で震えた。
専務は画面を見て、しばらく動かなかった。それから、画面を私に向けた。
『日曜、家に連れてこい。東雲さんも来る』
差出人のところに、社長、と出ていた。父親を社長と登録している人を、私は初めて見た。
「父は、お前を試す」
専務は湯のみを置いた。
「何を言われても、俺の隣から動くな」
コメント
1件
第4話、読み終わりました。 東雲さんの「本物ですか」という問いに対して、ひよりさんが「本物です」と答えた瞬間、すごく引き込まれました。自分ではなく「専務の半年」が確かだから言えた言葉なんだろうな、と。そして決裁を三回突き返された話を「好きなところ」として出すセレクトが、ひよりさんらしくて、でも東雲さんから「変な人」と言われるのも納得のエピソードで好きです。 夜の台所で専務が茶の濃さに何も言わないシーンも、二人の距離感がじわじわ伝わってきて良かった……。次回、社長に会う展開、すごく気になります!