「ちょっと北川先生。また2組の子が問題起こしたらしいじゃないですか!」
隣席の佐藤先生は、いつも唾を飛ばしながら叫ぶ。
香水がキツくて、吐きそうだ。
「しかもいじめ問題なんて…学校全体の評価に繋がるんですよ?」
「す、すみません」
「謝るんじゃなく、行動で示してください。もっと生徒の見本になるように、意識をもって…」
「すみません」
「だーかーらー!!」
佐藤先生が大きな声を出すたびに、胃が重くなる。
「2組だけですよ、苦情が来るのは!特に大沼はいつも授業を妨害して!うちを見習ってほしいわ」
問題児を押し付けたくせによく言う。
『若いうちから指導力を養ってほしいから』
若手の私が言い返せないのをいいことに、自分は優良な生徒だけを引き抜いた。
他の教員もそうだ。
「まあまあ、佐藤先生も落ち着いて」
教頭先生が割って入ってくる。
「問題児ばかりで北川先生も大変でしょうから」
さりげなく私の肩に手を置く。
「もしよかったら、私が指導の仕方を教えますよ。どうです、今夜2人きりで?」
それから体をなぞるように手を滑らせ、今度はお尻を撫でる。
「母の介護があるので、帰らなきゃいけないんです」
気持ち悪い手つきに吐き気がした。
「あ、そろそろ生徒と面談の時間なので行きますね」
「大沼にいじめられた子ですか」
教頭が顔をしかめる。
「いかんなぁ、最近の若いもんは根性がない。すぐ大人に頼る」
「失礼します」
教頭先生の小言から逃げるように、職員室を後にした。
生徒指導室。
「待たせてごめんね」
「いえ…」
2組の生徒の1人、清水ハルト。
今回起きたいじめ事件の被害者。
色素が薄くて、細身で、おまけに内気。
誰かと仲良くしているとこを見たことがない。
典型的ないじめられっ子体質。
(顔はいいんだけどな…)
「それで、大沼くんたちに恐喝されてたって聞いたけど…」
彼は小さく頷いた。
「その顔の傷も?」
「…はい」
ややためらってから、彼は答えた。
「そう、辛かったね」
「怒らないん、ですか?」
「え? 怒るわけないじゃない。清水くんは被害者よ」
「でも、他の大人たちは僕が弱いからだって……もっと、はっきり言い返せばいいって…」
「そんなこと誰が言ったの?」
「教頭先生が…」
溜息を吐きかけて、踏みとどまる。
「気にしなくていいわ」
「はっきり言ったらいじめられなかった、なんて結果論でしかない」
「問題なのは、清水くんが傷つけられたこと。どんな理由であれ、傷つけた方が悪いんだから」
彼は唖然としていた。
一体、どれだけの大人に否定されてきたのだろう。
「私も言い返せない側だから、清水くんの気持ちわかるわ」
こんなにもすらすら言葉が出てくるのは。
「立場の強い人たちに一方的に言い伏せられて、その度に自分が悪いんだって思わされる」
私と彼が、同じ立場にいるからだろうか。
「ここだけの話。教頭先生は私も嫌いなの。セクハラもひどいし」
「そうなんですか?」
「あ、これは内緒ね。クビになっちゃう」
苦笑を浮かべると、彼も小さく笑った。
子犬のように愛らしい笑顔だった。
「どうしようもないこともあるよね」
それから、いじめについて尋ね相談を終えた。
「先生。ありがとうございました」
「お礼なんて。私は清水くんを守れなかったんだから」
「そんなこと、ないです」
「先生は、僕を肯定してくれた。僕はそれだけで…」
面談前よりも、少しだけ元気に見えた。
「先生は優しい人です。今度、ちゃんとお礼しますね…」
「包丁はどこ!?私だってまだ料理できるの!」
家に帰ると母が喚いていた。
いつもの光景だ。
母が認知症になってずいぶん経つ。
昨年、父が亡くなってからさらに悪化した。
(施設も考えなきゃ。お金どれくらいかな…)
(兄さんと姉さんに相談を…いや、あの2人が話なんて聞くわけないか)
兄や姉は既に結婚しており、新しい家族を持っている。
1時間かけて母をなだめ、ようやく落ち着く。
家にも。
職場にも。
私の心が休まる場所はない。
「どうしようもないこともあるんだ」
あれは清水くんへではなく、自分への慰めだ。
明日また、お局様に小言を言われ。
教頭にはセクハラされて。
生徒たちは授業中に騒ぎ。
家に帰ったら母が喚いているのだろう。
「なんのために生きてんだろ」
呟いても変わらないから、パソコンを開いて仕事をした。
翌日。
朝の職員会議で、教頭先生が交通事故に遭ったと聞かされた。
ただの事故ではなく、何度も轢かれたらしい。
一命は取り留めたが、本当に生きてるだけで。
完全回復は絶望的な状態。
授業前に全校集会が開かれることになった。
生徒たちが移動する中、1人の生徒が私に近づく。
「先生」
清水ハルトくんだった。
「清水くん。みんなもう体育館に…」
「教頭先生の事故、僕がやったんです」
「え?」
その時、人生が変わる音が聞こえた気がした。
「昨日のお礼、喜んでもらえましたか?」
昨日とはまるで別人のように。
彼はとても愛らしく微笑んだ。
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( ˙꒳˙ )マヂカヨ