とうとうこの物語を完結できます!
今迄付き合って頂いた皆様、有難うございます!
それでは、【最終話 私の『居場所』】
どうぞ〜↓↓↓
ぬるま湯のような温度の日差しが射す中、少し冷たい風が頬をなぞる。
木の葉は郷愁をそそらせるような赤色や黄色に染まり、秋の香りを漂わせた。
私は一歩前に出る。
「………………」
地面から墓石へとなぞるように、視線を移した。
それは【S.ODA】と彫り込まれた墓石だった。
息を吸い、吐く。
その動作が、何処か苦しかった。
何か重い、どろりと纏わりついた空気のようなものを吸っているようだった。
この感覚は、過去に何回か感じた事があった。
深く考えなければならない事が在った時や、自分の人生に永遠と続く何かを得た瞬間。
“そういう日”は、何かと自分の頭が上手く回らなくなる。何故かぼうっとして、溜め息を普段の何十倍もついてしまう。
私は、溜め息に近い息を吐こうとした。
けれど、その溜め息に部類される息は、私の喉元でつっかえて、止まってしまう。
あの纏わりつくような空気を、私は吐き出す事ができないのだ。それ故、永遠と私の躰に溜まっていく。
ソレが苦痛で、酷く辛かった。
私はしゃがみ込んで墓石に触れる。
声を絞り出した。
「織田作……………私は、如何すれば佳い?」
其の言葉と共に、れいの纏わりつくような空気が、共に肺から出た。
それが嬉しくて、気持ちよくて、躰の重みが無くなったように感じる。
「敦君が云っていた事は本当だ。嘘を付いているようには見えなかったからね」
視線を下に落としながら、私は云った。
「でも………如何してだろうね、何て云えば佳いんだろう………判らない。でも……彼処に、戻りたくないんだ」
何故、この心境に陥ったのかは判らない。
敦君に云われ、「嗚呼」と答えたのは自分だ。彼処に行くと決めたのは私だ。
だのに──────
“この感情の名”を何と云うのか判った瞬間、私はそう思ってしまった事に罪悪感を感じた。
全身の力が抜けたかのように、私は地面に膝をつく。
そして、云った。
「皆が“私”という存在を憶えて居ているのかが、判らなくて怖い」
私の其の言葉を、秋風がさすらっていく。
歯を食い縛った。
「私は黒に生きると決めた。だのに、彼等に云われると、再び戻りたくなる」
脳裏に、探偵社の皆が浮かび上がった。
瞼を閉じる。
─────太宰ィイイ!また遅刻か貴様は!
暫く、君の怒鳴り声は聞いていないね。
─────あ!太宰さん!お早う御座います!
長い事、君から満面の笑みで挨拶される事が無くなったなぁ。
─────太宰さんお早う御座います/お早う御座いますわ!
今になっても、きっと君達は仲が良いだろうねぇ。
─────太宰さんお早う御座います!実は今朝大きい玉蜀黍(トウモロコシ)を収穫したんです!後で皆さんと一緒に食べましょう!
あの玉蜀黍、凄く美味しかったよ。君が育てる野菜は全て美味だ。
─────太宰ー暇だからこの前した対義語(アントニム)の当てっこ遊戯しよー
そう云って貴方とする遊戯は盛り上がって、とても楽しかった。
─────この前敦と食べたクレープ、とても美味しかった。オススメ。
君に云われて食べに行ったクレープ、とても美味しかったよ。教えてくれてありがとう。
─────今日は怪我人は無しか、詰まんないねェ
常に貴方が皆の事を何時も通りに過ごせているか見ていてくれるおかげで、きっと皆は今も元気でしょう。
─────太宰、猫に触れたいのであれば煮干しを常備していると佳い
猫の話をしていた時に貰った貴方からの言葉、後日試したら意外と上手くいったのを憶えていますよ。
あぁ…………過去の記憶を掘り起こすだけで、
ぬるま湯に浸かっているような感覚に陥る。
また、あの頃に戻りたい。
何故なんだ?私の居場所が武装探偵社にあるとでも云うのか?
……………きっと、正にぬるま湯に浸かっているようなあの空間が、
私はとても過ごしやすくて、
気が付いたら日を越えていたから、
私は戻りたいのだ。
──────若し、今の私でも“信頼”というものを寄せてくれているのなら。
では、私は彼等を信頼しているのだろうか?
戻りたいと思っていながら、本当は信頼していない?
信頼しているのならば、戻る事に何の考慮も入れる筈がない。
けれど私は──────
「っ……」
顔を上げる。
眼の前に展開されるのは墓石だけ。私が何かを云ったとしても、“彼”は何も答えてくれない。
答える事ができない。
「……ねぇ…………織田作…」
声を絞り出した。
「私は、如何すれば──────「なァンだ」
後ろから、知っている声がする。私は勢い良く後ろに振り返った。
「手前も普通に弱音吐けるじゃねェか」
眼の前には、中也が立っていた。
「ちゅうや…?何故此処に…………」
「ここ最近手前の様子がおかしかったからな、付いて来たまでだ」
付いて来た?
うそ、全然気が付かなかった……。
この私が中也に気付かないなんて──「つーか、俺に気付かない位考え込ンでたンだな、手前」
「っ!」
私は中也から顔を反らし、視線を元に戻す。
最悪だ。何でよりにもよって君なの?中也。
本当に──────君の勘は佳く当たる。
「別に、中也には関係無いでしょ、疾く仕事戻りなよ」
「莫ァ迦、それくらい終わらせて来た」
あぁ……中也が普通に私の後を付いて来た時点で、終らせている事なんて明確な筈なのに、何故態々聞いた…?
─────俺に気付かない位考え込んでたンだな。
ほんと最悪。
「帰れって意味だし」
中也と顔を合わせずに私は云う。
「あっそ……」吐き捨てるように中也は云った。
沈黙が生じる。
冷たい風が、秋に染まる葉を木から連れ去った。
私と中也は互いに動きもせず、話もしなかった。心中で私は、中也が帰る事を願った。
刹那、中也が口を開いた。
それは────。
「手前の其の弱音に対して、其奴から返事は帰って来ンのか?」
云い返したかった。けれど、中也が云った言葉は事実であった。
「……………………」
その為、私は何も云い返せなかった。
「黙れば佳いってンじゃねェ、如何なンだよ。手前の其の言葉に、其奴は返答して呉れンのか?」
「っ………さぃ」
「ぁ?」
私は振り返る。
「煩いなぁ!なら君がその答えを教えて呉れるとでも云うのかい?!」
声を荒げて、私は云った。負け惜しみに近しいものだった。
「____…」
中也は息を吸い、吐く。
そして静かな眼差しを私に向けて云った。
「嗚呼」
思わず目を見開く。
彼は、只事実を述べたとでも云うような、そんな表情をしていた。
私が言葉を発しようとした瞬間、眼の前に何かが飛んできた。
「ぅわっ!」
当たる寸前でソレを受け止める。
「一寸、な───に……」
其れを中也が投げてきた事は判った。けれど、何を投げてきたのかは判らなかった。
言葉を途切らせる。目を丸くした。
中也が投げてきたのは、紙袋だった。
そしてその中には、二年前私が着ていた砂色の外套と白の洋袴。洋風の開襟襯衣に焦茶の内衣、青色のループタイだった。
「っー訳だ」
私は紙袋から視線を外し、顔を上げる。
中也が私の髪に触れ、グイッと“何か”を引っ張った。
──────ブワッ!!
右目の視界の暗闇が、唐突に晴れる。真っ白の包帯が宙に舞った。
一瞬、ほんの一瞬、視界に色彩が宿る。
「行ってこい……!」
満面の笑みで中也は云った。
「………………」
もう一度紙袋に視線を移す。ギュッと抱き締めた。
「これ、執務室に置いた筈……勝手に持って来たのか…………不法侵入者め」
「人の事云えねェだろ、手前」
そう云いながら中也は私の前まで来てしゃがみ込み、私と目線を合わせた。
「一日くらい行ってやれよ」
「______…首領にまだ云ってない……」
「俺が云ってあるから大丈夫だ」
「は……何故?」
「手前絶対首領に云わないで行くか、抑々行かないかの何方かだと思ったからな」
「……………」
私の知らない所で中也が動いてるの何か腹立つ……。
でも─────
地面に視線を落とし、中也と顔を合わせずに云った。
「…………私は、行っても佳いのかい?」
「おぅ、まぁ俺の監視付きだけどな……」
「____…」
視線を中也に移す。
「私が組織を裏切る可能性もあるよ」
──────────ピリッ─────!
静まり返る。
中也の瞳孔に一瞬、殺意が宿った。
─────否、殺意に近しいものだ。
鋭く、そして冷たい光を宿らせた後、中也は目を細める。
少しの沈黙を風がさらい、中也が口を開いた。
「そン時ゃあ、俺が手前を殺しに行く」
瞼の裏で何かが煌めき、揺らめいた。
あぁ……本当に、君は─────
「………そう」
私は口元を緩めた後、そう云って立ち上がる。
中也も立ち上がった。
紙袋を持って中也の先を歩き、後ろに振り返り私は云った。
「それじゃあ行って来るね、中也」
「おぅ、行って来い太宰」
***
「──────ふぅ……」
緊張を含んだ息を吐く。
大丈夫、大丈夫だ。何も問題は無い。
私は砂色の外套に、二年ぶりに袖を通した。懐かしく感じた。
瞼を閉じ、そして開ける。
武装探偵事務所と書かれた黄金のプレートが、視界に入った。
あぁ…………本当に懐かしい。
私は扉の把手に手をかけた。眼の前の光景も、この扉の把手の感覚も、全てが懐かしい。
矢っ張り、温かいなぁ。
──────ガチャッ
扉を開ける。
真っ白な眩しい光、けれども温かいその光が、私の視界を覆い尽くした。
光の奥に居る小さな影が、此方を振り向く。
「太宰さん!」
光が晴れた瞬間、彼等は私に近付いてきた。
「「「「「おかえりなさい!」」」」」
温かく、そして優しい笑顔で彼等は云った。
「____…」
目を丸くしていると、皆は楽しそうに笑顔で云って来た。
「太宰さん、今日皆でご飯作ったので食べて行ってくださいね!」
敦君が私の背中を押しながら云う。
奥の机には沢山の料理が並べらており、できたての善い匂いが私の鼻腔を突付いた。
「日本酒もあるよ」
与謝野女医が机を指す。料理の横には日本酒が何本か並べられており、他にも麦酒や葡萄酒などがあった。
「蟹料理なんて山のように!」
私の手を引っ張りながら、賢治君が明るい表情で云う。
「湯豆腐もある」
まるで一刻も疾く食べたいと云ってくるような目で、鏡花ちゃんは私の方を見て腕を引っ張った。
「今回もまた一段と出費が激しかったがな……」
電卓を握り締め、肩を落としながら国木田君が云った。
「まぁまぁ国木田さん、皆で楽しめればそれで佳いじゃないですか」
私の背中を押しながら、谷崎君が国木田君に云う。
「そうですわよ、折角全員揃ったんですもの。楽しみましょう、ねーお兄様♡」
谷崎君の後ろに突如ナオミちゃんが現れ、彼の耳元で囁く。ナオミちゃんはつうっと谷崎君の鎖骨をなぞった。
全員が見なかったフリをしようとし、目のやり場に困る。
仲が良いのは相変わらずらしい。
「太宰ー此の前の洋菓子美味しかったから、また買って来てね!」
乱歩さんが無邪気な笑顔で云う。
「あれ美味しかったですよね、ありがとうございました太宰さん!」
谷崎君に続き、皆が笑顔で礼を云ってくる。
「えっと、うん……喜んでもらえて佳かったよ」
途切れながらも、私は云う。
妙な感覚が、私を襲っていたからだ。
懐かしいこの感覚。温かいこの空間。光の笑顔。
何だ………何も変わってないじゃあないか。
「太宰」
社長が私の名を呼ぶ。
私は振り返って、社長と目を合わせた。
「調子は如何だ?」
「えっと、普通……です」
「そうか、ならば佳い」社長が優しい笑みを口元に浮かべる。
「____…」
私は皆の顔を覗き込むようにゆっくりと見る。
皆、優しい笑顔で私を見た。瞳が微かに揺れ動く。
後ろに振り向くと、私の席が見えた。
敦君が云っていたとおり、とても綺麗だった。私があの席に座らなくなってから、二年も過ぎていると云うのに───────。
「…………」
私は少し顔をうつむけ、絞り出すような声で云った。
「────何故、まだ私の居場所を残してくれているのですか?」
積もり積もったあの纏わりつくような空気が、喉元に在った。如何しても、吐き出したかった。
少しの沈黙の後、社長は云った。
「例えポートマフィアに移籍したとしても…………太宰、お前は我が社の────武装探偵社の立派な社員だ」
「_____……」
思わず目を見開く。
社長の其の言葉に肯定するような笑顔を、皆はした。喉元に募った纏わりつくような空気が刹那にして晴れる。
眼の前に答えがある事に、私はやっと気付いた。
瞳の奥から込み上げ来るモノを堪え、飲み込み、私は笑顔を浮かべて云った。
「─────ありがとうございます」
***
赤茶けた煉瓦造の建築物の四階から、眩しく温かい光が零れ出ていた。
「………………」
俺は反対側のビルの屋上から、窓の中を見ていた。
他の社員と同じように、太宰は幸せそうな笑みを零している。
「─────チッ」
舌打ちを響かせる。小さく息を吐いて、俺は空を見上げた。
光り輝く恒星が空に浮かんでおり、月は暗闇に隠れ、より一層星の存在を際立たせていた。
刹那、靴音が響く。
「太宰君の調子は如何かね、中也君?」
赤いストールが目に入る。
首領が笑みを浮かべて此方に歩いてきた。
「…………笑ってます、楽しそうです」
俺がそう云うと、首領が目を丸くした。
そして苦笑しながら「そうかい、流石の中也君も嫉妬しちゃった?」と云った。
「は…?え?」思わず声をもらす。「嫉妬……?」
「うん、嫉妬」
子供の成長を微笑むような笑顔で、首領は云う。
嫉妬……?
俺が?何に?
刹那、瞼の裏に幸せそうに微笑む太宰が浮かび上がる。
「…………嫉妬なんてしてません。只、太宰は彼方の方が過ごしやすのかもなと…………思った迄です」
拳を強く握りしめた。
首領に沈黙が生じる。首領は探偵事務所の方に視線を移した。
柔らかな光と明るい楽しそうな声が聞こえて来る。
首領は息を吸って、そして云った。
「でも太宰君のあの笑顔、君と話している時もよく見かけるよ」
瞳の奥から何かが込み上げてきて、揺らめいた。
「それじゃあ、引き続き監視宜しくね」首領は俺から離れて行く。
首領の声に、俺は我に返った。
「ぁ、は────はい」
「………………」首領の後ろに居た芥川と目が合い、芥川はお辞儀をして首領と共に屋上から出た。
視線を再び探偵事務所の窓に移す。
まるで、自分と眼の前の光の空間が遮断されているように感じた。
肺に吸う空気が重たかった。
瞼を閉じ、躰の重心を後ろにかけ、俺は倒れ込んだ。
俺は瞼をゆっくりと開ける。満天の星空が瞳に映った。
「結局、俺は彼奴に─────」額に何か硬いものが当たる。「っ…!」
俺は勢い良く起き上がって、飛んで来た物を見た。
「は……?」
思わず声がもれる。
飛んで来たのは、何かを包んだ銀紙だった。
甘い匂い────猪口令糖(チョコレイトウ)のような匂いが香る。
「中也ー」
知った声に、俺は視線を向けた。
窓の下枠に肘を付いて酒杯を持った太宰が、上機嫌な笑顔で微笑み、手招きをした。
俺は小さく息を吐いて太宰の方へと行く。
「ったく、何だよ」俺はそう云いながら、窓の下枠に腰を下ろす。「如何だ?楽しンでるか?」
「うん、楽しんでるよ」
太宰は幸せそうに微笑んだ。
「……あ、そ」
猪口令糖を口に放り込む。
深く、そして甘く溶けてしまう前に、俺は猪口を噛み砕いた。
沈黙が続く。
その沈黙を、夜風がさらう事はなかった。
「────なァ、太宰」
太宰は酒杯から口を離す。「ん?何だい?」
「…………此方の方が“生きやすい”か?」
太宰が目を丸くした。
そして俺から視線を外し、窓の外を眺めて酒杯に入る酒を一口呑んで云う。
「うーん……私は何方でも構わないからなぁ」
其の言葉に、俺も窓の外を眺めた。
満天の星空が月光の代わりに俺達を照らす。
「──────でも、私は今幸せ者だと少し思ったのだよ」
俺は太宰の方に視線を移す。
太宰は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「だって────帰ったら、おかえりって云ってもらえる場所が二つもあるのだよ?」
「ふたつ………?」
頭に浮かんだ疑問を、後先考えずに俺は口走る。
太宰は後ろに居る探偵社の仲間に視線を移した。
「うん、一つは探偵社」そして、俺の方を向く。「そしてもう一つは─────」
満面の笑みで、太宰は云った。
「君が居るポートマフィアだ」
「____…」
煌めきと揺らめきが、目の前で起こる。
あぁ……そうか。
心配なんて何一つ要らなかった。
だって此奴の居場所はもう疾っくに────
口元に笑みを浮かべる。
「ふはっ……当ったり前だろ!」
俺は太宰に今までで一番の笑顔を見せた。
「────うん」
太宰も俺に微笑み返した。
「おや、漸(ヨウヤ)く満月が顔を出したようだね」
森が建物の階段を降りる途中、窓の外を見ながら云った。
「真逆中也君があんな言葉を云うとは………時の流れと云うものは、恐ろしくもあって素晴らしいものだねぇ」
「………………」
芥川が静かな視線で森を見る。
「芥川君、君の目に私は如何見える?」
森が後ろへ振り返って云った。
「如何───とは?」
「その儘だよ」
窓から差し込む月光が森を照らす。
月光に照らされた事により、森の表情をくっきりと芥川は見た。
少しの沈黙が芥川に生じる。
その沈黙が飲み込まれた後、芥川は云った。
「────嬉しそうです」
芥川の其の言葉に、森は目を丸くする。
そして目を細めて「そうかい」と云って、森は再び階段を降り始めた。
──────カツンッ
靴音が森の耳に響き渡る。自分のではない、芥川の靴音だった。
その音に引かれたかのように、森は後ろへと振り向こうとする。
「然し────」
振り返った森の瞳に、月の光が逆光する芥川が映った。
「何処か淋しそうにも見えます」
芥川は只事実を云った、そんな表情で森を見た。
「____…」森は啞然と開いた口を閉じ、そして階段を上った。
森が一つの大きな窓の外に映る満月を見上げる。同じように芥川の瞳にも満月が映った。
「そう見えてしまうのか─────でも、今宵の満月に免じてもらおう」
何処か哀愁を感じさせる笑みで、森は云う。
「…………………」
芥川は口元に手を寄せ、小さく咳き込んだ。
***
「楽しかったけど、何か変に疲れたよ」
太宰が助席に座って頬杖を付きながら云った。
「楽しかったらソレで佳いじゃねェか」
ハンドルを握りながら中也が云う。
「そうだねぇ」太宰はぐぃーっと背筋を伸ばした。「確かにその通りだ」
溜めた何かを吐き出すように息を吐き、太宰は椅子に背中をもたれる。
「一寸寝るから着いたら起こして」
「その云い方からして起こそうとしても起きねェだろうが、人の車で勝手に寝ンなや」
怒りを抑え込むように手に力を入れて、みしっと中也はハンドルを握り締める。
「…………スースー」
「狸寝入りしてンの、判ってっからな!」
「ちぇっ」
二人の青年の声が、マフィア本部の廊下に響く。
行き先は一つの部屋だった。
「中也としりとりなんかしてた所為で寝れなかった……はぁ、最悪」
「っーわりにはノリノリだったよなァ手前、語尾全部“チ”にしやがって………」
「最終的に中也が自分の事“チビ”と云ってたから私的には大満足さ」
「云わせたンだろうが!本当性根悪ィな手前!!」
「あっははは〜」
上機嫌な太宰はスキップしながら、中也の先を歩く。
「さぁて、暇だから中也の部屋にでも遊びに行こう!」
そう云って太宰が中也の幹部執務室の扉を開ける。
「だから何、暇だからテレビ見よう!感覚で俺の部屋入ってンだよ!巫山戯ンなっ!」
太宰が執務室に這入る前に、中也が太宰の襟首を勢い良く掴んだ。
「中也怒り過ぎは駄目だよ、そうやって眉間にシワを寄せてると肌が馴染んで、老化した時近所によく居る怖い顔のお爺さん認定される────」今度は太宰の頭を中也が掴む。「俺はマフィアだ、逆に誰が笑いながら敵ボコすンだよ」
「そんなの只の反社会的人格(サイコパス)じゃあ無いか」
「手前は記憶喪失か?」
「えっ?何が?ていうか中也は意識して怖い顔維持してるもんね」
妙に腹が立つような笑顔で太宰が中也に云う。
「ボコされてェのか手前!」
「ふふっ、冗談だよ」
太宰は中也から離れ、後ろに回る。
くるっと一回転し、中也と目を合わせながら口元に優しい笑みを浮かべて太宰は云った。
「只今、中也」
──────おかえりって云ってもらえる。
中也の脳裏に、太宰の言葉が浮かび上がる。
息を吐き、表情を崩した後、満面の笑みで中也は云った。
「おう、おかえり太宰」
***
「グットモーニ〜ング諸君!探偵社ver太宰治のご来場だよ!」
探偵事務所の扉を勢い良く開け、太宰が云って来た。
「太宰貴様ァア!此処に来るときは最低限連絡をしろと云っているだろう!?其れより貴様仕事は如何した!仕事は!!」
国木田が怒鳴り声を上げて太宰の胸倉を掴んだ。
「えっ、中也に全部押し付けてきた☆(報告書)」
当たり前の事を云うように、太宰は笑顔で云った。
──────ビシッ
国木田の眼鏡にヒビが入る。
深く息を吸って、国木田は云った。
「貴様は何処に居ても変わらぬ様だな!安心を超えて恐怖すら感じるぞ俺は!!」
「褒めてくれてありがとう、国木田君!」
「褒めておらん!!」
「国木田さんっ!」
敦が二人の中に割って入る。「幾ら何でも幹部相手に拙いですって……」顔を曇らせながら敦が云った。
「別に佳いよ」太宰が敦を見ながら云う。「今は探偵社員の太宰治だからね」
其の言葉に、敦の瞳が揺れ動く。
「……そうなんですか、良かったです!」
安堵しながら敦は云った。太宰もニコッと笑顔になる。
「では─────」
敦が太宰の手の上に山積みの書類を置く。
「ん?」太宰が目を丸くした。
「丁度皆依頼などで外出してたので人手不足だったんです。仕事してくださいね、太宰さん」
何処か圧を感じさせる笑みで敦が云う。
「えっ……」
「其れは名案だな敦。付いて来い太宰、此れから行く依頼に少し人手が必要でな、貴様でも力になるだろう」
眼鏡をかけ直しながら国木田は太宰の襟首を引っ張る。
「えっ……」
「いってらっしゃい!二人とも気を付けてくださいね!」
満面の笑みで敦が送り出す。
「えっ!」太宰の表情が焦りに変わった。「一寸待ち給え国木田君!私は決して仕事をしに来た訳では無いのだよ!」
「では何をしに来たのだ?」
国木田が猛烈に睨みを利かせながら太宰に問う。
「え?それは勿論、遊びに」
「場所は隣町だ。依頼内容は────「待って国木田君!」
「……依頼内容だがな」
「聞いてよ!」
国木田は依頼について話しながら、太宰の襟首を掴んで前へと進む。
「厭だよ私!今日は国木田君に悪戯したり、お菓子食べながら遊ぶって決めてたの!その為に電子盤持って来たのに!」
太宰が懐から電子盤を取り出す。
「不要物だな、没収だ。放課後取りに来い」
「放課後なんて無いし元教師発動しないでよ!」
手足をバタバタさせながら太宰が叫んだ。
「………何時も通り」
そんな二人を、敦は遠い目で見ていた。
***
一時間後。
「あンの糞鯖ァアア!!何処行ったァ!!?」
その声と同時に探偵事務所の扉が勢い良く開く。
その振動が敦にまで伝わり、驚きの余り手に持っていた資料を敦は落とした。
「えっ…は………中也さん…?」
物凄い雰囲気と表情で、ツカツカと靴音を立てて中也が敦に迫る。
「太宰の奴、何処行ったか知らねェか?」
「しっ……さ─────先刻、国木田さんと仕事に……」
条件反射で知らないと云おうとしてしまったのを上手く堪え、敦は震えながら中也の質問に答えた。
「そうか、情報提供感謝するぜ」中也はそう云い残して振り返り、走り出した。「絶対ェ赦さねェからな糞太宰っ!俺に報告書全部押し付けやがってええぇぇ!!」
「……………………」
敦は中也が出て行った後を呆然と見つめながら、手から落ちた資料を拾い集める。
「………嵐のように去って行ったなぁ…」
「あっはは〜!」弾んだ笑い声が響く。
敦は声がした方────中央の机の方へと振り向く。
其処には少年のように無邪気に笑う乱歩が居た。
「相変わらず素敵帽子君、元気だねぇ」
「唐突に現れて、秒で帰って行きますもんね」落ちた書類を全て拾い終わった敦は、苦笑しながら云う。「それにしても、中也さん何時も太宰さんと入れ違いですよね」
「あれ?敦気付いてなかったのか?」
乱歩がキョトンっとした表情で云う。
「え?何がですか?」
敦もキョトンっと目を丸くした。
「見れば判るだろ、あれ確実に─────」
「太宰は素敵帽子君と入れ違いになるタイミングで此処に来てる」
「えっ…!」
敦が驚きの声を上げた。
「毎回のような入れ違い。そして素敵帽子君に毎回押し付ける報告書………」乱歩は袋を開け、中からお菓子を取り出す。「太宰は素敵帽子君が報告書を提出してから此処に来る迄の時間を予測して、その場の何らかの方法で入れ違いをする。まぁ、殆どが素敵帽子君への嫌がらせが目当てだろうけど………」
「成程……僕全然気付きませんでした!流石です乱歩さん!」
感心したような口調と尊敬の眼差しで敦は乱歩に云う。
「まぁね!これくらい超推理を使う迄ないよ!其れより敦も敦だ、これくらいの事が解けないなんて────武装探偵社をやっていけないよ!」
ビシッと乱歩が敦を指差す。
「はい!頑張ります!」
その言葉を聞いて、乱歩はにんまりと笑った。
「まぁでも、結局はこうなるんだから、太宰があの時無理して行く必要なんて無かったんだけどね」
スナック菓子を口に放り込みながら、乱歩が云う。
その言葉が、敦の耳に引っかかった。
「…………乱歩さん、それって若しかして、あの時の言葉は─────」
乱歩が敦の方を見る。
「気付いた?」にやりと悪戯めいた笑みを、乱歩は浮かべた。
***
数ヶ月前。
「国木田ー、それ買い物メモ?」
乱歩が声をかけた国木田の手には、一枚のメモ紙が握られていた。
「はい、事務所の日用品を買いに………」
「じゃあそれ僕に貸して!」そう云った乱歩は、スッと国木田の手から紙を取る。「国木田は残ってる仕事片付けなよ」
「然し買い物もしなければ────乱歩さんが行ってくれるのですか?」
「え?敦と鏡花ちゃんに行かせるけど?」
「……………………」
まぁそうですよね、と云う文字が国木田の顔に浮かんだ。
「ほら行った行った!」
乱歩が国木田の背中を押す。躊躇いを感じつつも、国木田は自席に戻った。
得意げな表情で乱歩は息をつく。横に視線を移して、乱歩は敦と鏡花に云った。
「敦、鏡花ちゃん。一寸お遣いに行って来て呉れない?」
その日は、敦と鏡花が太宰と再会した日だった。
***
「あの時、僕達にお遣いを頼んだのって、太宰さんと再会させる為……?」
「そ。そうすれば以前と変わらない────何時も通りの関係に戻ったからね」乱歩は窓の外を眺め、肘掛けに頬杖を付きながら云った。「太宰も莫迦だよね、結局何時も通りに戻るって云うのにさ……」
溜め息混じりの息をつく。
敦は目を丸くした。
そして、小さく笑みをこぼす。
「乱歩さん」
敦の言葉に乱歩が振り向く。満面の笑みで、敦は云った。
「ありがとうございます!流石乱歩さんです!」
「べっつにー此れ位普通だしー!」
そう云いつつも、乱歩は自慢げにふふんっと鼻で笑った。
敦がニコッと微笑む。
――その空間は、何処よりも眩しく温かい光を放ち、そして、優しい場所である。
──────パラッ
紙をめくる乾いた音が響く。
「風の便りは此処迄かな」
青年はそう言葉をこぼし、手に持っていた本を閉じた。
「太宰!本を呼んでないで仕事をしろ!」
眼鏡をかけた男が、少し声を荒げて青年に云う。
「えー敦君やってよー」
青年が机に突っ伏して、横に居る白髪の青年に向かって云った。
「僕を巻き込まないでくださいよ……」
困ったような表情を浮かべて、白髪の青年が云う。
「ふふっ……」
青年が小さく笑みをこぼした。
──スッ───────パァッ────
先程まで青年が持っていた本は、小さな光を放って粉末のように細かく分裂する。
窓から射し込む日光をキラキラと反射して、輝きながら本は消えた。
此れは、もう一つの私の物語。
___太宰治の『居場所』───────END.
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