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「雪華」を最後まで読んでいただきありがとうございます‼︎まだまだ未熟ではありますが、これからも新しい作品を投稿していくつもりですので、応援よろしくお願いします‼︎
分厚い雲が消え、太陽が顔を出す。その光を受けて積もった雪が、少しずつ溶けていく。やっぱり、この雪の原因は向日葵にあったんだ。僕は小さくガッツポーズをする。
「やった、雪が溶けてきてる。僕たちは夏を取り戻したんだよ!」
そう言って春華の元に駆け寄ると、何とも言えぬ違和感を感じた。春華の表情が暗いのだ。かと言って雪が溶けるのを惜しんでいるようにも、夏を嫌がってるようにも見えないその表情は、なんだか寂しそうだった。
「もう終わっちゃったか。もう少しくらい、2人で居たかったけど、しょうがないよね。」
僕の方を見た春華は、やはり寂しそうな笑みを浮かべる。その言葉の意味がわからない僕は、意味もなく春華に手を伸ばす。その肌に触れたはずの手のひらは、春華の奥に咲いている向日葵に触れた。僕は驚いて、咄嗟に手を戻す。
「なんで……?春華の体が……。」
僕の口から溢れた言葉を聞いて、春華は笑う。その笑みは、短い旅の中で見た、あの柔らかい笑顔とは全く違っていて、無理をして笑っているようだった。
「ねえ、答えてよ春華。これはどうゆう事なの?もしかして、雪が止んだことと何か関係があるの?」
冗談のつもりで僕は雪と春華を結びつける。その言葉にゆっくりと頷いた春華を見て、僕の顔は引き攣ってしまう。
「ここは、夏輝の夢の中なんだよ。」
春華は、すました顔でそう答える。言っている事の意味がわからず、僕は何度も聞き返す。
「ここは夏輝の夢の中なんだよ。思い出してみて?現実だと有り得ないような事がたくさん起きてたでしょう。」
まるで答え合わせをするように春華は言う。しかし頭が真っ白になってしまっている僕には、言葉の意味が全くと言って良い程に理解できない。
「この雪も、全部夢だからって事なの…?」
かろうじて僕は言葉を紡ぐ。その言葉を聞いて春華は正解!と明らかに作られた明るい調子で笑う。
「他にもあるよ。例えば夏輝は、今日一日中、一度も寒いって感じてないよね?」
言われてから僕は気づく。僕は今日一度も寒いと口にしていない。手のひらを見ると、学校での出来事を思い出す。花瓶に水を入れ、向日葵を活けた時、僕の手は濡れていたはずだ。この雪の中の水が冷たくないはずがない。僕は思わず腕を抑える。手のひらに伝わる感触に僕は何か引っかかる。二の腕を見ると、遊園地でついた赤い汚れが残っていた。肌についたその汚れを拭おうとした時、僕は自分が半袖だということを思い出す。
「信じてくれた?このワンピースだって半袖だし、雪の中で着るのはおかしいよね。でもそれがおかしいことに気づけないんだよ。夢の中だから。」
そう言うと、春華はワンピースの裾を軽く持ち上げるとヒラヒラと揺らして見せる。それから息を整えた春華は言葉を続ける。
「そして、一番おかしいのが、死んでしまった私が夏輝の目の前にいること。」
今まで聞いた何よりも、理解ができない事を言った春華に、僕は言葉を失う。
「夏輝も観覧車の中で思い出したんじゃない?現実の私と過ごした時間の事を。」
その事を思い出したのか春華はそう言うと、ここに来て初めて明るい笑顔を見せた。僕は何とか声を絞り出す。
「思い出したよ……。思い出したけど、あれが現実なのかよ。たとえ一瞬でもあんなに辛い現実なら、僕は春華のいる雪の中にいたいよ。」
僕の頼りない弱々しい声を聞いた春華はゆっくりと首を横に振る。僕は理解ができず、先ほどとは打って変わって、怒声のような声をだす。
「なんでだよ!一緒にいることすら許してくれないのかよ!」
「一緒にいられるなら、私だってそうしたいよ。」
僕の言葉を遮るように発せられた春華の声は小さいものだったが、ハッキリと響いていた。春華の頬を一筋の水滴が滑り落ちて行く。
「私だって、そうしたかった。でも、夢に出るのだけでもかなり大変で、それをずっとなんて、到底できないんだよ。だから私は約束したの。」
涙で掠れる声で春華は叫ぶ。僕はもう、何も言えなかった。ただ、春華の言葉に耳を傾ける。
「夏輝の心を覆う雪が溶けるまで、私が夏輝の凍りついた心を溶かすまで、その間だけ私はここにいられたの。」
僕は目を見開く。この雪は僕の心を覆っていたものだったのか?僕の心は凍りついていたのか?いったい何故?その答えは春華の言葉の中にあった。
「私は病気の発作で死んじゃったの。あの日も雪が降っていて、とても寒い日だったんだ。」
春華の語る内容はスルスルと僕の頭の中に入って来て、それが鮮明に映し出される。
雪の中、春華が立っていた。見覚えのあるその場所で春華は、しきりに時計を見上げては誰かを待っているようだった。それから何度か咳き込むと、ハンカチで口を拭った。しばらく繰り返していると、いつの間にか一時間がたっていた。春華がまた咳き込む。しかし今度は、何かが違っていた。何度も、何度も咳き込む。口を抑えていたハンカチが積もっている雪の上に落ちる。その表面は赤黒い血に染まっていた。それを拾い上げると春華は辺りを見渡す。すると誰かを見つけたようで腕を大きく振って嬉しそうに笑顔を作る。そこにいたのは僕だった。僕が少しずつ春華の元に近づいて行く。その時だった。一際大きく春華が咳き込むと雪の上に赤黒い色が広がる。僕は持っていた傘を投げ捨てると春華の元に駆け寄る。その間も春華は咳き込み続ける。血溜まりはどんどん広がっていく。
僕は荒く呼吸をする。あれは、きっと、本当にあった事なのだろう。頭の中に流れ込んできた記憶が、僕にこれが事実であった事を認めさせる。あの赤黒い血を思い出して、僕は春華の方を見る。そこに立っているのは元気そうな春華で、あの血を吐いていた少女と、到底同じ少女だとは思えない。僕は不安から春華に手を伸ばす。虚空を掻いた僕の手を力なく引く。その様子を見てから春華は続きを話し始めた。
場面は病院へと切り替わる。搬送されて来た春華を追うようにして僕は走っている。咳き込み続ける春華に僕は何か大きな声で叫んでいるが、何を言ってるかはわからなかった。春華は僕を見ると力なく笑って言葉を口にした。
「ごめん、ね、夏輝。約束、守れそ、うにないや。本当、に、ごめんね。」
そう言うと春華は更に大きく咳き込んだ。途切れ途切れに紡がれる言葉は僕の心を抉るのには充分だった。緊急手術室に運ばれる春華を追おうとして僕は看護師に押さえ込まれた。
それからかなりの時間がたった。手術室から出て来た医師に僕は駆け寄る。その手術着の首元を掴むと僕は必死に春華の状態を尋ねている。残念そうに医師は首を横に振った。それを見た僕は床に膝から崩れ落ちる。それから床に拳をぶつけると1人、言葉を吐き出した。
「僕のせいだ。僕が2人で観覧車に乗ろうなんて約束したから。春華を雪の中、1人で待たせたりなんかしたから、僕が、僕が……。」
床を拳で何度も何度も殴りつける。指の付け根から溢れた血が床を赤く色付ける。慌てて看護師に腕を抑えられた。そんな僕の様子を見かねて医師が言う。
「春華さんは事切れるその瞬間まで、あなたに言っていました。本当にごめんなさい、幸せになってね、と。」
僕は力なく項垂れると、顔を抑えて座り込む。
「謝ったって、何の慰めにもならないよ。謝るくらいなら、一緒にいたかった。どうしてだよ、どうしてだよ春華……。」
やり場のない感情に任せて床を叩きつける。右手から更に血が溢れている。
更に場面は切り替わる。僕はフラフラと頼りない足取りで歩いている。俯いて歩く僕の目には赤信号が見えていなかった。車が強く僕の体を打つ。甲高いブレーキ音だけが響いていた。
僕はきっと唇を引き結ぶと春華を見る。同じように唇を引き結んだ春華が視界に入る。いつの間にか周りには緑が燦々と輝いている。夏が近づいていた。それに気がついた春華が言う。
「これが私の死の話。これから夏輝はこの現実に戻らなくてはならないの。もう時間がないから。」
だんだんと春華の体が薄くなっている。春華の存在が消え掛かっているのが明らかだった。僕は必死に春華に向かって手を伸ばすが、やはりすり抜けてしまう。そんな僕を気にせず春華は続ける。
「これから辛いことがいっぱい待ってるかもしれない。けど、夏輝に訪れる不幸は全部、私が持って行くから、だから、元気でね。」
僕はただ我武者羅に声を張り上げる。
「勝手な事言うなよ!自分が言いたい事だけ言って逃げるなんて卑怯だからな!だから、もっと、話をしようよ。声を聞いてくれよ……。」
懇願するように僕は言う。春華の顔が更に泣きそうになって歪んでいく。僕はいつの間にか流れ落ちていた涙を拭うと続ける。
「僕は春華の事を大切に想ってる。一番大切な人なんだ。いなくなったら耐えられないんだよ。僕は春華の事が、ずっと前から……。」
観覧車での続きを僕は口にしようとする。それに気づいた春華が遮るために大声を出す。
「やめてよ夏輝!もう死んじゃった私に言っても意味がないんだよ!それは現実を生きて、新しく出会った私じゃない大切な人に言ってあげてよ。」
途中からだんだんと声が小さくなっていった。必死に虚勢を張る春華に向かって僕は言う。
「好きなんだよ!春華!僕は春華の事が、他の誰よりも、これから生きていった先にも春華以上に想う人なんていないんだよ!」
春華がまるで子供のように泣きじゃくる。その体はもう腰の辺りまで見えなくなっていた。いよいよ本当に時間がない。涙で喘ぎ喘ぎな春華が言う。
「卑怯だよ……。卑怯だよ夏輝!そんな事言われたら、死ぬに死ねないじゃん!私だって本当は、もっと一緒にいたかった。生きている時に聞きたかった。でもダメなんだよ。無理なんだよ。それなら、私は大切な人に幸せになってほしいから。」
春華は大粒の涙を手のひらで拭うが、後から後から流れ落ちる涙は止まらない。
「お願い、私の事を忘れて欲しいんだ。夏輝は私の事をずっと想ってくれるってわかってる。でもそしたら夏輝は幸せになれないでしょう。」
その時だった。春華の体が透き通ると、この夢の世界に亀裂が入る。僕は春華に向かって必死に手を伸ばす。届かないとわかっていても、そうしてしまう。崩れ落ちた世界に足を取られ、僕たちは闇へと落ちて行く。
「春華!」
無我夢中で伸ばした手で春華を掴もうとする。落ちていく春華は、
「ありがとう、夏輝。楽しかったよ。」
そう言うと涙を一粒残して、体が完全に消えてしまう。伸ばした手のひらには春華が唯一残した水滴だけがあった。上を見上げると、亀裂の中に春華が映っている。その一つ一つが砕け散っていく。その度に僕の記憶の中から春華が抜け落ちていく。僕はただ春華の残した涙だけを握りしめていた。
目を覚ますと、白い天井が見えた。僕はゆっくりベットから立ち上がるが、バランスを崩して壁に手をつく。なぜだか息が苦しくて、手で口を押さえる。その時、僕の手を一筋滑り降りてきた水滴が濡らす。どうやら僕は泣いているらしかった。右手で涙を拭うと、ずっと閉じていた手のひらを開ける。そこには雪が乗っていた。それを見た時、僕は涙の原因がこの雪だと、なんとなく思う。僕の肌の温もりに、冷たい雪は溶けてしまって、雫となって落ちてしまう。それを見ているのが辛くって、僕は近くの花瓶を手に取ると、そこに雫を落とす。活けられていた太陽のように輝き、咲き誇る向日葵が一瞬、誰かの笑顔と重なって僕はなんだか懐かしくなった。僕は花瓶を窓辺に置くと窓を開く。地面には緑が生い茂り、空には入道雲が広がっている。その中に夕焼けが見えていた。僕は花瓶を両腕でとても大事に抱く。その中に活けられた咲き誇る向日葵は夕日に背を向け、凛々しく立っていた。