「お~、結構生き物がいるのよ」
「あれがドルミライトじゃなければ、降りて撫でてたところね」
ドルミライトは直接触れると夢の中に引き込まれる。それは獣の姿をしていても同じなのである。
夢の悪意が強い程、獣も獰猛になるという事が判明しており、襲い掛かってこない獣は見るだけにして触れないようにと、ネフテリアが厳重に注意していた。彩の力で捕獲して怒られたエルツァーレマイアも、アリエッタと一緒に大人しくしている。
一同は現在、そのエルツァーレマイアが創り出した箱の中で、周囲に注意しながらふよふよと進んでいる。ピアーニャの『雲塊』と同じ使い方をしているのだ。
最初は子供2人だけ乗せて歩いていたが、途中で起き上がったアリエッタが『みんなも一緒に乗ればいいのに』と、エルツァーレマイアに向かって呟いた事で、箱は大きくなり、全員が乗る事になったのだった。
(なんかサファリパークみたい)
(はぁ……アリエッタ可愛い……うふふ)
現在アリエッタはエルツァーレマイアの膝の上で、安全に周囲を観察中。
全員が箱に乗った時、アリエッタ以外の視線が交わり、火花を散らした。そこには何故かネフテリアとメレイズも混ざっていた。
1名だけ言葉は通じなかったが、その想いは同じだと、目だけで分かり合ったのだ。
さっきからいちいち可愛いこの生き物を撫でまわしたい!……と。
結果、ドルネフィラーでしか触れ合えないと思われている母親が、優先的に譲られる事となった。
メレイズも横から手を伸ばして、時々話しかけたり撫でたりしている。
「おねーちゃん達より先に、わたしが言葉おしえてあげよっかー?」
何気なく言ったその言葉に、ミューゼとパフィはピクリと肩を震わせ、真剣な面持ちで顔を見合わせる。
「……もう猶予は無いのよ、メレイズちゃんには気を付けるのよ」
「うん、油断ならないね」
2人は帰ったらアリエッタを構い倒して、もっと色々教えようと心に誓った…その時だった。
「んな!?」
「わぁっ!」
突然空中から何かが飛来し、箱の中心に爪を立てながら降り立った。
小型犬程の大きさのそれに、全員が驚愕。姿勢を低くし口を開け、ミューゼからはそれがニタリと笑ったように見えた。そしてその正体に気が付く。
「ディーゾル!?」
(ん? リスかな?)
アリエッタは覚えていなかったが、それはレウルーラの森でミューゼ達に拾われるきっかけとなった、牙と爪をむき出しにし森の中を滑空する、ムササビのような危険生物ディーゾルだった。
ミューゼ、パフィ、ネフテリアの3人は咄嗟に構えるも、次の瞬間ディーゾルはアリエッタに向かって飛びかかる。
「アリエッタちゃん危ない!」
『めれいず危ない!』
アリエッタとメレイズがお互いを突き飛ばして庇おうと横に向かって体を伸ばす。すると、
ゴチン!
「あうっ!」
『いぎゃっ!』
伸ばそうとしたお互いの手がスルーしてしまい、勢い余って頭をぶつけてしまった。そのまま2人とも弾かれる。
思わぬ形で目の前のターゲットを失ったディーゾルは、そのまま爪を空振りした。さらに、
『えっ……』
爪を空振りしたそのままの勢いで突き進み、視界を一部アリエッタに塞がれていたエルツァーレマイアの顔面へ衝突したのだった。
『あだっ!?』
「ぷっ」
ネフテリアが小さく噴き出したが、それどころではない事態の為すぐに持ち直す。
「みんな警戒! 悪夢と接触した!」
叫んだ瞬間、ディーゾルが急激に形を変えた。紫色の闇とも思えるその物体は、その場の全員を包み込み、全員の視界を遮っていく。
『あれ? アリエッタ?』
悲鳴やお互いを心配する声がだんだん小さくなっていく中、頭をさすっていた女神だけは、動揺すらせずに首を傾げながら飲みこまれていくのだった。
「……ここは?」
ゆっくりと目を開けたミューゼ。すぐに周囲を確認するが、誰もいない。
その代わり、見た事の無い景色が広がっていた。
「うーん、どこだろう……」
岩肌がむき出しの丘の頂上にミューゼは立っていた。空は明るい青色で、近くに草木等は無いが、少し離れた場所には緑が生い茂っている。そしてその緑は、地平の彼方まで続いていた。
「これが悪夢? ずいぶんと静かだけど……あっ、アリエッタは!?」
慌ててアリエッタがいないか見渡すも、どこまでいっても何もない草原である。
そこには人の気配は何も無かった。
「おぉーい! アリエッター! パフィー!」
大声で呼びかけてみるも、返事は無い。
そこでふと視界の下の方に、動いている何かが見えた。それは地面である。地面の表面がユラユラと揺れて見えていた。
「ん? これって影? えっ!?」
不規則な網目のように見える黒いそれは、明らかに地面に映った影だった。それが常に動き続けている。
地面に映ったその影を見て、ミューゼは慌てて上を見た。
「うわぁ……もしかして池か湖の真下にいるの?」
青い空だと思っていたら、上にあったのは空ではなく大量の水だった。空の色を屈折・乱反射して青みを増していたのである。そして地面に映った影は、水面を照らすと底にゆらゆらと動いて見える水面の影だったのだ。
この場所をすぐに池だと思った理由は、こういう場所を時々遠くから観ていた為である。そう、ミューゼにはこの場所の心当たりがあった。
「もしかして、ここって……」
同じくパフィも、1人で佇んでいた。
岩の間を流れる小川を眺めながら、アリエッタを中心に全員の安否を気遣っている。
「困ったのよ」
視線を小川の向こうへと移した。その先には……何も無かった。崖となっていて、地面は無くなっているのだ。見えるのは空だけ。
ゆっくりと斜め上に向かって流れていく雲を眺めながら、現状を整理しようとする。
「世界の端か何かなのよ? いくら夢だからって、むやみに落ちる勇気なんて無いのよ」
そう言いながら、後ろを振り向いた。
「………………うん?」
パフィの動きが完全に止まった。というのも、その目の前には、視界を埋め尽くす緑があったのだ。
左右を見渡すと、その壁は遠くまで続き、上に視線をずらしていくと、水が浮かび、木が壁からまっすぐ生え、岩も壁にくっついている物や浮いている物がある。
木を見て不思議に思ったパフィは、壁に近づいて緑のモノを観察してみた。よく見るとそれらは壁から生えた雑草に見え、その奥には土がある。
「……もしかして、私が壁に立っているのよ?」
草木の向き、雲の流れを見て、自分の置かれている状況を理解した。想像通りならば、足元に流れている小川は、崖に張り付いて流れているという事になる。
確認する為に、自分の体を草木と同じ方向に倒し、周囲を再度見渡すと、その疑惑は確信へと変わる。さらに、
「……なーんか、見覚えがあるのよ」
その景色は、別の疑惑を生み出していた。
緑が生い茂る森の傍で、ネフテリアは塞ぎこんでいた。
「うぅ、不覚だわ。まさか上から来るなんて」
警戒をしていたにも関わらず、まんまと悪夢のドルミライトに触れさせてしまった事を悔いていたのだ。
しかし、そこはどれだけ連れ戻されてもめげない王女。大きく息を吐き、勢いよく立ち上がり、頬を叩いて気合を入れ直す。
「さーて、みんなを探さないと!」
そう言って周囲を改めて見渡したネフテリアは、心底嫌そうな顔になった。
「うわぁ、ここってグラウレスタじゃないの」
現れた悪夢がディーゾルの姿だった事も相まって、今いる場所がどこか、すぐに気づいたのである。
ミューゼとパフィがこの場所に見覚えがあったのも、時々来ているリージョンだったからだ。
「危険な野生生物が生息するこのリージョンに、1人で放置される状況かぁ。そりゃ悪夢だわ……。アリエッタちゃんとメレイズちゃん、大丈夫かしら。食べられてトラウマ抱えなきゃ良いけど……」
ここは夢の中なので、肉体的に死ぬ事は無い。しかし、夢によってもたらされる精神状態だけはどうしようもない。
最悪の事態にならないよう祈りつつ、このままじっとしていても仕方ないと、ネフテリアは気の向くままに、森を背にして歩き出した。
ミューゼ達が状況を理解し、動き出そうとしたその頃……
『びえええええええええ!! みゅーじぇえええええ!! ばびいいいぃぃぃぃ!!』
ミューゼ達と同じく、1人になってしまったアリエッタは、全力全開で泣き虫を発揮していた。もちろんエルツァーレマイアもメレイズもいない。
誰もおらず、何も無いその場所で、完全にへたり込んで大泣きしているのだった。
そう、何も無いのである。
『ここどごおおおぉぉぉ!! こあいよおおおおおおおおおお!! たしゅけてえみゅーじぇええええぇぇ!!』
止むことの無い泣き声が、大空に響き渡る。しかし、たとえどんなに大声で叫んでも、たった1人の声量では遠く離れた大地に届く事は無い。
アリエッタのいる場所は、グラウレスタの上空だった。
あまりにも高い場所で座り込んで、どうしたらいいのか分からずに、ただ大泣きする事しか出来ないのである。大人でも怖くて当然の場所なので、精神が一部女児化しつつあるアリエッタでは無理もない。
正常な判断力を失い、腰が抜けて動くことも出来ないまま、うっすら視認できる虹の側面で、正面にある大地の方に向かって、ミューゼとパフィの名を呼びながら泣き続けるのだった。
ちなみにエルツァーレマイアを示す『ママ』という単語は、残念ながら一度も叫ばれていない。
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