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東屋 朧
蒼乃(キャラボ中〜!)
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駅まであと一ブロックというところだった。商店街の端の路地を抜けた先、少し広い歩道に出た瞬間、前を歩いていた慧が僅かに歩調を緩める。
「あら」
思わず何かを見つけた、といった声音を慧が漏らした。そのような言葉が慧の口から出るのは珍しいため、遥は思わず前を向く。見ると、歩道の向こう側から二人の女が歩いてきていた。
一人は、毛先が紫のハーフアップ。黒のロングコートに厚底ブーツ。幼い顔立ちにチョーカーが覗いている。もう一人は、金髪のツインテールをグレーコートの外に出したまま、スマートフォンを見ながら歩いていた。
遥は彼女らを一瞬で認識した。小夜も同じタイミングで気付いたらしく、遥の袖をつまむ指先に力が入る。
栞が先に顔を上げた。歩道の向こうで一行と視線が合った瞬間、彼女の目が微かに瞬く。驚き――というより、予期していなかった再会への認識が静かに広がる様子。夢露はまだスマートフォンを見ていた。
「栞、ここ曲がるんだっけ……」
「夢露」
「なに」
「前」
言われた夢露はすぐに顔を上げる。歩道の真ん中で、五人と二人が向かい合っていた。夢露の目が一行を端から端まで流れる。慧、凪、ソフィア、小夜――そして遥で止まった。止まった目が、次の瞬間に見開かれた。
「……っ」
声にならない何かが夢露の喉で詰まった。スマートフォンを持つ手が微かに震える。ツインテールが、夜風もないのに揺れた気がした。
「あ、あっ」
夢露が口をぱくぱくさせながら言う。
「あの!」
また言った。
「楽器屋の」
なるべく唇を動かさず、凪が小声で遥に聞いた。
「……誰? 不審者?」
「下北沢の店の人間だ」
「あー、例の四人組の」
「今日は二人だけだな」
以前に見た映像と実物の顔がようやく合致したのか、凪は納得したように黙る。その小声のやり取りを聞きつつ、栞が一歩前へと進み出た。その動きは自然で落ち着いている。視線が遥と小夜を交互に見て、それからゆっくりと全員を見渡した。
「こんばんは。……奇遇ですね」
「奇遇だな」
何の感動もなく遥が答えた。対する栞は少しだけ目を細めた。楽器店での一件を思い出している、という顔だった。しかしその瞳には警戒より先に、純粋な興味の色があった。
「お連れの方たちとご一緒なんですね」
「ああ」
「楽しい夜でしたか」
「まあ」
「それは良かった」
栞の声はずっと穏やかだった。しかし視線が、遥の隣にいる小夜へと向いたその瞬間だけ――栞の表情が少しだけ柔らかくなった。
「こんばんは」
「……こんばんは」
小夜が返した。遥の袖をつまんだままじっと栞を見ている。警戒というほど強い色ではないが、ただ出方を窺うような目つきだった。
その間も夢露は固まっていた。スマートフォンを胸に抱えたまま、遥に視線を投げ続ける。もはや凝視に近い。夜の歩道の真ん中で、往来の人間が二人の間を通り過ぎても彼女は動かなかった。その遥の横で、凪が怪訝そうに小声で言った。
「あの金髪の子……お前のことずっと見てるけど」
「知ってる」
「いや知ってる、じゃなくて」
小夜の視線が遥から夢露へ移動した。金髪女が遥を見ている。その事実を小夜は一秒で計測した。遥の袖をつまむ指先がまた少しだけ強くなる。ややあって、夢露がようやく口を開いた。
「……また会った」
声がいつもより低い。陽気なウザ絡みのトーンでなく、本気で狙いを定める調子だった。
「ああ」
遥が答えた。
「私、有栖川夢露って言います」
夢露は一歩前に出た。ツインテールが揺れる。碧い夜の光の中でその目が真剣だった。
「お兄さん。名前は」
「黒瀬」
「下の名前」
「遥」
「黒瀬遥くん」
夢露は繰り返した。まるでその名前を、頭の中の大切な場所へ刻み込むような繰り返し方だった。
「……ねえ」
「なに」
「これ、絶対運命だよね。ね」
遥は一秒だけ間を置いた。
「そうは思わない」
「思ってなくても運命なんだよ」
「理屈が成立してないぞ」
「恋愛に理屈は要らないの」
慧が口の端を上げた。ソフィアの碧眼が僅かに剣呑な色を帯びた。凪が”面白くなってきた”と小声で茶化した。すると、栞が夢露の隣に並ぶ。
「夢露」
「なに、栞」
「自己紹介、ちゃんとして」
「したじゃん今」
「ちゃんと……だよ」
夢露は少しだけ頬を膨らませてから、全員に向かって言い直す。
「改めて有栖川夢露、二十一歳。下北沢で楽器屋やってます。……以上」
「以上。じゃないでしょ」
「じゃあ栞がやって」
栞は少しだけ息を吐いてから、全員へ向けて穏やかに言った。
「神崎栞です。二十歳。同じく楽器屋に――」
「さよちゃん!」
栞の自己紹介が終わる前に、夢露が小夜の名前を呼んだ。
「さよちゃん、だよね。楽器屋に来てた子」
小夜が夢露を見る。栞が微かに目を細めた。
「……どうして知ってるんですか、名前」
「えっ、栞が教えてくれた」
「私が教えた、というか……遥さんが妹さんの名前を呼んでいるのを聞いただけ」
「あー、そっか。じゃあ自然に覚えた感じ」
小夜は夢露から栞へ目線を移すと、遥の袖から離れて一歩だけ前に出た。
「……黒瀬小夜」
名乗った。短く、しかしはっきりと。
「遥の妹」
それだけ言って再び遥の隣に戻る。戻りながら、自然な動作で遥の腕に自分の腕を絡めた。楽器店でのあの時と同じように。カラコンの入った夢露の赤い目が、絡まったその腕を一瞬だけ捉える。そこで慧が前に出た。
「桐生慧といいます。遥の知人です。こちらは灰谷凪」
「どうも」
凪が軽く手を上げた。
「それから、ソフィア・ベルンシュタイン」
「はじめまして」
ソフィアが丁寧に頭を下げる。プラチナブロンドの髪が、夜の光を受けて艶やかに揺れた。夢露が慧を見て、凪を見て、ソフィアを順番に見た。それから遥へと視線を戻す。
「……みんな、仲良いんだね」
「まあ」
「今夜、どこか行ってたの?」
「食事だ」
「もしかして焼肉?」
遥が少しだけ目を細めた。
「……匂いか」
「なんとなく雰囲気で」
実際には、遥の作業着に微かな焼肉の香りが残っていたのだが、夢露はそれを指摘しなかった。代わりに目をきらりと光らせる。
「ねえねえ、次は私たちも誘ってよ」
「誘う理由がない」
「あるじゃん。また会ったんだから」
「偶然会っただけだ」
「偶然は必然の別名だよ?」
「言ってることが微妙に変わってないか」
「細かいこと気にしない」
栞が夢露の腕に手をかけた。
「夢露、そのくらいにしておこ」
「でも栞――」
「駄目です」
栞の声は穏やかだったが、その穏やかさの底に折れない何かがあった。夢露はぐっと口を結ぶ。完全に不満そうだったが、栞の言葉には従った。すると、全員に向かって栞はもう一度頭を下げた。
「夜遅くに引き止めてしまって、すみません。……お店にも、よかったらまた来て下さいね」
最後の一言は全員に向けていたが、視線だけは小夜に向いている。小夜はそれを受け取り頷いた。
「……それじゃあ」
栞が夢露の背中を突いて促す。夢露は足の向きを変えながらも、歩き出す直前に遥を振り返った。
「遥くん、絶対また会おうね」
「さあ」
「さあじゃなくて」
「縁があればな」
「その縁は作る! 私が!!」
強烈に向けられる好意に対し、遥は何も返さない。夢露は一秒だけ遥を見てから、栞に引っ張られるようにして歩き始めた。角を曲がる直前にもう一度振り返り、今度は言葉なく手だけを振る。栞が隣で小さく会釈した。二人の姿が路地の向こうへ消えていく。
しばらく誰も口を開かなかった。夜風が一度だけ吹いた。
「……元気な子だったな」
軽く疲れたように凪が言う。
「夢露さんの方か」
「そう。なんか、エナドリの化身みたいな人間だった」
「上手いこと言うね」
慧が口の端を上げた。ソフィアは夢露たちが消えた路地の角を、少しの間だけ見ていた。それから前に向き直ってコートの前を合わせる。
「……行きましょうか」
「そうだね」
全員が歩き始めた。小夜は遥の腕に絡めたままの腕を解かなかった。むしろ、さっきより少しだけ力が入っていた。遥はそれに気付いていた。
「……夢露って子」
小夜の低い声だった。
「ん」
「遥と……また会うつもりでいる」
「かもな」
「……嫌じゃないの」
「別に」
「え? 何それ」
「縁があれば会うし、なければ会わない。それだけだ」
微かに口を尖らせつつ、小夜は少しだけ間を置いた。
「……縁、あると思う?」
遥は少し考えてから言った。
「さあ」
「またそれ」
「お前はどう思う」
「……ありそう」
「そうか」
「……遥は嬉しい?」
「嬉しくはない」
「本当に?」
「ああ」
小夜は遥を横目で見やる。遥は前を向いたまま、しかし嘘を吐いている顔ではなかった。小夜はそれを確認してから前を向く。絡めた腕の力がほんの少しだけ緩む。安堵に近い緩み方だった。
駅の改札が見えてきた頃、慧が遥の隣にそっと並んだ。
「栞さんという子。面白い目をしていたね」
「ああ」
「小夜ちゃんのことが、本当に気に入っているみたいだ」
「見ていれば分かる」
「小夜ちゃんはまた行くかな。楽器屋」
「さあ。本人次第だ」
慧は少しだけ間を置いてから声を落とした。
「遥」
「ん」
「彼女たちとの距離感は当面、何も起きない限り、今夜みたいな感じで保った方がいい。敵でも味方でもない状態が一番扱いやすい」
「分かってる」
「そう言いつつ、夢露さんの誘いを真っ向から断ってたけど」
「断るのと敵対するのは別だろ」
「……それはそうだね」
慧は少しだけ笑い、それ以上何も言わなかった。
最初に改札へ向かったのは凪だった。パーカーのポケットに手を突っ込んで、歩きながら何かを探し始める。右のポケット、左のポケット、内ポケット、また右。その動作が徐々に焦りを帯びてきた。
「……あれ。交通系、どこだっけ」
立ち止まりかけながら言った。
「ちゃんと管理してください」
ソフィアが即座に返した。呆れの色が敬語の丁寧さで薄まっていたが、薄まり切ってはいなかった。
「いや、パーカーのポケット多すぎて一瞬焦るんだよ。どこに入れたか分からなくなる」
「ポケットの多さは管理能力に直結しません」
「……」
凪は口を結ぶ。反論しようとして諦めた、という感じだ。やがて凪が”あった”と言いながら、パーカーの一番内側のポケットからICカードを引っ張り出した。どう見てもそこには入れないだろうという場所から出てきたそれを、ソフィアが一瞥して小さく息を吐き出す。慧はその一連のやり取りを、少し離れた場所から眺めていた。口の端が静かに上がっていた。グラスを持つ手つきと同じ種類の、ゆったりとした笑い方。
その光景を尻目に、小夜が遥の耳のそばで囁いた。周囲には届かない音量で、前を向いたまま彼だけに向けて言葉を落とす。いつもの小夜のやり方だ。
「……栞って子」
「ん」
「また来て……って言ってた」
「聞こえてた」
小夜は少しだけ間を置く。夜風が髪を揺らした。ピンクのインナーカラーが街灯の光の中で一瞬だけ滲んで、また暗がりに沈んだ。
「……行ってもいいと思う?」
「お前が行きたいなら行けばいい」
「遥も来る?」
「ああ。必要なら」
小夜はそれを聞いて少しだけ間を置いた。考えている、という間ではなかった。遥の答えを胸の中で一度受け取ってから、仕舞い込んでいるような――そういう間だった。
「……考えとく」
それだけ言うと、また遥の腕に少しだけ寄った。彼はそれを気にする様子もなく、歩調をそのまま保った。前を行く慧と凪とソフィアの声が、風に乗って後ろまで届いてくる。凪がまた何かを言い、ソフィアが切り返し、慧が笑っている。今夜ずっと続いていたあの音だった。
改札が近付いてた。ICカードをかざす音が順番に続いていく。慧が先に通り、ソフィアが続き、凪が少しだけ手間取りながら通った。その後、遥は小夜の前を先に通した。小夜が改札を抜ける。ピアスが揺れた。
ホームへ降りる階段の先に電車の光が見える。白くて、まだ遠かった。改札を抜けた瞬間、冷えたホームの空気が顔に当たる。残っていた焼肉の匂いが少しだけ薄くなった。
今夜が終わりに近付いていた。小夜は階段を降りながら、また遥の腕に指先を引っかける。”また来てね”と言った女の声を、彼女はまだ頭のどこかで聞いていた。栞、という名前が、小夜の中で静かに腰を下ろし始めていた。