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「菊!」
今日も、診療所の西側の窓を覗き込む。しかし─────何故か彼の姿は、無かった。
「…………あれ?」
一体何処へ…………と、首を傾げていると、
「勇さん、そっちじゃないです!」
上から降りかかる、菊の声。
思わず見上げると、菊が2階のバルコニーの柵から身を乗り出し、こちらを見下ろしていた。
「こんにちは、勇さん!」
*
「菊…………お前、そんなところにいたのかよ!」
「ええ、 治療のあれで…………」
「…………成る程なんだぜ」
菊がいる場所の近くにちらほらと見える、幾つかの寝台。
先程の菊の言葉と、それらを照らし合わせた俺は────彼が何の病を患っているか、それで分かってしまった。
彼は…………不治の肺の病に冒されているのだ。
「それよりも、横にならなくて大丈夫なんだぜ?」
「少しの間なら大丈夫ですよ。今日は体調が良いんです」
「でも、無理は禁物なんだぜ!」
「分かってますよ、ご心配有り難うございます」
菊は苦笑して、寝台の方に戻った。
「後で病室の方に戻ります。それまで窓の方で、待っていてくれますか?」
*
暫くして、菊が病室に戻ってきた。
同伴していた壮年の看護婦が、窓の外の俺を見て、「お友達の方?」と彼に尋ねる。
「ええ、そうです」
そう、嬉しそうに答える菊に…………こっちまで、何だか嬉しくなる。
「そういえば菊、あの胡瓜、食べたんだぜ?」
「ええ、半分は食べて…………半分は身内に持ち帰って貰いました」
「どうしてなんだぜ?」
「結構大きい胡瓜だったのもあるんですが……ぬか漬けにして貰おうと思って。生でとっても美味しかったので、ぬか漬けにしても、きっと美味しいと思います」
────ブゥゥン。
またも上空を、B29が横切る。今度は、5機も。
「…………飛んでいますね」
「ああ。あの数だと……また帝都まで、人を沢山殺しに行くんだろうな」
「…………」
「日本はアメリカを、舐め腐り過ぎたんだぜ。銃後の守りも、へったくれも無いんだぜ」
「それを言っちゃあ…………現地で戦ってる人が、それこそ報われないですよ。現に私の父が、フィリピンの海上にいるので…………」
「…………軍人なのか、お前の親父」
「海軍大尉です」
「…………」
*
暫くの沈黙の後、俺は言った。
「別に軍を責めるつもりは、微塵も無いんだぜ。ただ、俺は……この戦争に意味があるとは、到底思えないんだぜ」
「…………でも、もう起こってしまったことです。今更止めようがありません。どれだけ本土が破壊されても、私達は戦争の終結を願うことぐらいしか出来ない。例え負けという結果であろうとも、ね」
菊が寂しく笑う。彼が一番────この戦争に対して、複雑な思いを抱いている。俺と同じ思いであれど、父親が軍人であるなら、尚更だ。
「私の望みは…………まだ私が生きているうちに、父が帰って来てくれることですね。短い余命を、唯一の家族と過ごしたいんです」
「唯一の家族…………ってことは、お袋は?」
「私が3歳の時に亡くなりました。今私が罹っているのと同じ病────結核で、です」
「…………そうか」
俺は何とも言えない気持ちになり、徐ろに俯いた。
菊は「そんな顔しないで下さい。まだ叔母さんがいますから……」と言って宥めたが。
それでも家族と親族は別物だと、俺は思う。