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その日は、生憎の雨だった。
それでも今日の農作業を無事終え、親には寄り道すると告げ、傘を差してあの診療所に向かう。
西側の窓に近寄ると、いつものように菊が窓を開けてくれて、笑顔で挨拶してくれる────筈だった。
「…………?」
おかしい、開く気配が無い。不在なのだろうか。しかし今日は雨だ。2階のバルコニーにいる筈がない。
それでも徐々に近付くと、微かに聞こえてきたのは、苦しげに咳き込む声だった。
────嫌な予感がする。俺は駆け足で窓まで辿り着き、覗き込んだ。
そこにいたのは、止まらぬ咳に苦しむ、菊の姿だった。口を押さえている手指の隙間からは、赤黒い液体が吹き出しては、ぼたぼたと滴り落ちている。
────喀血だ。
「っ、菊…………!!」
俺は咄嗟に窓ガラスをバンバンと叩き、大声で叫んだ。
「誰か…………っ誰かぁあぁ!!」
*
かくして俺は、菊の担当である壮年の看護婦と、診療所の廊下にいた。
あれから近くにいたと思しきその看護婦が俺に気付き、同時に血を吐く菊に気付いてくれた。彼は応急処置のために別所に運ばれた。
そして俺は「このまま外にいてもあれでしょう」と看護婦に手招きされ、診療所の中に入れて貰えることになった。
「その…………彼のためとはいえ、乱暴な真似してすみませんでした…………」
先程の無礼を看護婦に謝ると、彼女は笑って答えた。
「良いのよ。貴方のお陰で、菊君のことに気付けたわけだから……貴方が菊くんを助けたのよ」
「そんな、そう言って貰えて有り難い限りです。ところで、彼の病状は…………」
「…………残念ながら、着実に悪化しつつあるわ。あの子がここに来たのは、去年の春なんだけど…………その時と比べて、明らかに酷くなっているわ」
「っそう…………ですか…………」
確実に死へと導かれつつある、菊の命。そんな不幸な運命にある、残された日々。
そんな、想像を絶する悲しみと苦しみを抱えた彼のために────俺は何が、出来るだろう。
*
「…………さっきは見苦しいものを見せてしまって、すみませんでした」
病室に来た俺に、青い顔をして謝る菊。先程の喀血で、心身共にすっかり参ってしまったらしい。
「俺は大丈夫なんだぜ。それよりも、苦しくないか?」
「今は…………辛うじて落ち着いています」
「…………そうか」
「それと、その…………あの時は助けてくれて、有り難う御座いました。何か礼が出来れば良いのですが、生憎こんな身なので…………」
「別に礼なんて良いんだぜ。苦しい人を助けるのは、当たり前のことなんだぜ」
俺がニカッと笑ってそう言うと、菊も微かに笑った。
「そういえば…………勇さんがここにいるのは、何気に初めてですよね」
「…………確かにそうなんだぜ。いつもは窓の外だからな」
「その、貴方が良ければ…………これからは私の病室まで、来て貰えませんか?看護婦さんや先生には、私から説明しますので……………」
「…………良いのか?」
「私がそうしたいんです。貴方の存在を、もっと近くに感じたいんです。色々と話せる年の近い相手が、ここには殆どいないのでね…………下らぬ我儘ですが、何卒…………」
ゆっくりと、頭を下げる菊。答えなんて、もうとっくに決まっている。
「…………勿論なんだぜ、菊」
刹那────雨音に混じり、ブゥンと、B29のエンジン音だけが聞こえる。
アメ公の連中は、今日も「絶好調」らしい。
*
「そういえば俺達って、お互いの年齢知らないよな」
「…………そうですね」
「差し支えなければ、教えて欲しいんだぜ」
「…………18歳です」
「え、嘘だろ…………もっと若いと思ってたんだぜ。てっきり14、15くらいかと」
「かくいう貴方は幾つなんです?」
「…………14なんだぜ」
「 え…………そんな立派なナリで、14歳なんですか?」
「…………よく言われるんだぜ」