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うめぼっち

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#溺愛
うめぼっち

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うめぼっち

609
#ざまぁ
うめぼっち

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リアーヌは、大浴場の湯に浸した自分の手を見つめていた。
白い指先。湯に濡れた肌。指の間から、細い水の筋が流れ落ちていく。
以前なら、この光景を見るだけで汚辱感に苛まれた。いくら洗っても、見えない汚れが全身にこびりついているような気がした。けれど、今は違う。
リアーヌは、ゆっくりと腕を撫でた。もはや、何も感じない。湯面に、小さな波紋が広がる。何故だろう。ソル=アンリに買われて、不快でなかったわけではない。むしろ今までの客の中でもっとも汚らわしく、屈辱的な相手だった。なのに何故、汚辱感が消えたのだろう。仕事に慣れたわけではないのに。リアーヌは目を伏せた。そして、気づく。
自分の中に、明確な目的が生まれたからだ。ソル=アンリとファティマを、処刑台に送る。そのために、自分は娼婦として生きる。歪んだ制度を利用して成り上がる、そう決めた。その瞬間から、客に何をされようと、それは『結果』ではなくなった。目的に至るための『過程』に過ぎなくなった。
屈辱が消えたわけではない。苦痛がなくなったわけでもない。ただ、それらの経験が自分自身を否定するものではなくなっただけのことだ。どれほど客を取ろうとも、誰と何をしようとも、汚れるのは表層だけ。そのことに気づいたのだ。
リアーヌは、そっと湯をすくった。手のひらに溜まった湯が、指の隙間から零れていく。浴室には、湯の音が静かに響いている。漂っていたシャボン玉が、目の前でひとつ弾けた。その小さな泡を見つめながら、リアーヌは薄く笑った。
──私の本質を損ねることなど、誰にもできない。
そう意識した途端、脳裏に在りし日の両親の姿がよみがえる。
誰も、いかなる権力者も、私も、父や母を救えなかった。誰の手も、誰の思惑も、真実には届かない。無力だ。誰も彼も皆。それは絶望であると同時に、救いでもあった。エドワールの侮辱が父に届くことはない。ソル=アンリやファティマが父に冤罪を着せ、処刑しても、父と共に歩んだ日々が消えるわけではない。この世には、決して変えることのできないものもある。それを知っているからこそ、汚れるのは表層だけだと確信できるのだ。
◇
「館に来て早々、殿下をかどわかすなんて。どこまで恥知らずな女なのかしら」
館内清掃のために集まった《灰の奉仕者》の前で、イレーヌはリアーヌを見やりながら、聞こえよがしに吐き捨てた。これまで彼女は二人きりの時にしか悪意を見せなかったのに、今日は他の娼婦たちを巻き込もうとしている。現に、イレーヌに同調するように半笑いを浮かべながらリアーヌを見ている者もいた。いつものように従順に振る舞えば、加害行為はエスカレートする一方だろう。イレーヌにはすでに、水を浴びせかけられたことがある。その結果、熱を出して仕事を休んだ。あのようなことが繰り返されるようでは、復讐以前の問題だ。
──ここで退くわけにはいかない。
リアーヌは冷ややかな目をイレーヌに向けると、はっきりとした声で答えた。
「あなたは何も見ていなかったのね。仕事をする気がないからかしら。私は殿下を誘惑していない。私が殿下に選ばれただけよ」
「……何それ。自慢? 貴族の誇りはどこに行ったの」
イレーヌは顔を引きつらせながら、無理に笑おうとした。
なんて醜い顔だろう。リアーヌは笑わなかった。まっすぐ相手を見据えながら、記憶の中にある名を呼んだ。
「──イレーヌ」
「その名前で呼ばないで。私はアイリーンよ」
「いいえ、イレーヌ。私は娼婦のアイリーンではなく、貴族令嬢としてのあなたに問いたいの。イレーヌ、あなたの言う貴族の誇りって、何?」
「それは……」
イレーヌは口ごもる。彼女には答えられなかった。そしてそれは、リアーヌの予想したとおりでもあった。イレーヌは憎らしそうにリアーヌをにらみつける。イレーヌが言い訳を口にする前に、リアーヌは追い討ちをかけた。
「娼婦でありながら客を拒み、娼婦として働いている女たちを見下すことが、あなたの言う貴族の誇りなの? 高貴な身分を失い、娼婦になったという現実を受け入れられないだけなのに、一人で安全な場所に隠れて、自分だけは綺麗なつもり。どこまで醜い女なのかしら。こんな女が騎士になろうとしていたなんて……」
リアーヌはいったん言葉を区切り、顎を軽く上げた。
そしてイレーヌを見下すような目で見ると、せせら笑いながら言った。
「──神と王家と民衆に対する裏切りだわ」
イレーヌは言葉を失い、ただただ怒りに震えていた。吊り上がった細い目がさらに細く吊り上がり、半眼になった青い黒目はよりいっそう小さく見える。周囲を巻き込もうとしたことが裏目に出たのだろう、プライドの高い彼女は、リアーヌに剥き出しの感情をぶつけることすらできずにいる。それでも彼女の震える拳と荒々しい鼻息が、その怒りの激しさを饒舌に語っていた。
リアーヌはイレーヌの肩に触れた。
「邪魔よ、アイリーン。そんな場所にいられたら、掃除を始められないわ」
イレーヌは動かない。ぎりぎりと歯を食いしばるだけで、何も言おうとしない。
「……聞こえないのかしら。この館でもっとも売れない娼婦……男に選ばれようともしない女が、わかったような顔をして娼館の清掃を仕切らないで」
不意にイレーヌの鼻息が、甲高い音を立てた。まるで笛のようにピーピーと鳴っている。その場に集う女たちの中から忍び笑いが漏れた。笑ってはいけない──そんな空気が、かつては高貴な令嬢だった女たちのすり減った心の隙間に忍び込み、爆笑を巻き起こす。
この日以降、館内清掃時にイレーヌがリアーヌをいびることはなくなった。
コメント
1件
リアーヌの「汚れるのは表層だけ」という境地、凄みがありますね。屈辱を否定するんじゃなくて、目的のための過程に変える——その思考の切り替えで彼女の存在がまるで変わった。イレーヌへの反撃も綺麗でした。あの「裏切りだわ」は一言で立場をひっくり返す台詞で、読んでいて痛快でした。