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コーヒーを買いに行って、戻ってからの松尾の気迫はすごかった。元々今日中に終わらせようと思っていた仕事だが、まさか残業しないで終わらせられるとは思っていなかった。
あのコーヒーを買いに行っている間に何があったんだ? 気になっていると、松尾が恭介の顔をじっと見て不気味に笑う。
「今日早めに終わらせて飲みに行こうぜ。美味い店を見つけたんだよ!」
残業のつもりでいたから、飲んで帰るくらいはいいかと了承した。
想像以上に早く終わり、松尾に案内された店は、会社から少し離れた場所にある居酒屋だった。
「この間食べてさ、すごく美味かったんだよ! 特に干物系が最高」
店内はたくさんのサラリーマンや若者で賑わっていた。かなり待たされるかと思っていたのに、すんなりと、しかも個室に案内されたので、恭介の中で不信感が沸々とわいてくる。
いつ予約したんだ? 怪訝そうな表情を浮かべる恭介に気付き、松尾は背中をぽんぽん叩く。
「……何か企んでます?」
「お前って本当に察しがいいよなぁ。まぁいいから入れよ」
障子の扉を開いて渋々中に入ると、二人はテーブルを挟んで向かい合って座る。
「畑山ちゃんとのことをもう少し詳しく聞きたいなぁと思ってさ。お前何頼む?」
「じゃあビールで」
「了解」
松尾はタブレットで注文をしていく。恭介に何も聞かずに食材を頼むのはいつものことだった。
「で、どんな話ですか? 大体のことは昼間話しましたけど」
「……畑山ちゃんってさ、去年の四月からオーブの受付に採用されたんだよ。人見知りなのに受付をやらされてるものだから、いつもあんな感じ」
「確かに昔から人見知りでしたね」
智絵里が親しくしていたのはほんの数人。その中にもちろん俺も入っていた。たぶん男では俺だけだったと思う。
智絵里は気付いていなかったが、男子の間では高嶺の花と呼ばれていた。キレイで勉強も出来る。それ故、話しかけられない男子ばかりだった。
俺は智絵里の親友が気になっていた。その子は小柄で可愛く、まるで小動物のようだった。ただ俺はその子にアピールしたくて、彼女が好きだった男に最低な発言をしてしまった。その俺を唯一叱ってくれたのが智絵里だった。
あの頃から裏表なく接してくれたし、不貞腐れた俺で良いと言ってくれた。だから智絵里の前では素直になれたんだと思う。
「でさ、かなりの男嫌い。触られると拒否反応を示すらしい。だから受付業務を日比野ちゃんとわけてるんだって」
「……そうなんですか? 知らなかった……」
「あとね、めちゃくちゃお酒に弱い。しかもタチが悪いのが、体は酔うのに頭は酔えないんだと」
「……意味がわからないんですけど」
「つまり、たった一杯のお酒で体はフラフラ。でも意識はしっかりしているんだよ」
得意そうに話してすぐ、松尾のスマホが鳴った。メッセージを確認するとニヤッと笑う。
「お前さ、畑山ちゃんとちゃんと話したいと思う?」
「それはまぁ……」
「じゃあさ、隣の個室のドアを開けてみな」
「はっ?」
「そのかわり、畑山ちゃんに何かしてみろ。俺と日比野ちゃんがお前を社会的に抹殺してやる」
「……笑顔で怖いこと言うの、やめてくれます?」
恭介は障子を開けると、松尾が指差す方の個室の前に向かった。
恭介は戸惑いながら、とりあえず中の人へ声をかける。
「すみません」
声をかけてから障子をゆっくりと開ける。その途端、驚いて口を押さえた。智絵里が座敷に倒れていたのだ。
「智絵里⁈」
恭介は慌てて中に入ると、智絵里を抱き上げる。だが智絵里は恭介の腕の中で不満そうな顔をしていた。睨むように、向かいに座っていた日比野を見る。
「謀りましたね……日比野さん……!」
「ごめんね〜。松尾さんと企てちゃった〜!」
「だ、大丈夫なのか?」
心配そうな恭介を見て、智絵里は不思議と力が抜けた。あーあ、なんでこういうところは変わってないのよ……懐かしくて泣きそうになる。
「お前さ、弱いんだったら酒なんか飲むなよ!」
「自分から飲むわけないでしょ! 日比野さんに謀られたの!」
「なんでそんなこと……」
恭介が驚いたように日比野を見ると、彼女は智絵里に笑いかける。
「昼間も思ったんだけど、篠田くんには拒否反応が出てないのよね。しかも智絵里ちゃん、彼に負い目があるって言ってたし」
「負い目……?」
恭介は智絵里の顔を見ようとしたが、彼女はぷいっと顔を逸らす。その様子を見ていた日比野は吹き出した。
「せっかくだから話したら? じゃないと、わだかまりが残ったまままた逃げ出すでしょ? ここで話す? それなら私が松尾さんのところに行くけど」
「智絵里?」
「……話すことなんかないし。一人で帰るからいい」
智絵里が吐き捨てるように言うと、今まで心配そうにしていた恭介が、一転して無表情になる。
「……お前は……どれだけ人に心配をかけるんだ! 日比野さんだってお前を思って……」
「ソフトドリンクとお酒をすり替えることが優しさなわけ⁈ 意味わかんないんですけど〜」
「ああ言えばこう言う……」
「あーあ、だからお母さんはお節介焼きでうざったいのよ! もう放っておいてよ!」
そこで恭介の中の何かがプチンと切れた。そうだ、こいつはいつもこうやって反論してくる。でも……それが意外と楽しいんだ。
恭介は隣の個室に戻って自分の荷物をまとめる。そして松尾の顔を見て頭を下げた。
「松尾さん、ありがとうございます」
「おうっ! 頑張れよ」
そして改めて智絵里の元に戻ると、彼女の荷物を集める。それからスマホを開き、アプリを使ってタクシーを呼ぶ。
「すごい……出来るね、篠田くん」
「一応社会人なので。智絵里、住所は?」
「言うわけないでしょ、バカ恭介」
「お前……」
言いかけて、カバンの中に手帳があることに気付く。恭介は手帳を開くと、最後のページまでめくった。
「お前って本当に変わらないのな」
そこにはしっかりと住所が記入されている。智絵里は昔から手帳を細かく書くのが好きだった。そのため、自分の住所や電話番号も必ず書いてあった。
何かあったら危ないから、書くのはやめろって言ったのにな。智絵里の変わらない部分を見つけて嬉しくなった。
タクシーの到着を知らせる音が鳴ると、恭介は智絵里の体を抱き上げ驚いた。おいおい、軽すぎじゃないか?
「じゃあ智絵里ちゃんをよろしくね」
「日比野さん、月曜日、覚悟しててくださいね」
「あら、怖い」
恭介は日比野にも頭を下げる。
「日比野さん、ありがとうございます」
智絵里は何も抵抗出来ない自分にイライラしていた。どうして恭介には拒否反応が出ないの? 酔っているから? 恭介だから? わからないからイライラする。
* * * *
二人が出て行ってから、隣にいた松尾が日比野のいる個室に移動してきた。
「お疲れ様」
「うん……これで良かったのか、今もちょっと心配してるんだけど。ちょっと複雑ね〜」
日比野は小さくため息をついた。
「でもさ、本当に篠田には拒否反応出てなかったな。あいつは誠実な奴だし、大丈夫だと思うけど」
「月曜日、何事もなく出勤してくれることを願うわ……」
そして二人はグラスを合わせた。