テラーノベル
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昨夜、あんなに甘く頭を撫でてくれた人は、本当に目の前にいるこの人なんだろうか。
月曜日の朝
私はいつも通り、始業の三十分前に出社してデスクを整えていた。
そこへ、背筋をピンと伸ばし、冷たいほどに完璧な三つ揃えのスーツを纏った涼さんが通りかかる。
「おはようございます、一ノ瀬専務」
「おはよう、天音さん。昨日の会議の議事録、十時までに私のデスクへ」
その声に、甘さは微塵もなかった。
琥珀色の瞳は事務的に私を捉え、すぐに横を通り過ぎていく。
(……わかってる。会社では『ただの上司と部下』。それがルールだもんね)
自分に言い聞かせるけれど
昨夜のハーブティーの温かさや、耳元で囁かれた体温を思い出すと、胸の奥がチリチリと焼ける。
仕事中、私は必死に「普通の部下」を演じた。
けれど、涼さんは私以上に完璧だった。
他の女性社員が「専務、素敵……」と溜息をつきながら彼に書類を渡すのを、私は一介の社員として見送るしかない。
「天音さん、顔色悪くない?大丈夫?」
不意に、隣の席の同僚・河野くんが声をかけてくれた。
彼は私と同期で、いつも気さくに接してくれる。
「あ、うん!大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから」
「なんだ、一ノ瀬専務が厳しすぎるとか?困ったことがあったら何でも言ってよ。俺、天音さんの力になりたいし」
河野くんが優しく笑って、私の肩にポンと手を置いた。
その瞬間。
「——失礼」
冷気を含んだ声が、頭上から降ってきた。
心臓が跳ねて顔を上げると、いつの間にか涼さんがすぐ後ろに立っていた。
「河野君。業務時間中に私談は控えるように。それから天音さん、議事録に不備があった。すぐに専務室へ来てくれ」
「えっ、不備……っ?!申し訳ありません!」
私は慌てて立ち上がり、涼さんの後を追った。
廊下を歩く彼の背中は、どこまでも遠い。
専務室に入り、重厚なドアが閉まった。
二人きりになった途端、涼さんは私に不備があったはずの書類を差し出した。
「一ノ瀬専務、どこが間違っていたでしょうか……?」
「…ああ、ごめん。不備なんてないよ」
「え?」
彼の手が、私の肩を壁際に追い詰める。
さっき河野くんが触れた、まさにその場所を、彼は上からなぞるように自分の掌で覆った。
「涼、さん……?」
「さっき、彼と何を話していたの?」
爽やかな微笑みはどこへやら、今の彼の瞳には
会社での「冷徹さ」とも違う、ひどく熱くて暗い色が混じっていた。
「あ、あれは、体調を心配してくれただけで……っ」
「……琴葉さん、あまり、他の男に隙を見せるのはやめてほしいな」
涼さんは、私の顎を指先でクイと持ち上げた。
至近距離
デスク越しに指示を出す時とは違う、獲物を追い詰めるような圧倒的な圧力。
「ここ、会社なのに……っ」
「わかってる。だから、手は出さない。……今はね」
彼は私の耳元に唇を寄せ、誰にも聞こえないほどの声で囁いた。
「——続きは、家で教えようか」
私を解放した彼は、次の瞬間には「完璧な専務」の顔に戻って、涼しい顔でデスクへ戻っていった。
仕事と私生活
その境界線が、彼の独占欲によってどんどん崩されていく。
私は、震える足で専務室を後にするしかなかった。
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