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「やめて……っ!」
口づけ寸前にルツィエに突き飛ばされたヨーランは呆然とした顔でルツィエを見つめた。その目には拒否されたことへの怒りではなく、なぜこうなったのか分からないとでもいうような困惑の色がにじんでいる。
「ルツィエ、今のは……」
「あ……す、すみません……。突然で驚いてしまって……」
「婚約者同士で突然も何もないだろう」
「ですが、私は今、喪に服していますので……」
なんとか言い訳を試みるが、ヨーランはもうこの理由で愛情表現を控えるつもりはないようだった。
「だから結婚は延期すると譲歩してやったじゃないか。キスくらい構わないはずだ。僕たちはお互いに愛し合っているんだから」
「で、殿下……!」
ヨーランが再びルツィエにキスしようと頭を押さえたとき、近くからヨーランを呼ぶ張りのある声が響いた。
「ヨーラン、こんなところにいたのか」
「貴様……なぜここに」
ヨーランを呼んだのはアンドレアスだった。
怒りに満ちた形相で睨みつけるヨーランに怯むことなく、落ち着いた態度だ。
「それはこちらの台詞だ。お前の侍従が探していたぞ。何か用事があったんじゃないのか?」
「……っ」
「殿下、ご用事があるのでしたら行かれたほうがよろしいかと。私は大丈夫ですから……」
ルツィエがそっとヨーランから身体を離すと、ヨーランはしばらく躊躇ったあと、「また会いに行く」と言い残して皇宮の中へと戻っていった。
ルツィエは難を逃れたことに安堵しながらも、微かな不安を覚えてアンドレアスをちらりと一瞥する。
(……今、ヨーランにキスされそうだったのを見られてしまったかしら)
結局は未遂に終わったのだから、見られていたところで問題はない。でも、もしヨーランと普段からそういうことをしているのだと思われていたらと考えると、どうしてか胸が痛んだ。
「……では、私も失礼いたします」
これ以上は居た堪れない。そう思って、お辞儀をして去ろうとすると、なぜかアンドレアスに腕を掴まれ、そのままふわりと抱きかかえられた。
「ア、アンドレアス殿下……!? 一体何を……!」
突然のことに気が動転して声が上擦る。
するとアンドレアスは、ルツィエを気遣うように形のいい眉を下げた。
「そなたの足、靴擦れしているだろう?」
「あ……」
アンドレアスに言われてどきりとした。
たしかにルツィエの両足の踵には軽い靴擦れができていた。
舞踏会の夜、不慣れなハイヒールの靴で長時間過ごしたせいだろう。
(あの男は全く気づいていなかったのに……)
ヨーランはに庭園を見せようと張り切るばかりで、ルツィエの靴擦れになんて一切気づいていなかった。
「俺と外でダンスを踊ったせいかもしれないな。申し訳ない」
「いえ、あのときはまだ痛くありませんでした。離宮に戻ってから靴擦れしていることに気づいたんです」
「そうか、少しだけ安心した」
アンドレアスがすぐ目の前でくすっと微笑み、ルツィエはまた胸が高鳴るのを感じた。
(……さっきのことを見たのか聞きたい。あの男とキスしたことなんてないって言いたい)
そんな衝動に駆られ、アンドレアスの首にかけていた手にぎゅっと力を込めると、アンドレアスが躊躇いがちに口を開いた。
「──さっきのそなたとヨーランのことだが」
「あ、あれは……」
「もしかしてそなたは嫌がっていたんじゃないか?」
「……え?」
予想外の質問に、ルツィエが水色の瞳を大きく見張る。
「そなたの声が聞こえて、すごく怖がっていたように聞こえたから、咄嗟に邪魔してしまった。……もし迷惑だったなら謝るが」
あのときアンドレアスが来たのは偶然ではなかった。
ルツィエの声を聞き分けて、嫌がっていると気づいてくれた。
そのことに、泣いてしまいそうなほど胸が熱くなった。
「……迷惑ではありません。あのとき、たしかに私は怖いと思いました。……今まであんなこと、一度もしたことありませんから」
最後に一言付け加えると、アンドレアスの頬が少しだけ赤くなったような気がした。
アンドレアスはルツィエを抱きかかえたまま馬車のある場所に到着すると、御者にルツィエを離宮まで送るよう指示した。
「アンドレアス殿下、お気遣いいただいてありがとうございました」
「気にしないでくれ。どうかお大事に」
「はい……ではまた」
「ああ、また」
出発する場所の窓から後ろを見ると、アンドレアスがまだ馬車を見送ってくれていた。その姿を目に焼きつけながら、ルツィエはまた胸の鼓動が高鳴るのを感じていた。