テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
73
#大人ロマンス
#サレ妻
面会室から戻った夜、家の中は異様な静寂に包まれていた。
健一はいつものように床を磨く手を止め、ソファに座る私をじっと見つめていた。
その瞳には、かつての恐怖だけでなく、熱を帯びた「慈しみ」のようなものが混じっている。
「……奈緒。里奈が言ったこと、本当なんだな」
「…だとしたら、何だというの?」
「お前も、苦しかったんだな。不倫っていう呪いに、ずっと縛られて…だから、俺が不倫した時、あんなに……」
健一が、あろうことか私の膝に手を置いた。
支配される側が、支配する側の「痛み」に触れ、救おうとする。
それは、私にとって何よりも耐え難い屈辱だった。
「……触らないで。穢らわしい」
「いや、奈緒。俺は今、初めてお前を理解できた気がする。お前は俺を壊したかったんじゃない。自分を捨てた『不倫』という世界そのものを壊したかったんだろ?俺ならお前を救える…」
健一は、ナオミとしてではなく、ただの「奈緒」を抱きしめようと腕を伸ばした。
私はその手を、手元にあった熱い紅茶をぶちまけることで拒絶した。
「……っ、熱っ……!なにすんだ!」
「勘違いしないで、健一さん。あなたが私を救う?私の人生を汚した男が何を言ってるの?……同情なんて、一番のゴミだわ」
私は立ち上がり、寝室から一台のカメラと、里奈の子供・蓮を連れてきた。
「……健一さん。あなたが本当に私を『理解』し、『家族』になりたいと言うなら、最後の試験を受けなさい」
「……試験?」
「ええ。今から、ナオミのフォロワーに向けて、ライブ配信を始めるわ。タイトルは『罪人の懺悔:父親という名の終焉』」
「……あなたはカメラの前で、蓮くんに向かって、自分がどれだけ醜い不倫をし、どれだけ汚い手で彼を抱いたかを、一時間かけて語り続けなさい」
「……あなたの口から、この子の将来を、希望を、すべての可能性を、完膚なきまでに叩き潰すのよ」
健一の顔が、恐怖で引き攣った。
自分の「痛み」を知ったはずの女から突きつけられた、実の息子への「精神的殺害」の命令。
「……そんなこと、できない。蓮にだけは、何も知らないまま育ってほしいんだ!」
「なら、あなたは今すぐこの家を出なさい。…そして一人で野垂れ死になさい。……でも、私という『救い』を失って、あなたは生きていけるの?」
私は健一の耳元で、ナオミの最も甘い声で囁いた。
「……私を救いたいんでしょう? なら、私と同じ地獄まで堕ちてきなさい。……子供という『未来』を殺して、永遠の絶望の中で生きるのよ」
健一は、震える手で蓮を抱きしめた。
そして、赤ん坊の無垢な瞳を見つめた後……
ゆっくりとカメラの三脚を立てた。
「……ああ。……わかったよ、奈緒。…お前が望むなら…っ」
配信開始の赤いランプが点灯する。
健一は「犬の耳」をつけ、泣き始めた蓮に向かって、静かに、そして残酷な「告白」を始めた。
私はその横で、彼が吐き出す「毒」を、心地よい音楽のように聴きながら目を閉じた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!