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第十八章 失われた者たち編
第253話 散らばった失踪者
【現実世界・警察協力医療機関/特別管理病棟・午後】
一ノ瀬ユナは、白い病室のベッドに横になっていた。
帰還した学園の臨時医療受け入れ室で応急処置を受けたあと、
警察が管理する協力医療機関へ移されている。
部屋の外には警察官が二人。
廊下の両端には監視員。
病室内へ持ち込まれる端末は、外部回線から切り離されたものだけだった。
クロスワールドゲートのアプリも、Cの黒い反応も確認されていない。
それでも、一度異世界へ転移した人間を、すぐに通常の病棟へ入れるわけにはいかなかった。
ユナの顔色は、帰還直後より少し戻っていた。
呼吸は安定している。
脈拍も正常に近づいている。
だが、身体の衰弱は強く、自分で起き上がることはまだできない。
ベッド脇では、佐伯が医療記録を確認していた。
村瀬は枕元に置かれた紙を指す。
『一ノ瀬ユナ』
『現実世界』
『警察協力医療機関・特別管理病棟』
目を覚ますたび、ユナが現在位置を確認できるように置かれたものだった。
「お名前を言えますか」
村瀬が静かに聞いた。
ユナは少し間を置いて答える。
「一ノ瀬……ユナ」
「ここがどこか分かりますか」
ユナは紙を見る。
「現実世界」
「はい」
「病院……」
「そうです。帰還した学園から、こちらへ移りました」
ユナは小さく頷いた。
記憶は保たれている。
異世界にいたこと。
リオが迎えに来たこと。
自分で現実へ帰ると選んだこと。
すべてを完全には説明できないが、断片として残っていた。
「涼は……」
「まだ異世界側です」
村瀬は嘘をつかなかった。
「でも、連絡は取れています」
「帰る準備も始めています」
ユナは目を閉じる。
不安そうに眉が寄る。
それでも、以前のように意識が遠くへ沈むことはなかった。
「待ちます」
ユナは小さく言った。
「今度は、私が待つから」
佐伯がベッド横の数値を確認する。
「今日はもう休みましょう」
「事情を聞くのは、もっと身体が安定してからです」
部屋の窓には厚いカーテンが下ろされている。
外の景色は見えない。
それでもユナは、その向こうに現実の空があることを理解していた。
自分は帰ってきた。
まだ弱く、自由に歩くこともできない。
弟も戻っていない。
それでも今度は、目を覚ました時に同じ世界が残っている。
その事実を確かめるように、ユナはもう一度紙へ目を向けた。
『現実世界』
その文字を見ながら、静かに目を閉じた。
#溺愛
桜咲かな
12
#溺愛
桜咲かな
42
◆ ◆ ◆
【現実世界・警察仮設指揮室/同時刻】
日下部の画面には、失踪者の一覧が表示されていた。
クロスゲートテクノロジーズ社が関わった可能性のある事件。
クロスワールドゲートのアプリを利用した直後に消えた者。
異常な画面を目撃したあと、部屋から姿を消した者。
駅、防犯カメラ、病院、学校、職場。
場所も時間も統一されていない。
城ヶ峰は画面を見ながら聞いた。
「どこまで絞れた」
「クロスワールドゲートとの接触が確認できるもの」
「消えた場所に座標異常が残っているもの」
「家出や通常の事件では説明しにくいもの」
日下部が別の一覧を開く。
「今のところ、優先照合対象はこの範囲です」
それでも、名前は数十人分あった。
年齢も職業も違う。
共通しているのは、突然消えたこと。
そして多くの場合、消える直前に画面や音声へ何らかの異常が起きていたことだった。
村瀬が医療機関から戻した記録も表示されている。
ユナの帰還手順。
身体。
名前。
現在位置。
本人の選択。
それらを同時に繋ぐことで、異世界から現実へ戻すことができた。
だが日下部は言う。
「帰還手順が分かっても、先に本人を見つけなければ使えません」
城ヶ峰が頷く。
「異世界側の記録との照合は」
「ノノさんへ送っています」
画面の端に、通信接続の表示が出る。
異世界側。
王都イルダ。
臨時分析拠点。
ノノとの間に、白い細線が繋がった。
『こっちも準備できた』
ノノの声が入る。
『アデルが王国警備局の古い失踪記録を開いてくれた』
『身元不明者、記憶喪失者、名前のない患者も対象に入れてる』
城ヶ峰が通信へ近づく。
「人間の姿をしていない可能性も考えろ」
短い沈黙のあと、ノノが答える。
『考えてる』
『影獣として記録されたものや、同じ言葉だけを繰り返す存在も調べる』
『現実側の人が、向こうで人間として扱われてるとは限らないから』
城ヶ峰の表情が硬くなる。
現実世界で行方不明になった者が、異世界では魔物として討伐されている可能性すらある。
死んだと決めつけることもできない。
だが、生きていると簡単に希望を持たせることもできない。
「一致ではなく、候補として扱え」
城ヶ峰は言った。
「家族への連絡もまだするな」
「本人だと確認できるまでは、外へ出さない」
『分かった』
日下部は二つの記録を重ね始めた。
現実側の失踪者一覧。
異世界側の保護・失踪・異常存在記録。
名前だけでは照合できない。
異世界側では名前を失っている可能性がある。
そこで使うのは、消えた時の状況だった。
最後にいた場所。
持ち物。
繰り返す言葉。
身体の特徴。
記憶に残る行動。
ノノの声が少し強くなる。
『一件、近いのがある』
日下部が手を止めた。
「表示してください」
異世界側から、一枚の記録が届く。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/王国警備局・記録保管室・午後】
記録保管室には、古い紙の束と水晶板が並んでいた。
アデルは王国警備局の封印印が押された箱を開ける。
王都で保護された身元不明者。
記憶を失った旅人。
言葉の通じない者。
人間でありながら、どの国の出身者とも一致しない者。
通常なら、別々の分類に置かれている記録だった。
今回は、すべて同じ机へ集められている。
ハレル、サキ、リオは、ノノの水晶板を囲んでいた。
セラも隣で反応を見ている。
「これ」
ノノが一つの記録を拡大した。
王都外縁の保護施設にいる男性。
年齢は不明。
王都北西の旧街道で倒れているところを、巡回中の兵士が発見した。
異世界の服ではない。
身元を示す紋章もない。
王国の地名を何一つ知らない。
保護された時から、自分の名前を答えられなかった。
代わりに、同じ言葉を繰り返している。
『帰らなければならない』
『電車に乗る』
『次の駅で降りる』
ハレルが顔を上げた。
「電車」
異世界には存在しない言葉だった。
リオが記録を見る。
「現実側から来た可能性は高いな」
「まだ、それだけじゃ断定できない」
ノノは現実側の記録を並べた。
失踪者。
高瀬直人。
会社員。
通勤途中、駅構内から行方不明。
最後に防犯カメラへ映った時刻。
改札を通過した記録。
家族へ送った最後のメッセージ。
『次の駅で降りる。帰りは少し遅くなる』
サキが息を呑んだ。
異世界側の男が繰り返している言葉と重なる。
ノノが続ける。
「年齢と身体の特徴も近い」
「右の眉の上に小さな傷」
「左手の薬指に指輪の跡」
「保護された時、異世界では使われていない薄いカードを持ってた」
現実側から画像が届く。
交通系カード。
色は褪せ、表面は傷ついている。
異世界側で男が持っていた物と、形がほぼ一致していた。
ハレルが聞く。
「高瀬直人さんで間違いないのか」
セラが答える。
「まだ名前の反応を確認していません」
「持ち物や言葉が一致していても、別の人へ記憶を入れられた可能性があります」
リオが腕を組む。
「身体も本人か確認が必要ってことか」
「はい」
ユナの帰還で学んだこと。
身体があるだけでは本人ではない。
名前だけでもない。
記憶だけでもない。
すべてを確かめなければならない。
アデルは保護施設の記録を閉じた。
「会いに行く」
「今から?」
サキが聞く。
「記録を開いた時点で、向こうに気づかれる可能性がある」
アデルは答えた。
「カシウスたちが同じ者を探しているなら、先に動くべきだ」
ハレルは主鍵へ触れた。
ユナは現実へ戻った。
次は、自分たちが帰る準備をする。
そう考えていた。
だが、現実側で待つ人間がいる失踪者を見つけたなら、見捨てることはできない。
「行こう」
ハレルが言った。
「まず本人かどうか確かめる」
リオも頷く。
「ただし、役割を埋め込まれてる可能性を忘れるな」
サキはスマホを見る。
reは、画面の中央で静かに光っていた。
まだ道は示していない。
男のいる場所に何が待っているのか、reにも見えていないようだった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・警察仮設指揮室/午後】
異世界側の出発準備が始まる一方で、木崎は机の上に地図を広げていた。
匠が残した地図。
湾岸地域の外れに記された赤い丸。
『身体側固定点』
城ヶ峰が近づく。
「向こうは最初の候補者へ向かう」
「ああ」
木崎は赤い丸を指で叩いた。
「こっちは匠だ」
「まだ肉体があると決まったわけではない」
「だから確かめに行く」
木崎は地図を畳む。
「本人が現実へ帰るって決めたんだ」
「帰る身体がどこにあるのか、こっちが見つける番だろ」
城ヶ峰は短く頷いた。
特殊部隊と技術班へ出発準備が伝えられる。
一方は、異世界にいる現実側の失踪者。
もう一方は、現実のすぐ外側にいるかもしれない匠の肉体。
二つの捜索が、同時に始まろうとしていた。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
Cの前に、二つの反応が表示されていた。
一つは湾岸旧研究施設。
雲賀匠の身体側固定点。
もう一つは、王都外縁の保護施設。
名前を失った男。
「照合反応を確認しました」
Cが告げる。
「現実世界登録名、高瀬直人」
「異世界側保護対象と一致する可能性、上昇」
オルガが男の反応を見る。
「本人の記憶は完全ではない」
「だが、現実へ帰ろうとする意思は強い」
カシウスが聞く。
「実験に使えるか」
「使える」
オルガは答えた。
「身体と名前の結びつきが弱い。帰還手順を試す対象として適している」
白峰律は、王都外縁へ向かうハレルたちを見た。
「ハレルたちも、同じ男を見つけた」
ジャバが口元を歪める。
「先に奪えばいいんだな」
カシウスは静かに命じた。
「まだ動くな。まず、奴らに本人確認をさせろ」
「名前と身体が一致した時点で回収する」
Cの画面に、ハレルの主鍵とリオの副鍵が表示される。
『回収時、鍵の奪取も可能です』
カシウスは答えた。
「観測を続けろ」
コメント
1件
第253話読み終わったわ…! ユナが現実に戻ってきたのは本当に良かった。 「今度は、私が待つから」って言葉、めっちゃ刺さった。 前は涼に待たされてた立場だったもんな。成長してるわ。 そして高瀬直人さんの手がかり…! 「電車」「次の駅」って異世界にはない言葉が出てきたときのハレルたちの反応、ゾクッとした。 本人確認の前にカシウスたちが動こうとしてるのも不気味で、次の展開が気になりすぎる🔥