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#溺愛
桜咲かな
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第254話 エリウスの記録
【異世界・王都イルダ/王国警備局・正面広場・午後】
王都外縁の保護施設へ向かう馬車が、警備局の正面で待っていた。
ハレル、サキ、リオはすでに乗り込む準備を終えている。
護衛としてヴェルニと数名の警備局員も同行する予定だった。
だが、アデルだけは石段の上に残っていた。
「先に向かってくれ」
ハレルが振り返る。
「アデルは来ないのか」
「あとから合流する」
アデルは警備局本館の上階を見上げた。
「これから王都軍と国の研究院の者たちが来る」
「エリウスのこと?」
サキが聞く。
「ああ」
先の戦いで、セラが語った記憶は、王国警備局と王都軍の一部へ送られていた。
だが、それはまだ「証言」にすぎない。
王国の正式な記録では、エリウスという研究者は存在しないことになっている。
そのままにすれば、いずれ誰かが言う。
記憶を失った分析体が見た幻だった。
カシウスに作られた偽の記憶だった。
混乱の中で生まれた誤解だった。
「先延ばしにすれば、また消される」
アデルは言った。
「今度は私たちが見ている前でな」
リオが馬車の中から尋ねる。
「国の連中は認めると思うか」
「簡単には認めないだろう」
「証拠があるのに?」
「証拠を認めれば、国が長年使ってきた技術の由来も認めることになる」
アデルの左手首で、副鍵の腕輪が淡く光った。
「オルガやヴァルドの功績とされている術が、殺された研究者から奪われたものだったとな」
ハレルは警備局の建物を見る。
この国の上層部が、エリウスを消す計画そのものに関わっていたかどうかは、まだ分からない。
しかし、消された記録を確かめようともせず、
オルガたちの功績として利用してきたことは事実だった。
「分かった」
ハレルは頷いた。
「高瀬さんの方は俺たちで確認する」
「危険な反応があれば、すぐに退け」
「本人かどうか確かめるまでは、帰還線も作らない」
「そうしてくれ」
アデルはサキのスマホを見る。
reは画面の中で静かに光っている。
「セラはこちらに残る。道の確認にはreの力を借りろ」
サキはスマホを強く握った。
「うん」
馬車の扉が閉じる。
車輪が動き始めた。
アデルは、ハレルたちが王都の門へ向かうのを見送ると、警備局本館へ戻った。
これから始まるのは戦闘ではない。
剣も魔術も使わない。
だが、相手によっては戦場よりも厄介な場所だった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王国警備局/中央会議室・午後】
会議室には、王国警備局、王都軍、王立研究院、王宮記録院の関係者が集められていた。
長い机の中央には、ノノの水晶板が置かれている。
ノノの隣にはセラ。
反対側にはアデルが座っていた。
王都軍側から来たのは、白髪の将官ガルド・メイゼン。
王立研究院からは、境界研究部門の責任者ローディス。
王宮記録院からは、記録官長ミセル。
ほかにも数名の役人と術師が席についている。
ガルドが最初に口を開いた。
「提出された報告は読んだ」
低く、感情を抑えた声だった。
「エリウスという研究者が存在し、
その研究をオルガ・セフィロとヴァルド・レイグが奪った」
「さらに、両名が研究者を殺害し、王都の記録と人々の記憶を書き換えた」
ガルドはセラを見る。
「それが、あなたの証言だな」
「はい」
セラは答えた。
「私は、エリウスに救われました」
ローディスが眉を寄せる。
「しかし、あなたには肉体がない」
「現在のあなたは、分析術式と結界層によって構成された存在だ」
「その記憶が、最初から組み込まれたものではないと証明できるのか」
アデルの表情が険しくなる。
だが、セラは静かだった。
「私の言葉だけでは証明できません」
その答えに、ローディスはわずかに身を引いた。
セラが感情的に否定すると思っていたのだろう。
「ですから、ノノが記録を比較しました」
ノノが水晶板へ触れる。
複数の術式が空中に表示された。
左側。
現在、王都軍の治療部隊が使用している意識固定術。
負傷者の名前と身体の反応を一時的に繋ぎ止める術式。
中央。
王立研究院がオルガの発明として保管している、境界反応の分析式。
右側。
セラの記憶から再現された、エリウスの案内式。
「この三つを比べました」
ノノが言う。
「表面の形は違うけど、中心にある構造は同じです」
光の線が重なる。
《名前》
《身体》
《現在位置》
《本人の反応》
四つの要素が、すべての術式に含まれていた。
ローディスが身を乗り出す。
「この程度の共通点なら、偶然でも――」
「偶然じゃないです」
ノノは中央の術式を拡大した。
「オルガの分析式には、意味のない空白があります」
「これまで王立研究院では、未使用の計算領域だと説明されてきました」
机に座る研究院の術師たちが顔を見合わせる。
確かに、術式の中央には何も書かれていない区画があった。
ローディスが言う。
「将来の拡張用として残された部分だ」
「違います」
セラが答えた。
「そこは、本人が選択するための場所です」
「案内人も、治療術師も、観測者も答えを書いてはいけない」
「エリウスは必ず空白のまま残しました」
ノノがユナの帰還記録を表示する。
ユナの周囲からCの選択を取り除き、
本人が自分の言葉で帰還を選んだ時、同じ空白が使われている。
「この場所を正しく使ったから、一ノ瀬ユナさんは本人のまま現実へ戻れました」
「でも、オルガの式では空白の意味が消されています」
「形だけ残って、別の情報を入れる場所として使われてる」
ミセル記録官長が尋ねる。
「つまり、オルガはエリウスの術式を完全には理解せずに転用したということか」
セラは首を振った。
「理解していました」
会議室が静かになる。
「理解していたからこそ、空白の意味を消したのです」
「本人に選ばせる必要がなくなるように」
「分析する側が、先に答えを入れられるように」
ガルドの目が細くなった。
王都軍が使ってきた術式。
負傷した兵士の意識を身体へ固定するための技術。
それが使い方によっては、本人の意思を無視して役割を与える道具にもなる。
「ヴァルドの結界術については」
ガルドが聞く。
ノノは別の記録を表示した。
王都の避難路に使われている境界結界。
結界の内側と外側を分け、魔力の流れだけを安全な方向へ送る術。
さらに、過去の戦争で使われた隔離結界。
カシウスの施設に残っていた中間層。
すべての基礎に、同じ小さな標識があった。
《安全》
《停止》
《偽の声》
《戻れない道》
「これも、セラがエリウスから教わった案内標識と一致します」
ノノは言った。
「ヴァルドは形を変えて、結界を通すか閉じるか決める記号に使っています」
「でも、元は人を守るためのものです」
「迷った意識が、危険な声や記憶に引かれないようにするための標識だった」
ローディスは術式を見つめていた。
もう偶然とは言い切れない。
王都で長く使われてきた二人の技術。
その両方が、セラの記憶にしか残っていなかった研究と繋がっている。
それでも、ローディスは言った。
「構造が一致しただけでは、殺害の証明にはならない」
アデルが口を開く。
「今、殺害だけを認めろとは言っていない」
ローディスが彼女を見る。
「では何を求める」
「エリウスが存在しなかったという前提を捨ててください」
アデルは机の上へ手を置いた。
「公式記録にないから調査しない」
「調査しないから記録が見つからない」
「それを繰り返せば、消した者の思いどおりになる」
ミセルが慎重に尋ねる。
「存在を仮登録すれば、王国の研究史を見直す必要がある」
「オルガとヴァルドの功績も再調査になる」
「必要なら、そうすべき」
アデルは迷わなかった。
「国の体面を守るために、殺された者をもう一度消すつもりか」
ガルドが強い声で言う。
「言葉を選べ、アデル」
「選んでいます」
アデルは将官の目を見る。
「私は王国警備局の人間です」
「国を守るためにここにいる」
「だからこそ、国が奪われた研究を自分たちの功績として使い続けることを、守るとは呼びません」
会議室の空気が張り詰めた。
何人かの役人が視線を逸らす。
ノノは水晶板を操作し、最後の記録を表示した。
セラの反応。
現在まで生き続けている意識。
その内部に、エリウスが残した層の構造がある。
「これが一番大きな証拠です」
「セラ自身?」
ミセルが聞く。
「はい」
ノノは答えた。
「セラの中には、今の王都では作れない古い結界層があります」
「オルガやヴァルドの技術より前の形です」
「しかも、その層は人を操るためじゃなく、本人の名前と選択を守るように作られてる」
「後から偽の記憶として作ったなら、現在の技術が基準になるはずです」
「でも順番が逆です」
「セラの中にある古い構造から、今の分析術と結界術が作られています」
ローディスの顔から反論が消えた。
完全な証明ではない。
だが、調査を拒否できる状態でもなかった。
◆ ◆ ◆
その時、水晶板の端に灰色の文字が現れた。
《該当研究者なし》
ノノが気づく。
「また来た」
文字は一つではない。
会議室の記録水晶。
提出された報告書。
王都軍の術式一覧。
複数の場所へ、同じ否定が広がり始める。
《エリウス》
名前の輪郭が薄くなる。
セラの身体もわずかに揺れた。
ローディスが立ち上がる。
「何が起きている」
「記録の修正反応です」
ノノが答える。
「エリウスの名前を、存在しない状態へ戻そうとしてる」
「オルガか」
アデルが周囲を警戒する。
「この場へ直接侵入しているわけではありません」
セラは灰色の文字を見る。
「以前、記録を書き換えた術式が、エリウスの名前に反応しているのです」
過去に作られた自動処理。
誰かがエリウスという名を記録へ戻そうとすると、誤りとして消去する。
人々の記憶。
研究院の資料。
軍の術式。
長い年月をかけ、王都の仕組みそのものへ埋め込まれていた。
ノノが消去処理を止めようとする。
だが、一つを止めても別の水晶へ広がる。
「記録を分けて!」
ノノが叫んだ。
「一か所だけに残すと、まとめて消される!」
アデルはすぐに指示を出す。
「紙に書け!」
「王国警備局、王都軍、研究院、記録院、それぞれ別に残せ!」
書記たちが動く。
紙。
石板。
封印札。
魔力を使わない通常の墨。
異なる方法で、同じ名前が書かれていく。
《エリウス》
灰色の文字が紙の上にも重なろうとした。
その前へ、セラが手を伸ばす。
彼女の周囲に、古い案内標識が現れた。
《偽の記録》
《停止》
《本人の記憶を優先》
灰色の文字がセラの標識とぶつかる。
セラの輪郭が激しく揺れた。
「セラ!」
ノノが支えようとする。
「大丈夫です」
セラは名前から目を離さない。
「エリウスは、記録の中にいるのではありません」
「私を救いました」
「私に道を教えました」
「私は、自分の意思で案内人になりました」
「そのすべてを、存在しなかったことにはできません」
灰色の文字にひびが入る。
アデルも紙へ自分の名を書いた。
《証言者 王国警備局アデル》
ノノが続く。
《分析確認者 ノノ》
ガルドはしばらく動かなかった。
だが、やがて軍の記録書を自分の前へ引き寄せた。
《王都軍保管術式との共通構造を確認》
署名する。
ローディスも、研究院の記録へ手を伸ばした。
《既存分析式および境界結界の由来について再調査を要する》
最後に、ミセルが王宮記録院の登録板へ文字を刻んだ。
《エリウス》
《王都所属の研究者であった可能性あり》
《存在、研究、失踪経緯を公式再調査対象として仮登録する》
刻まれた名前が光る。
灰色の消去文字が、もう一度その上へ重なる。
だが、今度は消えなかった。
警備局。
王都軍。
研究院。
記録院。
複数の機関と人間が、同じ名前を記録している。
一つを消しても、別の場所に残る。
エリウスの名前は、初めて王国の公式記録へ戻った。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
オルガは、王宮記録院に刻まれた名前を見ていた。
《エリウス》
その横に《再調査対象》と表示されている。
ヴァルドが低く言う。
「消去式が破られた」
「破られてはいない」
オルガは答えた。
「記録先が増えすぎた」
「一つずつ消すか」
「今やれば、存在を認めることになる」
白峰律は王都の会議室を見る。
「名前が戻った時点で、研究の由来も探される」
ジャバが退屈そうに鼻を鳴らす。
「昔の死人一人だろ」
オルガの目が冷たく動く。
「死んだ研究者ではない」
「現在の帰還手順の基礎を残した者だ」
カシウスは、セラの中にある案内層を見つめていた。
「なら、その層を使わせろ」
オルガが振り向く。
「失踪者の捜索にか」
「ハレルたちは、エリウスの研究を使って失踪者を探す」
カシウスは王都外縁へ向かう馬車を示した。
「道を見つけさせる」
「本人を確認させる」
「帰還できる状態まで整えさせる」
「そのあとで奪う」
ジャバが笑う。
「結局、俺の出番か」
「まだだ」
カシウスは命じた。
「先に、あの男が本物か見極めさせろ」
「鍵を使った瞬間に動け」
Cの画面には、ハレルの主鍵、リオとアデルの副鍵が表示されている。
オルガは別の反応へ目を向けた。
セラの中にある、エリウスの案内層。
その一部が、王都外縁へ向かうreの白い光に、かすかに反応していた。
「同期反応……」
白峰が聞く。
「何と何がだ」
オルガはすぐには答えなかった。
まだ確定できるほど強い反応ではない。
だが、エリウスが残した層は、これまでセラ以外の存在へ反応したことがなかった。
その層が今。
名も分からない白い光へ、道を開こうとしていた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都北西街道/馬車内・夕方】
ハレルたちを乗せた馬車は、王都の外壁を抜けていた。
サキのスマホで、reが急に強く光る。
「どうしたの?」
白い光は、保護施設の方角を示していなかった。
王都の方へ一度戻り、何かを確かめるように揺れたあと、再び前方へ細い線を引く。
ノノから通信が入る。
『エリウスの名前を、公式の再調査記録へ戻せた』
ハレルが息を吐く。
「認められたのか」
『まだ、実在した可能性がある研究者として仮登録されただけ』
『殺されたことも、研究を奪われたことも、これから調べる』
「それでも一歩だな」
『うん』
ノノは少し間を置いた。
『それと、気になる反応がある』
サキがスマホを見る。
「reのこと?」
『エリウスがセラに残した層が、reの光に反応した』
馬車の中が静かになる。
リオが聞く。
「同じ存在ってことか」
『違うと思う』
ノノはすぐに否定した。
『エリウスの層には、意識を新しく作る機能はない』
『セラを守ったみたいに、すでにある意識を保護するためのものだから』
「じゃあ、なんでreに反応したんだ」
『まだ分からない』
セラの声も通信へ入る。
『今は、高瀬直人さんの確認を優先してください』
『ただ、reがエリウスの層を知っている可能性はあります』
「知ってる?」
『以前、接触したことがあるという意味です』
reは何も答えない。
白い線を、保護施設の方角へ伸ばし続けている。
ハレルはその光を見た。
エリウス。
セラ。
re。
消された研究者が残したものは、過去の記録だけではない。
今もどこかで、人が名前を失わないように道を守っている。
そして、その道が高瀬直人へ繋がるのかどうか。
それを確かめる時が近づいていた。
馬車の前方に、王都外縁の保護施設が見え始める。
コメント
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お疲れさまです、第254話読みました……! 「エリウスという存在を証明する」という重いテーマを、会議室という静かな空間でここまで緊張感持って描けるのが本当にすごい。ノノの術式比較のシーンは、細かい構造の一致を積み重ねることで説得力を高めていて、読んでいて「そう来たか!」と声が出ました。空白の意味を消したオルガの意図と、それを暴くセラの証言の対比が美しい。 そして「消去処理を止めるには複数の機関に分散して記録する」という解決法、めちゃくちゃ現実的で地に足がついてて好きです。アデルが「選んでいます」と将官の目を見て言い返す場面、痺れました。 最後のreの反応が新たな伏線として置かれたのも気になる……。どんな繋がりがあるのか、続きが待ち遠しいです!