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第九章 広い世界
第一話 揺らがぬ瞳と揺らぐ祈り
翌朝、帝国城の空気は昨夜までの騒乱が嘘のように静かだった。
窓から差し込む朝日が、白い床を淡く照らしている。
ジントは廊下を歩きながら、どこか落ち着かない気持ちで前を見つめていた。
その隣を、ダイチがいつものように歩く。
「……緊張してる?」
小さく笑いながら聞かれ、ジントは少しだけ視線を逸らした。
「……うん」
「そりゃそうか。相手、皇帝陛下やもんな」
後ろからシュンタが肩をすくめる。
「オレ今から逃げてもええ?」
「今更遅い」
即座に返したジュウタロウに、シュンタが「冷たっ!」と声を上げた。
そんなやり取りを聞きながら、先頭を歩くハヤトは小さく笑う。
「大丈夫だ。父上は話の分からない人じゃない」
その言葉に、ジントは少しだけ息を吐いた。
やがて、巨大な扉の前へ辿り着く。
重厚な金装飾の施された扉。
その前に立つだけで、帝国という巨大な存在を感じる。
騎士が静かに扉を開いた。
広い謁見の間。
高い天井。
赤い絨毯。
その先――玉座に座る男。
ソレイユ帝国皇帝、レグルス・ソレイユ。
ハヤトによく似た金の髪。だがその眼差しには、皇子とはまた違う長く国を背負ってきた者の重みがあった。
自然と空気が張り詰める。
5人は膝をついた。
「面を上げよ」
低く落ち着いた声が響く。
皇帝の視線が、ゆっくりとジントへ向けられた。
黒い髪。
黒い瞳。
ーー月蝕の子。
その視線に、ジントの指先がわずかに震える。
まずハヤトが静かに口を開いた。
「父上。一昨日の晩、帝都で起きたことをご報告します」
そこから、満月の夜の出来事が語られた。
教会での神官の魔物化。
城内外で大量発生した魔物。
瘴気。
そして、ジントがそれを吸収したこと。
皇帝は一言も口を挟まず、最後まで静かに聞いていた。
やがて、ハヤトが真っ直ぐ前を見据えたまま言う。
「教会は月蝕の子を“厄災”として扱っています」
「ですが実際は違う」
「ジントは帝都を救いました」
空気が静まり返る。
「……さらに、まだ確証はありませんが」
ハヤトは続けた。
「ジントは月属性を持っている可能性があります」
その瞬間、皇帝の表情が僅かに変わった。
月属性。
この世界では、ほとんど伝説のように語られる力。
限られた血筋――“月の一族”にのみ現れると言われている。
そして、かつて教会から迫害され、
歴史の表舞台から消えた一族。
皇帝は静かに目を細めた。
「……月の一族、か」
その声音には、驚きと、そして深い思案が混じっていた。
「もしそれが事実ならば……調べねばならぬことが増えるな」
静かな声。
だがその一言の重みは大きかった。
やがて皇帝は、再びジントを見る。
「ジント」
名前を呼ばれ、ジントの肩が小さく揺れる。
「昨夜、お前が帝都を救ったことは事実だ」
「多くの民が救われた」
「……礼を言う」
その言葉に、ジントは目を見開いた。
礼を言われるなど、思ってもいなかった。
これまでずっと、恐れられて、隠されて、忌まれてきた。
なのに今、帝国の皇帝が自分へ感謝を告げている。
言葉が出ない。
ただ戸惑ったように、ジントは視線を揺らした。
そんな彼を見つめながら、皇帝は続ける。
「教会がこのまま黙っているとは思えん」
「月蝕の子。そして月属性」
「もし知られれば、必ず動く」
皇帝の目が鋭くなる。
「帝国はお前を保護する」
「少なくとも、この国にいる限りはな」
その言葉に、ハヤト達が小さく息を吐いた。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
「ありがとうございます、父上」
ハヤトが静かに頭を下げた。
皇帝はそんな5人を見つめ、僅かに口元を緩めた。
「……随分と賑やかな仲間を連れたものだな、ハヤト」
「退屈しませんよ」
その返答に、皇帝は小さく笑った。
ほんの短い、穏やかな空気だった。
―――――
謁見を終えた後、5人は城の中庭へ出ていた。
柔らかな風が吹き抜ける。
噴水の水音が静かに響いていた。
「はぁ〜〜〜……」
シュンタが大きく息を吐き出す。
「やっぱ皇帝の前は緊張するわ〜……」
「分かる」
ダイチも苦笑する。
「ハヤトも凄いけど、皇帝陛下は更にオーラ凄かったな……」
「それでこそこの帝国を統べるお方だ」
ジュウタロウが腕を組みながら静かに言った。
その隣で、ジントだけはどこか考え込むように空を見ていた。
それに気づいたハヤトが隣へ並ぶ。
「月の一族のことが気になっているんだろう?」
ジントは少し迷った後、小さく頷いた。
「……うん」
「オレ、自分のこと……何も知らないから」
その声は、どこか不安そうだった。
ハヤトは空を見上げる。
青く澄んだ空。
遥か遠くまで広がる世界。
「彼らは謎が多い」
「この帝国にいても、分からないことばかりだろう」
風が髪を揺らした。
そしてハヤトは、静かに言う。
「世界は広い」
「俺たちの思っている以上にな」
その言葉に、ジントは空を見上げた。
ラディスしか知らなかった自分。
狭い世界の中で、怯えながら生きてきた。
けれど今、知らない景色が確かに広がり始めている。
その空は果てしなく遠く、どこまでも青かった。
◇
数日後、太陽教会。
高い天井に響く鐘の音が、静寂の中へ溶けていく。
薄暗い大聖堂の最奥。
無数の蝋燭の灯りに照らされながら、
一人の男が祭壇の前に立っていた。
ーー教皇ヴァルド。
白銀の法衣を纏うその姿は、まるで神の言葉を代弁する存在のような威厳を放っている。
その前には、数名の高位神官達が跪いていた。
誰一人、口を開かない。
張り詰めた沈黙の中、やがてヴァルドが静かに言葉を落とした。
「……帝都での騒動は、既に民の間へ広まり始めている」
低く重い声。
「満月の夜、現れた黒髪の青年」
「そして、魔物達が消えていったという噂」
その場の空気が、さらに重くなる。
ヴァルドはゆっくり目を伏せた。
「人は理解できぬものを恐れる」
「だが同時に、救いを求める生き物でもある」
蝋燭の火が、静かに揺れる。
「もし民が」
「太陽神ではなく、月蝕の子が帝都を救ったなどと信じ始めれば」
「何が起こる」
誰も答えない。
いや。
答えられなかった。
ヴァルドは続ける。
「太陽への信仰は揺らぐ」
「人々は何を信じればいいのか分からなくなる」
「そして世界は混乱する」
その声音に、怒りはない。
ただ、長い年月、信じ続けてきた確信だけがあった。
「闇を受け入れる存在など」
「人が歩むべき道ではない」
ヴァルドの瞳が鋭くなる。
「月蝕の子は厄災だ」
「それは変わらぬ」
「存在する限り、人々へ不安を与える」
静かな声。
けれどその言葉には、揺るがない信念があった。
「故に」
「排除せねばならない」
大聖堂へ、沈黙が落ちる。
その中で、ただ一人。
神官クラウスだけが、俯いたまま唇を強く結んでいた。
脳裏に浮かぶのは、先日の光景。
教会内部で起きた、あの異常事態。
神に祈りを捧げる神官が、目の前で魔物へ変わった。
あんなもの、聞いたことがない。
ここは太陽神へ祈りを捧げる、最も神聖な場所のはずだった。
なのになぜ。
どうして。
クラウスの指先が、僅かに震える。
そして思い出す。
黒髪の青年。
“月蝕の子”。
あの少年は、確かに神官を救おうとしていた。
苦しそうに。
必死に。
闇そのものを受け止めるように。
あれが本当に、厄災なのか。
クラウスは静かに目を伏せる。
大神官に連れられ、地下禁書庫へ向かった日のことを思い出す。
そこで見た古い記録。
『月蝕記』。
かつて世界の闇を還した存在について記された、禁じられた書。
あの時は、ただの古い伝承だと思っていた。
教会に伝わる、過去の異端の記録。
そう思っていた。
だが、今は違う。
もし。
もし本当に。
あの記録が真実だったなら。
そして自分があの日、皇子達を禁書庫へ導いたことで、彼らが『月蝕記』を知ることになったのなら。
それは果たして正しいことだったのか。
クラウスは強く目を閉じた。
信じてきた教え。
目の前で見た現実。
その二つが、胸の中でぶつかり合っていた。
ヴァルドの声が再び響く。
「教会は月蝕の子を追う」
「如何なる手を使ってでも」
クラウスは顔を上げられなかった。
それが本当に人々を救うためなのか。
本当に正しい道なのか。
もう、分からなかった。
コメント
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新章おめでとうございます👏 引き続き読んできます📖 一安心かと思ったらまた何かが…😭 ほんとに全員で💛を守って欲しい!! ちなみに皆の故郷に5人で行く予定とかあったりします?
皇帝レグルスがジントに「礼を言う」って直接伝えた場面、すごくグッときました。今まで怖れられてきたジントが初めて感謝される――その戸惑いが痛いほど伝わってきました。そして教皇ヴァルドの冷徹な信念と、神官クラウスが「月蝕記」を思い出し揺れ動く対比が鮮やかで。どちらが正義なのか、読んでいて胸が締め付けられます。ハヤトの「世界は広い」という台詞、ジントの旅立ちを象徴するようで好きです。