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パチ、パチ、パチ——
乾いた拍手が、張りつめた空気を割った。
「俺なら女の子に手は上げないが」
声の主は、いつの間にかそこに立っていた。
埃にまみれた軍服。
だがその立ち姿には、不思議な余裕がある。
「エルネスト様♡」
エレンが目を輝かせる。
だが——
「……」
エルネストは一瞥すらくれず、サイラスの前まで歩み寄った。
距離が、近い。
まるで試すように、覗き込む。
「昨日、カミロがヤガウエイを解放した」
低い声だった。
だが、その一言で空気が変わる。
均衡は崩れた。
「いよいよだ」
わずかに口元が歪む。
「——ちょっと話せるか」
サイラスは、ほんの一瞬だけフローレンスを見た。
そして——
無言で、うなずいた。
「アメリアの特殊部隊が、バナナを発った」
エルネストは低く言った。
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「……おそらく、セントクララ攻略の情報が漏れた」
「奴らが到着すれば、攻略どころじゃない」
窓の外では、遠く剣戟の音が響いていた。
山のどこかで、また戦っている。
エルネストは地図の上に手を置いた。
「全滅だ」
その言葉だけが、やけに静かに落ちた。
誰も口を開かない。
だが、エルネストはゆっくり顔を上げる。
「……それでも、やめるわけにはいかない」
一言ずつ、噛みしめるように言った。
「俺たちは明日、市街戦に突入する」
その目に迷いはなかった。
死地へ向かう人間の目だった。
「ここも危ない」
「アメリア特殊部隊の侵攻ルートの、ど真ん中だ」
フローレンスたち医療団のいる天幕群。
負傷兵。
民間人。
逃げ遅れた子どもたち。
すべてが、戦場に呑まれようとしていた。
「逃げてくれ」
エルネストは短く言った。
「シエラ・マエストロ山脈まで逃げれば、
フィデロが何とかしてくれる」
沈黙。
サイラスは腕を組んだまま、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……わかってるんだろ」
その声は静かだった。
「もう、逃げられないよ」
エルネストの眉がわずかに動く。
「たぶん、あの子は怪我人を置いていかない」
フローレンスのことだった。
包帯を抱え、血に汚れながらも、
最後まで患者のそばを離れない女。
エルネストは苦々しく笑った。
「らしいな」
「ここへ来る途中、セントクララを見た」
サイラスは机の地図に目を落とした。
「街の軍の士気は低い」
「おそらく、アメリア軍の到着を待っている」
「……」
「だとすれば」
サイラスはそこで言葉を切った。
窓の外へ視線を向ける。
夕暮れの街道。
土煙を上げながら、牛の群れが追われていく。
ゆっくりと。
静かに。
その群れを見つめたまま、サイラスは呟いた。
「先にアメリア軍を討てば――」
その横顔に、薄く影が落ちる。
「街を、解放できるかもしれない」
「……何を考えてる」
エルネストが低く言った。
サイラスは窓の外を見たまま、静かに答える。
「アメリアの兵は精強だ」
少し間を置く。
「まともに戦って勝てる相手じゃない」
「……」
「ゲリラ戦、って言うんだろ。
こういうの」
その視線の先では、夕暮れの街道を牛の群れがゆっくり進んでいた。
ダレス率いるアメリア特殊部隊は、夜の街道を急いでいた。
ダレス自身は馬上にあったが、
部隊の主力は歩兵だった。
市街戦を想定した精鋭部隊。
重装ではない。
長距離行軍に適した軽装備で統一されている。
屈強な男たちが、整然と縦列を組み、
息一つ乱さず暗闇を駆けていた。
「今夜中にセントクララへ入る」
ダレスは前を見たまま言った。
「明日、街へ降りてきたゲリラどもを皆殺しにする」
部下たちは無言でうなずく。
ダレスに届いていた情報では、
エルネスト率いる革命軍はおよそ三百。
夜明けとともに、
セントクララ駐留軍への攻撃を開始する予定らしい。
ならば、その前に街に入り待ち伏せする。
単純な話だった。
「よし、休め」
山間の街道。
部隊はようやく足を止めた。
ゲリラに位置を悟られぬよう、
灯火は最低限。
夜通し進軍してきた兵たちが、
ようやく短い休息に入る。
ダレスは周囲を見渡した。
岩肌。
痩せた木々。
切り立った斜面。
(身を隠せる場所は少ないが……)
空を見上げる。
(ここなら山側から灯りが漏れることもない)
その先にあるのは、セントクララ。
ここを抜ければ、目的の戦場だった。
その時だった。
「――た、隊長!」
切羽詰まった声。
ダレスは眉をひそめた。
「なんだ」
「火が――こちらへ向かってきます!」
「……何?」
「火です!
火の群れが、すごい速度で!」
馬鹿なことを。
そう言いかけて、
ダレスは兵士の見ている方向へ顔を向けた。
そして、息を止めた。
暗闇の山道。
その奥から――
無数の炎が、こちらへ突進してきていた。
揺れる。
跳ねる。
吠えるように燃え盛る松明の群れ。
それが尋常ではない速度で、
一直線に迫ってくる。
地鳴り。
獣の唸り声。
土煙。
「――敵襲!!」
誰かが叫んだ。
「迎撃態勢!! 迎撃!!」
兵たちが一斉に動く。
だが、
何が来ているのか、
誰にも分かっていなかった。
次の瞬間――
炎を括りつけられた牛の群れが、
絶叫しながらアメリア軍へ突っ込んだ。
屈強な男たちとはいえ、
荒れ狂う牛の群れの突撃を真正面から受けては、
ひとたまりもなかった。
炎に怯えた牛たちは絶叫しながら突進し、
人も陣形もまとめて踏み潰していく。
兵士たちははじき飛ばされ、
悲鳴と怒号が夜の山間に響き渡った。
巨大な牛の奔流は、
アメリア特殊部隊の中央を完全に引き裂いていた。
「突撃――ッ!」
牛の群れの後方から、
エルネストが姿を現した。
鬨の声。
左右の山肌から、
革命軍の兵士たちが次々と駆け下りてくる。
闇に紛れ、
岩陰を飛び、
混乱した敵へ銃火を浴びせる。
ダレスは叫んだ。
「隊列を立て直せ!
散開するな!」
だが、遅かった。
炎。
土煙。
暴れる牛。
暗闇。
何が敵で、
どこから撃たれているのかすら分からない。
山岳の夜戦。
ゲリラ戦。
その戦場では、
エルネストたちに軍配が上がった。
「軍師様は戦場へ行かないんですか?」
医療キャンプで、
ユンナが呆れたように尋ねた。
サイラスは椅子に腰掛けたまま、
平然と答える。
「戦えない男なんで」
「……」
「牛にぶつかって怪我したら嫌じゃん」
ユンナはじっとサイラスを見たあと、
小さくため息をついた。
「私が治して差し上げます」
「おや」
サイラスは肩をすくめる。
「白衣の天使に職業替えですか?」
「誰のせいで医療団と一緒にいると思ってるんですか」
「怖い怖い」
軽口を叩きながら、
サイラスは遠くへ視線を向けた。
夜の山々が、
赤く染まっている。
炎だ。
戦が始まっていた。
煙が、
風に乗って運ばれてくる。
サイラスはその煙をかぎながら、
静かに目を細めた。
(……明日の朝飯、何が出るかな)
そんなことを考えていた。
#異世界