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スタジオを出て矢嶋と別れた私は、まっすぐに編成広報局に戻った。自分の席に座るか座らないかのタイミングで佐竹から声がかかる。
「川口さん、お帰りなさい。戻って早々でごめんなさい。B社向けの原稿なんですけど、今日中に作って先方に送ってもらえるかな?いつも通り、いったん私がチェックするので、五時までお願いします」
「分かりました」
佐竹から原稿作成用の資料を受け取り、今度こそ席に着こうとした時、彼女に引き留められた。
「川口さんって、今度から矢嶋さんの番組のお手伝いをするんですってね。私、今朝は用があっていなかったから、さっき局長から聞いたばかりなのよ」
「はい。しばらくの間ということでお話がありまして、担当の方たちと打ち合わせをしてきました」
「へぇ、そうなんだ……」
佐竹の眉が寄せられ、その顔がわずかに歪んだように見えて、私は緊張した。
私がラジオの手伝いをする間、仕事の配分を考え直すと局長の中沢が言っていた。もしかすると、そのことに不満があるのかもしれない。普段の私は佐竹の手伝いをすることが多かったから、その分彼女に負担がかかる可能性があった。
「すみません。その間は今までのように、佐竹さんのお仕事をお手伝いできないこともあるかもしれません……」
しかし佐竹は笑いながら肩をすくめた。
「だけど、そんなに長いことじゃないんでしょ?代わりのバイトさんが見つかるまでって聞いているわ。それよりも、川口さんの方があっちもこっちもで大変そうね。頑張ってね」
笑う彼女にほっとして、私もまた笑みを返す。
「この金曜日から午前中抜けることになりますが、よろしくお願いします」
そうしていよいよその第一日目がやってきた。
今日から矢嶋の番組を手伝うのだと思ったら、朝の目覚めの時からそわついて落ち着かなかった。
仕事の内容についてはすでに説明を受けている。一緒に番組を手伝うことになるアルバイトの子とは、昨日の夕方のうちに顔合わせが済んでいる。それでも緊張が和らがないのは、今まで経験したことのない初めての仕事だからだろう。
番組開始は十時。その三十分前までに、マスタールームに来るようにと言われていた。
私は局長をはじめとする部内のメンバーに断りを入れて、急ぎ足でスタジオのあるフロアに向かった。恐る恐るマスタールームのドアを開けて顔を覗かせる。
辻が私に気づいて振り返り、笑顔を見せた。
「夏貴ちゃん、おはよう。今日からよろしくね」
「よろしくお願いします」
挨拶を返しながら、私はやや強張った顔つきで辻の傍へ寄って行った。
「もしかして緊張してる?」
「はい、少し」
辻は私の肩をぽんぽんと軽くたたく。
「大丈夫だって。そんなに構えないで大丈夫だから」
「はい」
引きつった笑みを浮かべた時、明るい声が聞こえてきた。
「おはようございます!」
首を回して見たそこに、顔合わせ済みのアルバイト大学生、早坂梨乃の姿があった。彼女はにこにこしながら私たちの方へと近づいてきた。
人懐こい彼女の笑顔に、私の気持ちは少しだけ軽くなる。
「梨乃ちゃん、今日からよろしくお願いします。色々と教えて下さい」
彼女に挨拶した後、機材の前に座る男性に気がついた。慌てて彼に向かって頭を下げたところを梨乃に促されて、電話が置かれたテーブルに向かう。
そこに矢嶋が入って来た。
「おはようございます。やぁ梨乃ちゃん、今日もよろしくね」
梨乃はぴしっとした様子で挨拶を返す。
「はい!よろしくお願いします!」
「矢嶋、今日から予定通り、夏貴ちゃんが入るから。よろしくな」
辻に言われて矢嶋は私に目線を移し、にこりと笑った。驚きすぎて動揺し、頬がぴくぴくと引きつってしまう。私の記憶にある限り、彼からそんな笑顔を向けられたのは初めてだ。
「川口さん、おはよう。今日からよろしく」
「は、はい、よろしくお願いします」
私と矢嶋の様子を眺めていた梨乃が不思議な顔をする。
「お二人って、もともと親しいお知り合いとかなんですか?」
「え?」
私と矢嶋の間に、親しげな雰囲気などみじんも漂っていないはずだ。戸惑い顔の私に、梨乃は小首を傾げる。
「だって、夏貴さんに対する矢嶋さんの口調が、なんだかいつもと違って聞こえたんですよね。なんていうか、気を許してる感じっていうのかな。だから、もしかしてって思ったんですけど。当たりですか?」
隠しておくようにと言われているわけではないが、一応矢嶋に確認を取ろうかと考えて、私は彼に目を向けた。しかしいつの間にか彼は、辻たちの元へと移動している。
「えぇと……」
言葉を濁す私を見て、いったいどんな勘違いをしたのか、梨乃は声を潜める。
「私、口は堅いですから。安心してください」
「えっ……」
梨乃の言葉に戸惑って目を泳がせた時、辻が私の傍に立った。
「二人は大学の先輩後輩なんだよ。つまり二人とも、俺の後輩でもあるってこと」
今の今まで私たちから離れた場所にいたはずだが、ちゃっかりと聞き耳だけは立てていたらしい。
「なんだ、そうなんですね。単なる先輩後輩かぁ」
辻は苦笑いを見せる。
「何、その反応」
「いやぁ、だって。矢嶋さんって、辻さんと違って、すごくきりっとしていて、テレビのまんまの人って感じじゃないですか。もちろん、いい意味で、ですよ?今はもう慣れましたけど、私、少し前までは、矢嶋さんに挨拶するだけでも、ものすごく緊張してたんです。だけど、一緒に仕事をするのが今日からのはずの夏貴さんに、そういう感じの緊張感は見られないですし、矢嶋さんに至っては、会って二、三回程度とは思えないような笑顔を夏貴さんに見せたりしているし……。だから知り合いなのかな、って思ったのと、実はお二人の間には何かあったりして、なんてことを、つい妄想しちゃったといいますか。あはは、失礼しました」
屈託なく笑っている梨乃に私は肩をすくめてみせる。
「何もありませんから。本当にただの先輩後輩なので」
「何の話してるんだ?」
機材担当者と話を終えた矢嶋が私たちの方へとやって来て、三人の顔をぐるりと見回した。
「矢嶋さんと夏貴さんの関係について話してました」
あっけらかんと答える梨乃に、矢嶋はにやりとした笑みを見せた。
「関係ね……。ここだけの話、後輩の川口さんとは色々あってね」
「色々って?」
「それは梨乃ちゃんのご想像にお任せするよ」
「ちょっと……!誤解を生むような言い方はやめてください」
「なぁんだ。お二人って、やっぱりもともと仲が良いんですね」
梨乃の目が輝いたと同時に辻の声が割って入ってきた。
「皆さん、そろそろスタンバイしましょうか」
「はい」
「了解です」
返事をして、私たちは各自自分の持ち場へと移動した。
「それでは皆さん、一時間半、よろしくお願いします」
辻の声に緊張してすっと背筋を伸ばした私に、真正面に座る梨乃が笑いかける。
「夏貴さん、楽しく頑張りましょう!」
「あはは。頑張ります……」
私はぎこちない笑いを梨乃に返した。
#再会