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#恋愛
番組が始まった。
音楽が流れ出し、しばらくたってから、辻の合図で矢嶋がマイクに向かった。穏やかな響きの声が爽やかに話し出す。
「リスナーの皆さん、おはようございます。今日は私、矢嶋彬がパーソナリティを務めさせていただきます。よろしくお願いします。ところで、話は変わりますが……。今朝はずいぶんと冷え込みましたよね。ダイヤモンドダストが見られた地域もあったようですが、皆さんのお住いの場所ではいかがでしたか?……」
仕事をしている矢嶋を直接見るのは初めてで、とても新鮮に感じられた。ガラス越しに彼を見て、こっそりと思う。悔しいけれど、やはり彼はイケメンという部類の人種なのだと認めざるを得ない。モニターを通して聞こえてくる声も、すこぶるいい。
夏貴――。
あの夜、私の名前を呼んだ彼の声が思い出されて、そわそわした。目の前の仕事に集中しなければと、口元を引き締めた時、電話が優しい音を鳴らした。私にとってのリクエスト電話、第一号だ。
ごくりと生唾を飲み込み梨乃を見ると、彼女は胸の前に拳を二つ作り、私に向かって小さく振っていた。頑張れとエールを送っているつもりらしい。
私は彼女に向かってこくりと頷き、すっとひと呼吸ついてから受話器を取った。自分の中で一番だと思える声を出す。
「おはようございます。お電話ありがとうございます。リクエスト、承ります」
その電話を皮切りに、リクエストが入り出した。
梨乃と合わせて、一体何本の電話を取っただろう。最初のうちは確かに緊張してどきどきしていた。けれど、聞き取る内容そのものは難しくなく、また、視聴者電話のように困った問い合わせがあるわけでもなかったから、思っていたよりも早く慣れることができた。
リクエストの受付が締め切られた後は、番組が終わるまで、矢嶋のトークと流れる音楽にのんびりと耳を傾けていたが、こんなに楽でいいのかしらと、ふと申し訳ない気分になる。
「――金曜日の今日は、矢嶋がお送りしました。また来週お会いしましょう」
矢嶋が締めくくりの言葉を述べるのが聞こえた。そこに重なった音楽が徐々にフェイドアウトしていき、番組は終わった。
「お疲れ様!」
皆を労う辻の言葉に、私はようやくほっとして肩の力を抜いた。
梨乃が感心の目を私に向ける。
「夏貴さんはやっぱりもともとお仕事してる人だから、電話を取るのも話を聞き取るのも、慣れるのが早かったですよねぇ。私、初日でここまではできなかったなぁ」
梨乃の誉め言葉に照れたが、ふとあることを思い出して私はため息をつく。
「そう見えたのなら良かったけど、話の長いリスナーさんがいたのは、少しだけ困っちゃったかなぁ。嬉しそうにお話しされてるから、どこで切り上げていいのか難しくて……」
「もしかして、南風さんですか?」
「よく分かったね」
「金曜日、話が長いって言ったら、あの方しかいないので……。あの方は毎週のようにかけてきてくれるんです。それはありがたいことなんですけどねぇ。こんなこと言うのはアレですけど、あの方の電話を取っちゃった時は、失敗したって思います。あんまり長い時は、強引に終わらせるしかないですね。他にもリクエストをお待ちの方がいるからとかなんとか言って。まぁ、そこの加減みたいなものは、そのうち分かって来ると思いますけど」
「そうなのね」
梨乃の話にふむふむと頷いているところに、矢嶋がスタジオから出てきた。
「二人ともありがとう。次回もまたよろしく頼むね」
「お疲れ様でした!」
「お、お疲れ様でした」
私も梨乃に倣ってぎこちなく矢嶋に頭を下げた。
再び私が顔を上げた時にはもう、梨乃は立ち上がり、足元に置いていた荷物を肩にかけていた。
「私はこれから大学なんで、これで失礼します。また来週、よろしくお願いします!」
梨乃は元気な声で言い、パタパタと足早にマスタールームを出て行った。
彼女の背中を見送って、さて私も本来いるべき部署へ戻ろうと席を立つ。機材担当の人にもひと言挨拶を思ったが、すでに彼の姿はない。
「じゃあ、辻さん、私もこれで」
「夏貴ちゃん、本当にありがとね」
辻は傍までやって来て、私の頭にぽんと手を乗せる。
「やってみてどうだった?そんなに難しいことはなかっただろ?」
「うぅん、まぁ、そうですね。でも、うまく聞き取りできていない所もあった思うし、お話の聞き方とか難しいところもありましたけど……」
辻は私の肩に手を回して続ける。
「それは数をこなしているうちに、うまくできるようになると思うよ。手伝ってもらえてほんと助かった。な、矢嶋?」
辻に話を振られて、矢嶋は不快そうな顔つきで私を見た。
つい先ほどまではまったく普通、むしろ優しい顔をしていたはずなのに、いったいどうしたのか。私は彼の急変に戸惑った。
「たこ焼きちゃんだって、電話くらいは取れるでしょうからね」
私は下唇をきゅっと噛んだ。その呼び名を聞くことはもうないと思っていたのに、どうしてまた、と苛立つ。
辻が呆れ顔を矢嶋に向ける。
「お前はまた、そういう呼び方して……。ほんとに、夏貴ちゃんから嫌われるぜ」
「別に。こいつに嫌われたところで、痛くもかゆくもありませんから」
「ふぅん?」
辻の顔に意地悪な笑みが浮かんだ。
「そんなこと言って、今日のお前、朝からずっとなんとなくそわそわしてなかったっけ?」
「いつもと変わりませんよ」
「そうだったかな?」
矢嶋は肩をすくめる。
「俺、もう戻ります。取材したやつ、編集しないといけないんで。それじゃ、たこ焼きちゃん、また次回よろしくな。それから辻さん。前にも言ったはずですけど、いくら仲のいい後輩だからって、気安く女性に触れるのはどうかと思いますよ。それじゃ、お先します」
「はいはい」
苦笑しながら矢嶋を見送った後、辻は私の肩から手を離した。
「俺って他人と距離が近いみたいなんだ。ごめんね。不快だったらすぐ言って。それにしても矢嶋って、なんだか夏貴ちゃんの保護者みたいじゃないか?」
「えっ。あんな保護者、いらないんですけど」
つい怒気を含んだ物言いをしてしまい、私ははっと口をつぐんだ。
「あはは。ま、とにかく、次回もよろしく頼むね。というか、どうせなら、このままずっと、手伝ってもらうわけにはいかないのかなぁ」
「どうなんでしょうね?もしそうなっても、私の方は別に構わないんですけど。楽しかったから。ただ……」
「ただ?」
できれば本当は矢嶋の番組じゃなければ、なおいいのだけれど、と喉から出かかった。それを飲み込み、私は笑って首を横に振る。
「なんでもありません」
「そう?しかし、矢嶋のあれは、いったいなんなんだろうな」
「あれって?」
「ん?あの呼び方とか、夏貴ちゃんに対する態度とかだよ。もしかして、照れ隠しかね」
「照れ隠し?」
「うん。本当は夏貴ちゃんのことが可愛くて仕方ないんだけど、そう思っていることを隠すために、わざとあんな風に夏貴ちゃんに接しているんじゃないの?」
私の眉根はぎゅっと寄る。
「あり得ませんよ。仮にそうだったとしても、あの呼び方はないと思いませんか?」
「まぁな。確かに女性に対して言うような言葉じゃないよな。俺からも言っといてやるよ。だから夏貴ちゃんも、この番組の手伝いは嫌だとか、言わないでね」
「あ、ははは……」
心の中を見透かされたかとやや焦ったが、私は笑ってごまかした。