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「そんな事、滅多な事で言うもんじゃないよ?」
悠莉の発言に幸人は、諌めるようにその小さい頭に、掌をぽんと乗せた。
「だって~」
それに悠莉は不満気味。仮にそれが事実だとしても、良心の無い人はそれほど珍しい訳でもない。幸人も一目見て、すぐに気付いた。
だからといって、それらをどうにかしようとは出来ない。
良心が無いだけで、皆が皆犯罪者な訳がない。社会的に危険な存在ではあっても。
「ありがとうございました~」
レジでの清算後も、悠莉は幸人の腕にしがみつきながらも不満を露にしている。
「“普通”のサイコパスだったら、いちいち言わないよぉ……。でもさっきの人、裏で色々酷い事してる……」
あくまで“普通”ではないから、悠莉は警告みたいに言っているのだ。
これも彼女の力。その前では如何なる隠し事も不可能。
「それでもだ――」
出口へと歩みを進めながら、幸人は分かっていながらも彼女を咎める。
「誰にだって裏はある。それを表立って咎める必要は無い」
「裏……幸人お兄ちゃんも?」
「そうだよ――って、当然じゃないか?」
考えれば狂座に属する者程、裏表がはっきりと別れている存在は他に無いだろう。
表では善良を装いながら、裏では金で殺人代行請負。
通常の“悪”以上に“極悪”である事も間違いはない。
だが誰もがそれは分かっている。分かっていて敢えて、この道に居るのだ。
“これが正義である筈が無い”と。
「それもそうだね……うん。帰ろ、幸人お兄ちゃん?」
悠莉もまた同じ。一呼吸置いた後、彼女は再び何時もの笑顔に戻る。
「今日は付き合ってくれてありがとね。楽しかったよ~」
「あ、ああ……」
その笑顔には戸惑うし、やはり慣れそうもない。
悠莉に急かされながらモール内を跡にし、帰路に着いた。
「ああ~隠れるのも楽じゃないぜ……」
帰りの道中、車内で晴れて自由の身となったジュウベエが、悠莉の膝元で不満を洩らしていたのはご愛嬌。
***********
――帰宅した頃には既に、午後七時を回っていた。
当然ながら購入した家具は、まだ届いていない。明日一気に届けられるだろう。それを思うと、また気も滅入るというものだが。
とりあえず、悠莉はすぐに夕食の支度に取り掛かった。
幸人はというと――『ボク一人で作るから』と言う悠莉に夕食は任せ、米だけを炊いて、せがむジュウベエへ夕食の配膳だ。勿論、金のスプーンである事は言う迄も無い。
さて――ほのかに特有の良い匂いが漂ってくるが、カレーが煮込む迄は、まだ少々時間を有するだろう。
幸人は先にシャワーでも浴びる事にした。
――悠莉の為に浴槽に湯を張ったが、本人はシャワーで充分と、湯船には浸からない。
シャワーの時でさえ、その眼鏡を外さないのは、幸人自身の配慮なのか。
洗顔はどうするのだろうかはさておき、無心で湯を浴び続ける――その時だった。
「幸人お兄ちゃん! ボクも一緒に入る~」
突如浴場への取手が開かれ、悠莉の声が聞こえた事に。
「ちょっ――!!」
振り向いた幸人の絶叫が、狭い浴場に反響した。
悠莉は恥ずかし気も無く、一糸纏わぬ姿で乱入していたのだから無理はない。
「駄目駄目そんな! もっと恥じらいを持って――」
幸人は何とか外へ押し留めようとするが。
「ええ~何で? 良いじゃん別に? 幸人お兄ちゃんの背中を流してあげるから」
幸人がどう思おうと、悠莉にとって其処に他意は無いのだ。
「そんな無理無理ぃ!」
一体何が無理だというのか。それは明らかに意識し過ぎている証でもある。
「もう入っちゃったも~ん」
しかし気にも止めない悠莉は、その手をすり抜けて湯船へと飛び込んでいた。
その衝撃でお湯が一気に溢れる。
「温かくて気持ちいい~! 幸人お兄ちゃんも一緒に入ろうよ~」
「無理ぃぃぃ!!」
湯船に浸かりながら御呼びの悠莉から逃げるように、幸人は浴場から飛び出していた。
「変な幸人お兄ちゃん……」
浴場がら出る間際、悠莉の不満の声が聞こえたが、構う事はない。
身体を拭くのもそこそこに、はだけた衣服で部屋に戻った幸人。
そこにはニヤニヤと笑みを浮かべる、ジュウベエの姿が。
問題のカレーはと言うと、しっかりと完成していたのは言う迄も無い。
***********
――事務室。既に二十三時を回っており、辺りに人の気配は無い。
ヴァーミリオンシティは二十二時に閉店を迎える為、二十三時迄には全従業員は、夕方の部まで併せて帰社する。
そんな無人と思わしき事務室の中、一つの蛍光灯のみで机に向かう者が一人。
後ろ姿から女性従業員と思わしき者が、何やら手に持つ札束を一枚一枚数えていた。
店舗のスーパーに於ける、売上の誤差確認である。
“サービス残業”
表向きはそう。だがこれは彼女の意思で――ではない。
“直々に勅命”
「もう……止めてください……」
不意に女性従業員から、批難の声が洩れる。
彼女のその胸元には、鷲掴みにされた二つの掌が。
「……何を言ってるんだい? 僕に逆らうなんて悪い子だ」
「――やめっ!」
鷲掴みにしているその両手が、更に強引に動く。
嫌悪の態度を示すが、動けない彼女の背後から覗かせる表情。
「僕に逆らえると思っているのかい?」
その醜悪感剥ぎ出しな表情の主は、ヴァーミリオンシティ~スーパー部の店長――中村 照男、その人だった。
「お願いします……もう嫌ですこんな――っ!?」
抗おうとする彼女の口が、不意に塞がれた。
「んんっ――!」
咥内に侵入してくる己以外の舌の感触に、彼女は声無き呻きを上げる。
中村は無理矢理、その唇を奪っていた。
どう見ても同意の元ではない。
「ククク……君は僕の“物”だ。それに僕を拒んだら、君は勿論、君の両親までどうなるか……分かるよね?」
明らかに何か弱味を握り、それにつけ込んでいる。
「さあ……両手を机に着いて、後ろを向け」
口を離して命令口調で指示する中村。
「……うぅっ――」
彼女は逆らう事は出来ない。中村の言われるがままに――その時を待つ。
――室内に混じり合う音と、中村の歓喜の吐息のみが響き渡る。
唇を噛み締めながら耐えている、彼女の瞳には涙が。
それは声無き悔し泣き。
だが中村に、それは知るよしもない。
「ここには僕達しか居ないんだから、もっと声を出していいんだよ?」
彼はただ、自分の欲望を打ち付けているだけ。
揺られながら背後で動く者に思うのは――彼女のその瞳に宿すのは、悔恨の念なのか。それとも――。
************
「まあ! 可愛い子ねぇ。ユキ先生のお子様かしら?」
――翌朝。如月動物病院診療所にて。
愛犬のミニチュアダックスフンドを連れて診察に赴いた常連のマダムが、幸人の傍らに居る者の姿に感嘆の声を上げた。
“こんな大きい子が居てたまるか!”
「いえいえ、親戚の子を預かる事になりまして……」
全力で突っ込みたくとも、幸人は此所に於いて爽やかな表情は崩さない。
「は~い如月 悠莉で~す。幸人お兄ちゃんとボクは近くて遠い親戚関係だけど――」
悠莉が表事情を上手く辻褄を合わせてくれるか、最初は不安だったが杞憂に終わる――が。
「法律上では結婚出来るんで~す。幸人お兄ちゃんはボクが十六になったら、お嫁さんにしてくれるって約束してくれました~」
「――ちょっ!」
本当に最初だけで、後半は事実無根。見事に不安が的中した幸人は、不意打ち気味に喉を詰まらせた。
「まあ妬けちゃうわ。良かったわねぇユキ先生? こんな可愛くて若いお嫁さんを貰う約束があるなんて」
マダムは目を輝かせる。皮肉と言うより好意的に。
「ちっ……違います! この子は妹みたいなもんです! そんな淫行な――」
「淫行ってな~に?」
「愛があれば親戚とか関係無いのですよユキ先生。結婚式には是非招待してくださいね?」
「違っ――」
取り乱しているのは幸人のみ。すっかり事実無根が事実になりつつあった。
このままでは在らぬ噂が立つのは明々白々。
『淫行獣医、半分も歳の離れた親戚の子に手を出す――』
楽しそうにマダムと“将来の事”に関して、談笑する悠莉に幸人は、血の気が引いていく思いに。
“これ以上、悠莉を診療所に置いておくのはマズイ”
「……悠莉? もうすぐ荷物が届く頃だから、部屋に戻ってなさい」
妙案。と言うより、昨日購入した家具類が大量に届くだろうから、自宅には誰か居なければならない。
「あぁ! そうだった、お部屋を改造しないと。じゃあ戻ってるね~」
悠莉もそのつもりだったのだろう。
「ジュウベエ行こ?」
「はいよお嬢。あのババアは香水臭くてたまらんぜ……」
思い出したかのように、ジュウベエと共に診療所を後にする。
取り敢えずの窮地は脱したと、幸人は胸を撫で下ろしていた。
************
――本日の業務も終わり、自宅へと戻る幸人。
悠莉はあの後、一度も診療所に顔を出す事は無かった。きっと大量に送られてきた家具類に、四苦八苦していたのだろう。
あのマダム以外に悠莉の事は知られなかったが、噂が広がるのはきっと時間の問題だ。淑女とはお喋り好きが常。
「はぁ……」
これからの事を思うと先がおもいやられる――と、幸人は玄関を開けて室内に足を踏み入れた。
部屋からは夕食特有の、良い匂いが漂ってくる――と言うより、これは昨夜のカレーの残りである事は言う迄もない。
幸人としては、食事は腹が満たされればそれでいい。
その事でグルメ嗜好のジュウベエと、よく対立したものだ――と、部屋内に踏み入れた幸人は、余りの部屋の変わりように暫し呆然。
あの殺風景だが、過ごし易い部屋の面影さえ無くなっていた。
“こんなの買ったっけ?”
それはまるで少女趣味風。ピンクのカーテンや絨毯。ぬいぐるみやアニメポスター等で、別世界にデコレーションされていたのだ。
少女が住むには、これも可愛らしいだろう。
だが大の大人が住むには、余りに場違い感が否めなかった。
「お兄ちゃんおかえり~」
部屋兼用のキッチンから、その部屋の主が姿を現す。
「なっ……!?」
幸人はその姿に、何故か今更ながらに驚愕に立ち竦んだ。
そう。彼女は悠莉なのだが――微妙に違う。
姿形は全く一緒ながら、ある箇所が違っていた。
「どうして……お前が?」
ピンクのエプロンを掛けて、ニコニコと幸人へ笑顔を向ける少女は――
「姫紀(キキ)……」
そう呼ぶように、幸人も彼女を悠莉として見ていない。
それは悠莉特有のオッドアイではないが、其処に居るのは二つの黒いつぶらな瞳が特徴の、悠莉と瓜二つな少女だった。