「あの男が千尋に本気なのか確かめたんだろ?」と、陸さん。
「そう!」
「ふーん」と、あきらは信じてない様子。
「別にどっちでもいいけど?」
「あきら!」
「しっかし、ありゃ……」と、大和さんが呟く。
「本気も本気だろ。千尋を抱えてなかったら、龍也殴られてたぞ?」
「だな」と、陸さん。
「なんか……すっげぇ気になるけど、すっげぇ聞きにくいな」
「あきらは何か知ってんだろ?」
大和さんに聞かれて、あきらは唇をキュッと結ぶ。
「『指輪フェチなの』……って、昔千尋が言ってたけど、結婚指輪のことだったのかな」
そう言った麻衣さんは、泣いていた。
「千尋……幸せな恋愛してると思ったんだけどな」
「してるよ」
あきらが言った。
「比呂さんはすぐにでもあの指輪を外したいって言ってるのに、そうさせないのは千尋なの。自分で作ったルールに雁字搦めにされて、苦しいのに絶対認めようとしないの。千尋は――」
あきらと視線が交わる。
「――私以上に素直じゃないのよ」
『素直になりたい』
俺には、あきらがそう言ったように思えた。
コツ、と靴音が耳に入り、音のする方に顔を向けると、陸さんがゆっくりと麻衣さんに近づいていた。
麻衣さんの隣には鶴本くんがいて、彼は泣いている麻衣さんの肩を抱いている。ハンカチかティッシュを探しているようで、ゴソゴソとコートのポケットに手を突っ込んでいる。
「なんでお前が泣くんだよ」
鶴本くんがティッシュを探り当てるより先に、陸さんが青いハンカチで麻衣さんの涙を拭った。
ピリッ、と空気が痺れる。
「だって……」と、麻衣さんがハンカチを受け取って目を押さえる。
「大丈夫だ。面倒そうだけど、千尋はあの男が好きで、あの男も千尋が好きだ。きっと、上手くいくよ」
そう言いながら、陸さんが麻衣さんの頭に手をのせた。
「お前も千尋が幸せそうに見えたんだろ? 俺もそう思うよ。あの男は千尋にベタ惚れだし、千尋が男に甘えるのなんて初めて見たし」
「うん……」
「俺たちは、千尋の恋を応援してやろう」
それから、陸さんは身を屈めて彼女の耳元で何かを囁いた。
何を言ったのか、麻衣さんがハンカチをギュッと握り締め、視線をそれに落とした。
今までのように、麻衣さんが傷つかないように鶴本くんを牽制しているのかとも思ったが、どうやら違った。
陸さん、本気かよ……。
陸さんの挑発に気が付かないほど、鶴本くんは間抜けではなかった。
一瞬だけ、陸さんと鶴本くんの視線が交わり、火花が散ったのに気が付いたのは、麻衣さん以外の全員。
「帰ろう、麻衣」と言って、鶴本くんが麻衣さんの肩をグイッと抱き寄せる。
「うん」
「麻衣、またね」と、あきら。
「うん。あ! 大和、さなえに体調が良くなったら連絡するように言っておいて」
「おお」と、大和さんが麻衣さんに返事をする。
「またな、麻衣」と、陸さん。
「陸」
「そいつに泣かされたら、言えよ」
「り――」
「――泣かせません!」
麻衣さんの言葉に被せて、鶴本くんが言った。
「絶対、泣かせませんから!」
『だから、俺の女に近づくな』
鶴本くんの目が、そう続けた。
「行こう」
彼は行儀よく、陸さん以外の俺たちに頭を下げて、少し早いペースで歩き去った。
困惑気味の麻衣さんの手を引いて。
「あいつも本気だな」と、大和さんが呟く。
「で、こっちもか」
陸さんがニッと不遜な笑みを浮かべた。
「時間がないからな」
「勝手すぎじゃない?」
あきらが言った。陸さんを真っ直ぐ見て。
「鶴本くんはいい子だと思う。相手が彼なら、麻衣は傷つかないと思う。なのに、自分が離婚したからって波風立てるの、勝手だと思う」
あきらの言い分も尤もだ。
だが、俺的には、ずっと『兄』のような立ち位置で麻衣さんを見守ってきた陸さんが、あからさまに『男』の顔で麻衣さんを動揺させたことは、自分勝手、という言葉で片付けられるほど軽いことじゃないと思った。
「勝手だって自覚はあるさ。だが、それをお前が言うか? 龍也の性格も気持ちも知っていながら寝ておいて、そんなつもりじゃなかった、とか言ってんだろ?」
「――陸さん!」
「――陸!」
俺と大和さんが同時に声を発した。
事実、だとしても、今のあきらにその言葉はキツイ。
それに、俺はあきらを追い詰めたいわけじゃない。
「お前が年上の男と歩いてるの、見たよ。すげー真面目そうな男。あいつと結婚すんのか?」
「そんなこと――」
「で、平気な顔で龍也を結婚式に呼ぶのか? 大学時代の友達です、って旦那に紹介するか?」
「そんなことっ! 陸さんには――」
「俺はごめんだね」
陸さんが吐き捨てるように言った。
どうしたのだろう。
陸さんが麻衣さんを友達以上に想っているのはわかる。イギリス行きで焦るのもわかる。が、つい最近まで陸さんは結婚していて、離婚したからと言ってこんなに焦って麻衣さんを口説きにかかるのは、どうも腑に落ちない。
離婚の原因が麻衣さんなんてこと、ないよな……?
「それに――」と、陸さんは自分が吐きだした白い息が立ち消えていくのを眺めながら言った。
「――先に勝手をしたのは、麻衣だ」
事情がありそうなのは、わかった。
だから、俺もあきらも、大和さんも何も言わなかった。
「なぁ、あきら」
「……なに」
「お前は龍也の結婚式に、大学時代の友達として出席できるか?」
「え――」
「お前を諦めた龍也が選んだ女に、『お幸せに』って言えるか?」
そんなこと、ありえない。
俺があきら以外の女を選ぶなんてこと、あるはずがない。
だが、あきらは眉根を寄せて、唇を噛んだ。
俺は、『言える』と即答されなくて、良かったと思った。
「俺は言えないんだよ。このままじゃ、友達にすら戻れない」
あきらは何も言わなかった。
「大和、もう一軒付き合えよ」
「いいけど……」
怒涛の忘年会と、身体の芯から冷える寒空のせいで、酔いなどとうに醒めてしまった。
「龍也はあきらを送ってくだろ?」
「はい」
「じゃ、今日はこれで解散っつーことで」
陸さんと大和さんは店を探すためにスマホを弄りながら歩き出した。
俺とあきらは気まずさの中に置き去りにされ、頬を刺すような強風に晒されて、ようやく歩き出した。
「あきら。陸さんの言ったことは気にすんなよ」
「……」
「お前がどう感じてたにせよ、セフレでもいいってお前を抱いたのは俺だ。それに、お前が友達として俺の結婚式に出ることは絶対にない」
「…………」
風音と、二人の靴音、そして、行きかう車のエンジン音が響く。
俺が一方的に話すだけで、あきらは終始無言だったけれど、アパートの前まで送らせてくれただけで嬉しかった。
「プロポーズ、本気だから」
鍵を差し込むあきらに、言った。
「OKしてくれるまで、諦めないから」
あきらは鍵を持つ手を見つめたまま。
「絶対諦めないから」
振り向かないかな、と思った。
涙でも零してくれたら、迷わずつけ込むのに。
けれど、あきらは振り向かない。
例え涙を浮かべていても、それを俺に見せるのは違うと堪えるはず。
「だから、早く諦めろ」
俺は、そういうあきらの弱さが見たい。
「頼むから――」
俺も、自分の弱さを見て欲しい。そして、受け入れて欲しい。
「『結婚してくんなきゃ死んでやる』なんてカッコ悪い台詞、言わせないでくれよ?」
あきらは一目散に部屋に姿を消した。
そんなに重いかな、俺。
あきらの部屋に電気がついたことを確認して、二人で来た道を一人で引き返した。
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