「良い匂い。何作ってるんですか? 紡さん」
「うわっ、びっくりしたぁ……もう、ゆず君、火を使ってるときにいきなりあらわれないで。危ないって」
「ははっ、何か、紡さんお母さんみたいですね」
「……誤魔化さない」
あや君にも時々言われるけど、お母さん見たいって言われるのは、何かしゃくに障る。確かに、やってることは、母親がするようなことだけど、別に、ゆず君やあや君の事を子供だっていう風には見ていない。手間のかかる子とは思うけど、年齢もそこまで離れているわけじゃないし。だから、何というか、その言い方は好きじゃなかった。
あのあと、食材を買いにスーパーに行き、それから戻ってきたわけだが、それまで一切ゆず君は部屋から出てこなかった。何かに集中していたのかも知れないし、寝ていたのかも知れないけれど。
俺が、晩ご飯の支度をし始めると、ふらふらっとリビングに戻ってきて、その匂いを嗅ぎつけたように、俺の方にやってきた。気配を消して背後に回り込まれたので、心臓が止るかと思った。
「ハンバーグ作ってるんだよ。ミンチが安かったから」
「へえ、スーパーとかあまり行かないんで、安いとか、安くないとか分かりませんね」
「……夕方ごろになると値引きされたりもするしね。そこが、買い時っていうのもあるかな」
「ほんと、主夫みたいなこというんですね。紡さんって」
「はいはい、分かったから」
ミンチが安くて、タマネギも安かった。調味料は、最低限揃っていて、まあ、少し賞味期限が過ぎていたけど、何とかなると使ってみた。味も匂いも大丈夫そうだったので、もし、これが腐った匂いだったり、酸っぱかったりしたらまずかったけど。
ゆず君は物珍しげに、俺がハンバーグをやく姿を見ていた。面白いものでも何でもないんだけどなあ、と、隣のコンロで作っているスープの味見をする。野菜たっぷりのミネストローネは、酸味が利いていて良い感じに出来た。
「何か、手伝うことありません?」
「手伝ってくれるの?」
「え~何ですか。その顔。そんな驚くことないじゃないですか。僕だって、作って貰ってるので、手伝うぐらいしますよ」
「そ、そう? じゃあ、レタス切ってくれる?」
「わっかりました!」
また、良い返事。
良い返事の時は、大抵ろくなことをしない、と分かっていたので、ちらりと横を見れば、もの凄い角度で、持ち方でレタスを切ろうとしているゆず君の姿があった。俺は、火を消すのを忘れて、ゆず君を止めに入る。まな板も不安定だし、もし、ゆず君の足に落ちたら……そう考えるとひやひやが止らない。
「ちょーっと、ゆず君やめようか」
「え? 何か、変でした?」
「いや、切ってっていったけど、うん。そのレタスは柔らかいから、ちぎってざるに入れてくれる?」
「はいはい~分かりました」
潔くてよろしい。なんて、思ったけど、本当に一歩止めるのがおそかったらどうなっていたか分からない。それくらい、危ないことをしていた。けれど、本人の自覚がない。
本当に生活力がなさ過ぎて、全部してあげたくなってしまった。でも、それじゃあ、ダメ男製造機になってしまうと、俺自身自分をキツく叱る。
それからは、一応何事もなく、ハンバーグも仲間で火が通り、ゆず君のちぎってくれたレタスと、俺が切ったトマトを添えて、食卓に並べた。我ながら上手く出来たと思ったが、今までに経験したことがないくらい、汗をかいたし、体力を使った。料理は慣れてくれば、そこまで体力を消耗しないのだが、ゆず君が隣に立っていると思うだけで、凄く緊張した。嫌な汗ばかりかいていた気がする。
それでも、俺の料理を美味しそうに食べてくれるゆず君を見ていると、そのつかれも全て吹き飛んで、まあ、良かった、結果オーライと、全て流すことが出来た。
「どう? ゆず君、美味しい?」
「はい♡ 紡さんの作ったハンバーグすっごく美味しいです」
「よかった。もう少しあるから、良かったら食べて」
頬にご飯粒をつけながら、がっつくゆず君は小さな子供に見えた。
こんな広い部屋で、一人で食べていたのか、と思うと、もしかしたら、誰かと食べるっていう習慣がなかったから、食事もないがしろにしているのではないかと思った。定期的に見てあげないと、と、また庇護欲に駆られてしまい、俺は結局ゆず君を甘やかし、ダメな方向へ向かわしているような気もした。
「ゆず君、ご飯粒ついてる」
「何処ですか、取って下さい」
「自分で取れるでしょ」
「紡さん『お願い』します」
と、きゅるんとした目でいわれて、俺の身体が一瞬かたまる。
また、あの嫌な命令が頭に、身体に下される。俺は少し立ち上がって、ゆず君のご飯粒を取ってあげる。やはり、先ほど感じたあれは、紛れだったのかも知れないと。
「ん、じゃあ、このまま貰います」
「あっ」
取った米粒は、そのままゆず君が食べる。俺の指ごと持っていかれ、ぺろりと彼の口の中で舐められる。その感触がなんとも言えず、俺は思わず身をくねらせてしまう。それを見てか、ゆず君はクスリと笑った。
「ふふ、紡さんえっち」
「ど……どっちが」
ちゅぱっと音を立てて離された指は、ゆず君の唾液でてかてかとなまめかしく輝いていた。
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