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「げっ……」
奏は素の状態で、咄嗟に口を衝いていた。
怜と奏が固まりながら視線を交わしている状況に、茅場先生が交互に二人の顔をキョロキョロと見ている。
「葉山さんって、藤森学園高校吹奏楽部OBでしたよね? うちのOGの音羽、ご存知なんですか?」
「実は彼女、僕の高校時代の友人の奥さんの友達なんです」
「なるほど。そんな繋がりがあったとは。世間は狭いですね」
茅場先生は、怜に笑顔を向ける。
どこか気まずい雰囲気になってしまったと思いつつ、奏は怜に挨拶をする。
「こんにちは」
「音羽さん、こんにちは」
営業用の笑顔を貼り付けて挨拶しながらも、怜は奏の持っている封筒をじっと見つめていた。
一般的なコピー用紙よりも大きめなパステルグリーンの封筒の下部には、『響美学園音楽大学』の文字が大きく印字されている。
「あの、何でしょう?」
奏が困惑した表情で怜を見ると、意外な言葉が返ってきた。
「音羽さん、響美出身なんですか? いや、実は僕も大学は響美出身なんですよ。僕は音楽ビジネス学科でしたけどね」
奏が大きな瞳を、更に大きくさせる。
(うわぁ……マジですか。学科は違えど、葉山さんが大学の先輩だったとは。でもさっき楽器の調整とか何とか言ってたよね?)
「大学卒業後に、ハヤマ ミュージカルインストゥルメンツに就職する事も踏まえて、音楽業界の事は全然知らなかったというのもあって、響美に進学したんですけどね」
「はぁ……そうだったんですね」
奏は、まだ母校の封筒を持っていたままだった事に気付き、慌てて茅場先生に手渡す。
「か、茅場先生、すっかり渡すのが遅くなりました。これ、響美の入学募集要項とパンフレットです」
「ああ、ありがとう。毎年すまないね。でも響美に行きたいって生徒もけっこういるから、有難いよ」
何となく居た堪れない空気を感じた奏は、早く帰宅しようと顧問に挨拶をする。
「こちらこそ、ありがとうございました。また来年も持参します。では、そろそろ帰りますね。失礼します」
「ああ、気を付けてな。たまにはラッパも吹けよ? いい音出してたんだし、音羽は同級生の中でもピカイチだったからな」
茅場先生と怜に向けて一礼すると、奏は部室を後にした。
逃げるように部室を出た奏は、少しの間、校舎の中を散策していた。
トランペットのパート練習で使った教室や、高三のクラスの教室をゆっくりと歩く。
現役生のラッパパートの練習場所は、奏が現役だった頃と変わってないようで、教室の前を通った時、ファンファーレのようなフレーズが奏の鼓膜を震わせていた。
(懐かしいな。定演で演奏する曲の練習をしているんだろうな……)
吹部の思い出に浸りつつ、奏は、次に高三の時の教室に足を運んだ。
机や椅子は、すっかり新しいものに変わり、卒業してから約九年という年月の長さを実感する。
(高三の時のクラスは、クラスの仲がよかったよなぁ……)
教室に入り、当時、奏の席だった一番後ろの窓際の席に近付く。
(時々、授業中に外を見ながらボーっとしてたな……)
指先で机を何度かなぞり、彼女は教室を後にした。
片品高校の校門を抜け、駅に向かおうとしている時だった。
「音羽さん」
背後から声を掛けられ振り返ると、校門の前に怜がいた。
「帰るんだろ? 家まで送るよ」
「っていうか葉山さん、今は仕事中なのでは?」
黒のスタッフブルゾンを羽織っている彼を見ながら、突き放すように答える。
彼と二人きりになると、事情聴取のように何かしら問われる。
それも、冷たさを孕んだ視線を奏にぶつけるように。
その事もあって、彼女はここ最近、怜とのメッセージアプリのやり取りを控えていた。
というよりも、どういう訳か、この葉山怜という人とは二度も偶然に遭遇している。
しかも、学科は違えど、同じ大学の先輩だという事を、この日初めて知った。
「ああ、仕事はこれで終わり。今日は俺、直帰だから自家用車で来てる」
「…………」
スタッフブルゾンを脱ぎ、奏に疑いの眼差しで見られている怜は、バツの悪そうな表情を見せ、『この前は、すまなかった……』と呟いた。
照れ隠しなのか、罪悪感を自覚したのか、怜は後頭部を軽く掻くと、奏に軽く会釈をした。