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キャンバスの前に立つと、
いつも少しだけ呼吸が浅くなる。
白い面は、何も語らないくせに、
すべてを見透かしているみたいで苦手だった。
「まだ、何も描いてないの?」
背後から聞こえた声に、僕は振り返らずに答えた。
「うん。何を描けばいいのか、わからなくて」
「じゃあ、わからないまま描けばいいじゃん」
軽い調子のその言葉に、僕は少しだけ眉をひそめた。
君はいつもそうだ。
難しく考えている僕の横で、当たり前みたいに答えを言う。
でもその“当たり前”が、僕にはずっと遠かった。
「そんな簡単じゃないよ」
「簡単じゃないから面白いんでしょ」
足音が近づいて、隣に立つ気配がした。
視線だけで横を見ると、
君は僕の真っ白なキャンバスをじっと見つめていた。
「怖いの?」
その一言に、胸の奥が少しだけ揺れた。
怖い、のかもしれない。
何かを描くことで、
自分の中身がそのまま表に出てしまう気がしていた。
空っぽだったらどうしよう、とか
くだらないものしか出てこなかったらどうしよう、とか。
「……たぶん」
小さく答えると、君はふっと笑った。
「大丈夫だよ」
根拠のないその言葉を、なぜか僕は否定できなかった。
「君が何を描いても、ちゃんと“君の絵”になるから」
その言葉は、妙にまっすぐで、少しだけ痛かった。
僕はキャンバスに向き直る。
白い面は、さっきよりも少しだけ冷たさが和らいで見えた。
「君はさ、どうして描けるの?」
ふと聞くと、君は少しだけ考えてから答えた。
「描かないと、消えちゃいそうだからかな」
「消える?」
「うん。自分の中のものって、ちゃんと形にしないと、どこかにいっちゃう気がするんだよね」
その言葉は、静かに胸に落ちた。
僕の中にも、何かあったはずだ。
言葉にならない感情とか、形にならない記憶とか。
だけどそれを外に出さずに、ずっと閉じ込めてきた。
だから、何もないと思っていたのかもしれない。
「……じゃあ、僕も描かないと、消えちゃうのかな」
「どうだろうね。でも、試してみればいいじゃん」
君はそう言って、僕の手にそっと筆を押しつけた。
その温もりが、やけに現実的で、逃げ場をなくした気がした。
キャンバスに向き合う。
少しだけ手が震える。
それでも、僕は筆を動かした。
最初の一線は、驚くほど頼りなかった。
まっすぐでも綺麗でもない、ただの線。
でも、その線を見たとき、不思議と少しだけ息がしやすくなった。
「いいじゃん」
君の声が、背後から聞こえる。
僕は何も答えず、もう一本、線を重ねた。
色を置く。
形が生まれる。
意味はまだわからない。
それでも、確かに“何か”がそこに現れていく。
時間を忘れて、ただ描いた。
気づけば、部屋の空気が少し変わっていた。
筆を置いて、少しだけ距離を取る。
そこには、完成とはほど遠い、未熟で歪な絵があった。
それでも―――
「……これが、僕の絵か」
思わず、そう呟いていた。
振り返る。
でも、そこに君の姿はなかった。
「……あれ?」
さっきまで確かにいたはずなのに、部屋は静かだった。
床にも、ドアにも、何の気配も残っていない。
夢だったのか、と一瞬思った。
でも、手の中にはまだ、ほんの少しだけ残る温もりがあった。
キャンバスに向き直る。
その絵の片隅に、小さく見覚えのある色が混ざっていることに気づいた。
僕は、その色を知っている。
昔、君がよく使っていた色だ。
「……そっか」
思い出す。
あいつは、もうここにはいない。
でも、確かにここにいた。
僕の中に、まだ残っている。
だから、消えていなかった。
「ありがとう」
誰もいない部屋で、僕はそう言った。
そして、もう一度筆を取る。
今度は少しだけ、迷いが少なかった。
白いキャンバスは、もう怖くなかった――
本日は『消えなかった君の色』を
お手にとっていただき誠にありがとうございます。
それと、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。
「キャンバス」と「感動」をかけ合わせて書きました。
又、別の作品もぜひご覧くださいませ。
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