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「こいつは、うちの幽霊社員だ」
「……部員ならともかく、アリなんですか、それ」
そして、社長が顔を知らないとかどうなんだ。
一度も出社していないということか?
って、それ社員なんですか……?
と思うのどかの前で、貴弘が言った。
「そうか、お前が青田か。
先日頼まれて雇ったが、一度も顔を見ていないうちの社員だな」
どんな社員だ。
「上司と合わなくて、会社辞めたらしくて。
親御さんが、俺が頭が上がらない、前の会社の上司に、いい就職先はないかと相談して来られたそうなんだ。
うちがちょうど若手を探してたし。
社内の人間関係も、上下関係が比較的ザックリなんでいいんじゃないかって話になって雇ったんだが。
……結局、一度も見てないな」
そんな貴弘の話を聞いた綾太が呟く。
「社長が変わってると、社員も変わってるんだな」
のどかはそれを聞きながら、
その理論で行くなら、綾太の会社の社員も全員変わっていることになるんだが……と思っていた。
ちなみに、今、此処に居る綾太のところの社員は、私と中原さんだ……。
「……すみません。
行こうと何度も思ったんですが。
その度、以前、上司に細かいことで何度もみんなの前で叱責されたことが頭をよぎって」
「真面目だな、こいつ」
と綾太が青田を指差して言う。
「俺、学生時代から何度もみんなの前で怒鳴られてるが、全然、気にしたことないぞ」
「綾太、先生の話、なんにも聞いてなくて、何回も怒られてたよね」
と笑ったのどかに、中原が言ってくる。
「それ、貴女もですよね。
社内で、何処の誰に怒られても聞いてないですよね。
タフなのもいいですが、物事には限度というものがあると思います」
うう……。
何故、巡り巡って私が怒られる羽目に……。
「一度も出社せずに、出社拒否か?
違う会社なんだから、関係ないだろ」
と言う綾太に、
いや、なにかやっぱり、いろいろ繊細な部分があるんだろうとのどかは思ったが。
意外にも青田は、適当な綾太の言葉に拒否反応を起こすこともなく、綾太の方を見、話を聞いている。
彼なりに前に進みたくて、この根拠もなく堂々とした男に救いを求めたのかもしれない。
……求める相手を間違っている気がするが、と思ったとき、綾太が勇気づけるように、青田に言った。
「一度や二度の挫折がなんだ!
俺なんて……っ」
と拳を作ったあとで小首を傾げ、綾太は、
「俺、そういえば、一度も挫折したことなかったな」
と呟くように言う。
……やはり、役に立たなかったようだ。
言動には問題あるが、昔から押しの強い性格だったこの幼なじみは、成績もよく、スポーツも万能で、先生に怒られても煙に巻くのが上手い、世渡り上手だった。
挫折とは無縁の男だな、とのどかは思う。
自分でも、これはまずい、と思ったらしく、綾太はのどかを見た。
「のどかなんて――」
いや、何故、挫折の話で私を見る、と思ったが、綾太は、
「のどかなんて……」
ともう一度言い、首をひねったあとで、
「こいつの人生、挫折ばかりな気がするのに、挫折してる感が全然、ないんだよな。
自分が挫折していることに気づいてないんだろうな」
と呟いた。
そんな綾太の話に、中原が深く頷き、貴弘が、そういえば、という顔をしている。
……今、まさに挫折しそうですよ、いろいろと、とのどかが思ったとき、
「私、クビでしょうか」
と青田が貴弘を見上げて訊いた。
いや、むしろ、よく今までクビにならなかったな、と思ったのだが。
おそらく、貴弘は彼の存在自体、忘れていたのだろう。
なにせ、その上司から話があっただけで、一度も出社してきていないわけだから。
「まだ仕事もしてないのに、なにを理由にクビにするんだ。
よく考えたら、手続き終わってないから、給料も払ってないし。
まず、出社しろ。
そして、失敗してクビになれ」
と貴弘は言い出す。
いや、なに言ってんだ、この社長、と思ったが、青田は、少しホッとした顔をしていた。
気負って出社しなくてもいいと気づいたからだろう。
クビになっても自分のことだし。
失敗しても自分のことだ、と思って、気が楽になったのかもしれない。
……でも、失敗はまずいですよ、とのどかは、おのれや周りの人の仕事のミスを思い出し、青くなる。
会議で吊るし上げられますよ。
うっかりミスで二、三百万とか飛んだら。
ときには、人のミスも私のミスにされたりしますよ。
私のミスじゃないのに、職場が数日、針のむしろになったりしますよ。
そこまで考えたのどかは綾太を振り向き、
「会社辞めさせてください」
と言っていた。
「いや、お前がかっ。
っていうか、お前はもう、半月前にクビにしてるだろうがっ」
「そうでしたね……」
「理由はなんなんですか?
半月前に、この方をクビにした理由」
と何故か、青田が突っ込んで訊いてくる。
ぐっと綾太は詰まったが、この青年のために真摯に答えねばならないと思ったのか、
「……俺がこいつの顔を見たくないと思ったからだよ」
と素直にみんなの前で白状した。
「それでクビとかっ」
と警官が驚き、
「横暴だな、さすがは社長」
と八神が呟き、
「あー、僕、公務員でよかったですっ」
とまた警官が呟き、笑う。
綾太が、
「待て、おまわりっ。
なんでお前、今、二回も俺を責めたっ」
と八つ当たりを始めた。
ええっ? 二度めは責めてませんっ、
と怯える警官の前で、青田がさらに綾太を追求する。
「なんで、この方の顔も見たくなくなったんですか?」
うっ、と綾太は黙ったが。
今までハッキリ言わなかったことを此処で口にする。
「……いよいよ、政略結婚の相手が決まりそうになったからだ。
今、のどかの顔を見たら、会社のために結婚すると決めたのに、気持ちが揺らぎそうだったから」
八神が、
「やっぱりなー」
と言い、貴弘が、
「顔見たくないんなら、のどかに会いに来るなよ。
そして、うちの社員寮に住むなよ」
と文句をつけ始める。
「……社員寮なのに、よその方が住んでるんですか?」
と不思議そうに訊く青田に、八神が、
「俺も住むぞ。
そして、お前んとこの社長も住むぞ。
そして、朝っぱらから、雑草がゆを食べさせられるぞ」
と教えていた。
「嫌なんですかっ、八神さんっ、雑草がゆっ」
と言ったあとで、のどかは、ふと、思いつく。
「そうだ。
うちに住んだらいいじゃないですか、青田さん」
ええっ? という顔を貴弘がしていた。
「社員寮の中にも仕事できるスペースとか作ったら、わざわざ出社しなくてもいいし。
仕事や他の社員の人たちに、寮の中で慣れてきてから、出社すればいいじゃないですか」
のどかがそう言うと、貴弘は少し考える風な顔をしたあとで言ってきた。
「……できるなら、誰も入居させたくなかったんだが」
「どんな社員寮だ」
と八神が言う。
「確かに、青田がそれでいいのなら、悪くない案かもしれない。
俺も世話になった人から頼まれた手前、一度も仕事させずにクビという事態になったら、胸が痛むしな」
そう言う貴弘に、中原が真面目な顔で言っていた。
「しかし、それで慣れて出社する気になっても。
イケメンのこの方は呪いにより、出社途中で社員寮に引き戻される可能性もありますよね」
永遠に出社できない社員寮とかどうなんだ……。
などとのどかが思っているうちに、八神のおかげもあって、イケメン連れ込まれ事件はなんとなく、うやむやになり、それぞれが帰ることになった。