朝、俺は目黒くんに見送られてからいつも通りに仕事をして、一日を終えた。
家に帰ってくるのはいつも22時過ぎで、いつものことながら、コンビニに寄って家に帰る。昨日は目黒くんと一緒に夜ご飯を選んで、人通りの少ない路地を一緒に歩いたな、なんて思い返すと、なんだか今日の帰り道は味気なかった。
玄関のドアを開けて靴を揃えてリビングへ向かう。スーツや鞄はソファーの端に置き、ひとまずお風呂場へ向かった。
1日の汚れを落としてからゆっくりしたかった。
お風呂から上がり、スマホを片手に先ほど買った夜ご飯をテーブルの上にあける。
今日はゆで卵のサラダと野菜がたくさん入った冷製パスタを選んだ。
日中はメッセージアプリにかまけているような余裕もないほど忙しく、今日の朝、友人に送ったメッセージに返事が来ていたことに気付いたのもこの時間だった。
彼からは「りょーかい。」と俺以上に端的な文字が送られてきていた。
夜ご飯を食べ終えたが、どこか物足りない。明日は待ちに待った休日なので、せっかくなら思う存分ゆっくりしようと思い立ち、冷蔵庫から冷たいビールを一本取り出した。
炭酸の刺激と、渋いコクが日常の様々な辛さや疲れをどこかへ運んでいってくれるようで、久々のアルコールに心が喜んでいた。
少し酔いの回った頭はふわふわしていて気持ちが良い。綿毛のような思考の中に、ふと。目黒くんの顔が浮かんだ。
昨日はたまたま一緒に帰っただけなのに、今日は一人で家に帰るこの感じは、なんとも言えない寂しさ、つまらなさがあった。
いつもと変わらない部屋なのに、どこか部屋の中はがらんとしているようだった。なんだか眠りたくなくて、このままだらだらと夜を過ごしていたい気分だったが、人に会う約束に遅刻することは、長年の友人であっても流石に申し訳が立たないので、缶に残ったビールを飲み干して、寝室へ向かった。
いつも寝ているベッドは心なしか冷たいような気がした。
翌日、俺は8時に目を覚まし、午前中の過ごし方について思案した。
家にいるのもいつも通りで息が詰まるので、読みかけの本と少し前に購入したクイズの本の2冊を鞄に入れて、友人との待ち合せ場所に向かうことにした。
集合時間は14時だが、俺たちがいつも集まるカフェは朝の7時から開店しているので、先に入っておいても問題はない。
ゆっくりと本を読むことも最近はできていなかったので、これ幸いと、身支度を済ませて意気揚々と出かけた。
朝の日差しは暖かくて、まだ朝方のひんやりとした空気も少し残っていて、心地良い。
朝から出かけるのもたまには悪くないなと、一人ごちて、待ち合わせ場所のカフェの扉を開けた。
カランコロンと鐘が鳴る。顔馴染みの店員さんがこちらを振り返ってくれて、お互いに朝の挨拶をする。
「いらっしゃい、珍しいね。こんな朝早くに。」
「えぇ、14時から友人と待ち合わせなんですが、せっかくならゆっくり本でも読みたいなって。家じゃ落ち着かなくて…。」
「阿部ならいつでも大歓迎だよ。たまにじゃなくて、毎日でもおいでよ。」
「ふふっ、嬉しいです。」
優しくて落ち着いた雰囲気を纏ったこの人が、このカフェのオーナー。
俺が就職を機にこの辺りに住むようになってから、すぐにオープンした。店内の雰囲気とオーナーの人柄に惹かれてよく通わせてもらっている。顔覚えの良い人なのか、何度か来た俺を覚えてくれて、時々こうして言葉を交わすようになった。
「いつものコーヒーでいい?」
「はい、あ、あと、朝ごはんまだ食べてなくて、何か食べたいんですが、おすすめありますか?」
「ん〜、そうだね。…なんだか今日の阿部は元気がなさそうだからあれが良いかな。おまかせでもいいかな?」
「はい! 楽しみです!」
「ありがとう、じゃあ少々お待ちくださいませ。」
いつもここのオーナーは常連さんの状態や好きな食べ物、その人の雰囲気を考えて、おまかせのオリジナルご飯を作ってくれる。意外な組み合わせなのにすごく美味しいのでいつも驚かされる。今日はどんなご飯なのか、すごくわくわくする。
おいしそうな匂いが強まって、オーナーが俺の目の前にご馳走の乗ったトレーを置いてくれた。
「はい、お待たせしました。」
「わぁ!!すごい美味しそう!!」
今日の朝ごはんは、色鮮やかな野菜とハムとチーズ、ポーチドエッグの乗ったトーストだった。それとは別にサラダと俺の大好きな甘いカフェオレ、食事のためのお水もつけてくれた。
ちなみに、このオーナーはそれぞれ料理に独特の名前を付けるのだ。それを聞いてから食べるのが俺は結構好き。
「今日のタイトルは何ですか?」
「今日も一日頑張れプレート、かな。」
「おおおお! ありがとうございます!!ほんとに頑張れそうです!!」
「ありがとうね、いつもそうやって褒めてくれて」
にっこりと笑うオーナーはとても美人さんだ。
ふと、こんな美人さんなら恋人がいるかもしれない、と思った。少しだけでいいから相談させていただけないかと、オーナーの方を見る。
「ん?どうしたの??」
「あ、えっと…」
聞いてみたいと思ったものの、どう切り出したら良いかがわからなくて言葉に詰まる。
最初の文字さえ浮べば何とか話せるかな、ともじもじしていると、
「何か悩み事?」
とオーナーが気を遣って聞いてくれた。
「っはぃ…。あ、あの、、オーナーは、、えっと、その…」オーナーの優しさに甘えて答える。
「うん?」
「オーナーは恋人とかいますかっ!!!!!」
緊張で声が裏返った。誰かに恋愛相談なんてしたことなくて、声も思ったより大きくなってしまった。朝だったこともあり、俺以外にお客さんがいなかったのは助かった。
まずい、オーナー絶対びっくりしてるだろうな。固まってるもん。やっちゃった…。
お仕事中にこんな話、やっぱり良くなかったよね、、、。
一人後悔していると、沈黙を破るようにオーナーは柔らかい表情で
「うん、いるよ」と答えてくれた。
その表情は本当に幸せそうで、男の俺でさえ見惚れてしまうほど綺麗だった。
その人のことが本当に大切なんだということがすごく伝わった。
「、ぁ、あの、その方とはどうして恋人になろうって思ったんですか?」
「うーん、そうだなー。気付いたらいつも一緒にいて、一緒に居過ぎて、もう離れどきがわからなくなっちゃったんだよね」くすくすと嬉しそうに笑う。
「そんなに一緒に?」
「うん、腐れ縁なのか、生まれた時から今に至るまで、離れてしまった時期もあったけど、運命の巡り合わせみたいなもので、また再会して。離れてた期間がああったからこそ、また一緒に過ごしてるうちに、離れたくない大切な人だって気付いたの。だから、覚悟を決めて一緒に生きる決断をしたの。」
「なんだか本当に運命みたいですね!!すごい!!」
「でも、またどうして急にそんなこと聞くの?」
「あ、、それは、、、。ちょっと気になられている人が現れて…。」
「ん?気になられている…?気になってる、じゃなくて?」
オーナーは困惑しているようだった。無理もない。俺自身もよくわからなくなってきてしまっている。俺は今までのことをオーナーに話した。
「なるほど、、なんだかすごい出会いだね」
俺の要領を得ない説明を丁寧に聞いてくれて、オーナーは、最初にそれだけ答えた。
「はい、俺自身、自分がその人のことどう思ってるのかわからなくて。恋なんてしたことないし、でも会えないと寂しいなって思ったり、一緒にいると心が苦しくなって、でも不思議と嫌な気持ちはしなくて…」
「そっか、その人と一緒にいて辛くないのなら、それは素敵なご縁なんだと、俺は思うよ。」
「ご縁、ですか」
「うん、それが阿部の中で恋なのか、恋じゃないのかはきっとそのうち、阿部自身で答えを見つけられる日が来ると思うよ。だけど、それを置いておいたとしても、誰かと一緒にいて苦痛を感じたり、辛くて離れたいと思わない人っていうのは、阿部の世界にとって必要な人なんじゃないかな。」
「オーナーの恋人は、オーナーの世界に必要な人だったんですね」
そう尋ねると、オーナーは頬を少し染めて、小さくうん、と頷いた。
オーナーからの素敵なお話と考え方を聞き終えるのと同じタイミングで、バックヤードの方から「おはようございまーす」とあくび混じりの声が聞こえた。
とても身長が高く、日本人離れした顔立ちに思わずじっとその人の顔を見てしまった。
「こら、あくびしながら店内に入らないの、お客さんいらっしゃってるよ?」
オーナーが彼を軽く嗜める。
「ごめんなさーい、いらっしゃいませ!」
「まったく…。あ、そうだ、紹介するね、この子は村上くん。一週間前からうちで働いてくれることになったの。そしてこちらは常連さんの阿部さん。」
「村上です!でも名前で呼んでもらう方が好きだから、よかったら名前で呼んで欲しいな、僕、ラウールっていいます!!よろしくお願いします!!」
「阿部です。阿部亮平です、よろしくね。」
「じゃあ阿部ちゃんだね!僕阿部ちゃんって呼びたい!!」
「こら、失礼でしょ、数少ない常連さんが来てくれなくなっちゃったらどうするの」
「全然大丈夫です!むしろ嬉しいです。」
「きゃはは!阿部ちゃん優しい!だーいすき!!」
「…はあ、、。」
なんだかオーナーがお母さんみたいだと思ったのは内緒にしておいた。
オーナーとラウールくんと仲良く話していると、時間はあっという間に10時半を回っていた。徐々にお客さんが増えてきて、二人は仕事に戻って行った。
ラウールくんは今大学に通っていて、21歳。
アルバイトとしてこのカフェで働いているそうだ。なんでも就活中で、ブライダル業界への就職を目指していると言っていた。
なんでも好きな人が結婚式場で働いているそうで、自分も同じ世界に行きたいのだという。好きな人はとっても魅力的で危なっかしい人だから、近くで見守っていたいのだという。なんとも初々しいラウールくんは、とても眩しかった。
店内もお客さんの話し声で騒がしくなってきたところで、俺も本を開いて一人の世界に入り込んだ。
好きなクイズの本を呼んでいると、あっという間に時間が過ぎていた。
ドアが開く鐘の音がして、ふと音のする方を見やると、俺の友人が飄々とした様子で俺の前の席に座った。
「おう、おひさ、元気〜?」
「…元気に見えるか? 深澤、この野郎。」
「んぉぉ? ずいぶんお怒りね?」
「おまえ、、マジで、、、、この野郎…。」
ここ最近のあれこれの全ての元凶に、ありったけの恨みを込めて、今の自分の状況を捲し立てた。
「え〜? それってさ、もう好きでしょ」
俺の熱弁は全て、深澤のこの一言に集約された。
「いや!まだわかんないじゃん!!」俺は思わず反論した。
「え、だって2回もキスして嫌じゃなかったんでしょ? なら好きじゃん」
「なにその短絡的な考え方…。」
「しかも一緒のベッドで寝たんでしょ?逆になんで好きかどうかわかんないのよ。朝ごはんまで一緒に食べてるし、それさ、もう付き合ってんじゃん」
「付き合ってないよ…付き合ってないのにこんな感じになっちゃってるから苦しいんじゃん…。」
「んー、じゃあ、まぁ百歩譲って阿部ちゃんがまだその子のこと好きじゃないとするよ? その状態で、好きじゃない相手のことを何度も何度も考えては、わからなくなってを繰り返してるのはなんで??」
「それは、真剣に告白してくれたんだから、こっちも真剣に考えないとって」
「真面目だなー、阿部ちゃんは。じゃあ、例え方変えるわ。その子じゃない子に告白されてたらこんなに真剣に考える?」
言葉に詰まった。今まで生きて来た中で、告白されることは何度かあった。しかし、その人がどんなに心を込めてくれても興味が持てなくて、なんなら触れたいと思ったこともなかった。
だから、いつもその場で丁重にお断りをさせていただいていた。
確かに、こんなに悩むのは初めてだった。それも一つの判断基準だなと、そんな気付きを与えてくれた深澤に感心した。
オーナーに教えてもらった「自分の世界に必要な人」であること、ラウールくんのいう「見守っていたい人」、深澤が気付かせてくれた「真剣に考えられる人」、3人の話を聞いて、なんだか目黒くんが俺の中でそんな存在に近づいている気がしてきた。
俺は目黒くんのことが好きなのかもしれない。自信を持ってはっきりとはまだ言えないけれど、みんなの話は俺を前向きにしてくれた。
その後も深澤と談笑していると、彼のスマホが震えた。
一度ならず何度も振動するので、流石に怖くなって、恐る恐る「出ないの…?」と聞いてみる。
深澤は、注文したビスクとクロックムッシュのランチメニューに夢中になっていた手を渋々とスマホに掛け、液晶をタップする。
「ぅおおおおおお…!よかったぁ、、仕事の連絡じゃなかったぁぁあ」
「ふっか、声でかい、、お店の中だよここ」
「んぁ?わりわり、でもちょっとまずったなぁ」
仕事で何かトラブルでも起きたのかと思ったが、そうではないらしい。深澤は俺以上にスケジュールが安定しない仕事に就いている。どこかの芸能事務所のマネージャーをしている。仕事内容については色々と話せないことが多いらしく、そこまでしか聞いたことはない。そう言った関係で、俺は先日のパーティーに呼ばれたというわけだ。
少し困り顔の深澤が気になって、
「どうしたの?」と聞いてみる。
「そろそろ帰ってきてくれないと寂しいって、俺の彼氏が。今日夕方くらいまで出かけてくるって言ってたんだけどな、鬼電やばいwww」
「大丈夫なの? 早く帰ってあげたら? ていうか、いつの間に彼氏なんてできてたの」
いきなり投下された爆弾告白に驚きが隠せない。
「実はさ、俺もあのパーティーの日、色々あったのよ」
「え」
おまえもだったのか。。。
「まぁ、その辺のところはまた今度話すわ!! ちょっともう行かないとまずいかも!
ったく、束縛激しいんだからもう」深澤は、 困った顔をしながらもどこか嬉しそうだった。
深澤は、風のように去っていった。
そろそろ俺も帰宅しようかと、伝票を持って席を立った。
「あ、阿部ちゃん!もう帰るの??」
「うん、そろそろ。ごちそうさまでした。」
「またきてね!俺、また阿部ちゃんと話したいし、就活のこと教えて欲しい!」
「もちろん、またすぐに行くね」
「やったぁ!」
会話をしながらも、伝票に書かれた値段を器用にレジに売っていく。
頭のいい子なんだろうな。
「こら、ラウール。他のお客様もいらっしゃるんだから、形式的にでも敬語使いなさい。」
「はぁい…。」
「阿部、また来てね。いつでも歓迎してるから。」
「オーナーもタメじゃん!!」
「オーナー特権です。」
「ええええー!!ずるい!!」
2人の会話はやはり母親と子供のようでほっこりした。
会計を終え、オーナーが出口まで見送ってくれる。
また、と挨拶をしようとすると、オーナーが口を開いた。
「そうだ、阿部、連絡先交換しない?」
「え、俺と?」
「うん、何かまた悩むことがあれば、いつでも連絡とれた方がいいかなって」
「…っ!!いいんですか??!」
「うん、もちろん。」
誰かと連絡先を交換したことがなくて嬉しくなる。
QRコードを読み取ると、オーナーのアカウントが表示された。
俺はすぐに追加をして、スタンプを送る。
すぐにオーナーからバラのスタンプが返ってきた。
「じゃあ、また来ます。ごちそうさまでした。」
「うん、気をつけて帰ってね。ありがとうございました。」
踵を返して、自宅への道を歩く。
連絡できる人が増えたことがとても嬉しくて、軽い足取りでもう一度オーナーとのトーク画面を見る。
俺は、 “宮舘涼太“ と記された綺麗な名前を何度も眺めていた。
…………………To Be Continued.
コメント
3件
オーナー舘さんぽいなと思いながら読んでいて、薔薇のスタンプでクスッときました🤭 それぞれのお相手もこれから出てくるんでしょうか?楽しみです😊