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当然薄暗い院内をただただウロウロと歩き回ればいいというものではなく、あちこちでお化け役のスタッフに驚かされるし、時には足がすくみそうになるような恐怖の試練を課せられたりする。
尽は今まで自分には苦手なものなんてないと思っていたのだけれど、存外にホラー系がダメだったのだと、そのアトラクション内に入って気付かされた。
(考えてみたら、好んで怪談番組とか観るようなことは、したことがなかったな)
入ってすぐ、蛍光灯がチラチラと点滅するロビーの総合案内で受けた説明で、途中離脱も出来ると言われたので、天莉が怯えたらそうしようと思っていた尽だ。
だが実際は施設内で渡されたLEDライトを片手に、手を繋いでくれている天莉が、自分を置いてスタスタと先に行ってしまうんじゃないかと気が気じゃなくて。
何度か「天莉、怖いようなら非常口から外に出ても大丈夫だからね?」だの「最後まで行き着けるのは入場者の六割ぐらいだって言ってたし、離脱は恥ずかしいことじゃないからね?」とか声を掛けてみたのだけれど「うん。どうしてもの時はそうしようね、でも私、景品ゲットしたいし、頑張る!」と非情な答えしか返ってこなかった。
驚かされたり試練を与えられたりするたび、口から心臓が飛び出しそうに怖かった尽だけれど、愛する天莉の前ではいつだって頼られる男でいたい。
その一心で、何なら時には天莉を庇うようにお化け役スタッフとの間に立って、盾になるような真似までしたのだけれど。
「尽くん、怖くないの?」
ギュウッと自分の手を握りしめてくる天莉の小さな手の温もりを心の支えにして〝完璧な騎士役〟を演じた尽だ。
だが、さすがに長かったクエストをクリアして外に出る頃にはくたくたに疲れ果てていた。
きっと、尽と同じような人間が多いのだろう。
NDLは、『猫又総合病院(廃)』の出口すぐそばに、お化け屋敷の怖さを払拭してくれる雰囲気の、とってもメルヘンチックなカフェが併設されていた。
「天莉、沢山歩いたし、あそこで少し休憩しようか?」
難易度高めのアトラクション、『猫又総合病院(廃)』のクリア記念品としてもらえるNDLのマスコットキャラクター、ハチワレにゃんこの『牛ニャカ丸』と『ハッチ姫』が描かれた三色ボールペンを嬉し気に見詰める天莉へ声を掛けたら、「うん」と微笑んでくれた。
その頭に黒い猫耳のカチューシャがくっついているのを見て、(可愛いな)と表情を緩めた尽だったのだけれど、考えてみれば、自分の頭にも同じものがくっついているんだと思い出して無意識に頭のそれに触れてしまう。
「大丈夫だよ、尽くん。落っことしてないよ?」
クスクス笑いながら天莉にニコッと笑い掛けられて、尽は「いや、それを心配したわけじゃ……」とつぶやいたのだけれど、天莉が凄く嬉しそうに笑うので、まぁいいかと思って。
実際こんな浮足立ったものを付けていられるのは、こういう施設内限定だ。
天莉が喜んでいるのだから良しとしようではないか。
それに、ざっと周りを見回してみただけでも、自分たちのように猫耳を付けた人たちがちらりほらりと園内を歩いているのが目につくから。
集団心理と言うか何というか。
それだけでホッと出来るから不思議だな、と思った尽だ。
***
「そういえば……」
ニャンダ―ドリームランドで話題の、期間限定タピオカ入りスパークリングアイスティーを一口飲むなり、天莉がふと表情を曇らせた。
「どうした? まさか気分でも悪くなったのかね?」
もしかしたらホッとした途端、先ほどのお化け屋敷での疲れがドッと押し寄せてきたのかも知れない。
実際尽自身、天莉が目の前にいなかったら、こんな風に気丈に振る舞えているかどうかすら怪しいのだ。
注文時、「折角こういうところに来たんだから尽くんも限定ドリンクを飲めばいいのに」と天莉に苦笑されながらホットのブラックコーヒーを頼んだのだって、本音を言えば冒険出来るような心のゆとりがなかったからだ。
日頃尽が好んでいる珈琲よりも少しローストが浅めであっさりした味わいなのは、万人受けする味を狙っているからだろうか。
そんなことを思いながらコーヒーを飲んでいた尽だったけれど、天莉の言葉にソーサーへカップを戻すなり、机上へ置かれた天莉の手にそっと触れた。
「ううん。そういうんじゃないの。ただ……今、こんな場所で言う話じゃないかも知れないなって思って……」
そこで躊躇うように瞳を揺らせつつも、「でも、どうしても心の片隅に引っ掛かってしまっているから、日常が戻ってくる前にちゃんと聞かせて欲しいの」と天莉が尽をじっと見詰めてくる。
「何か不安なことがあるの? 俺が答えられることで天莉の心が晴れるんなら何でも聞いて?」
尽が天莉の手を握ったままの手指にそっと力を込めると、天莉が「あのね……」と話し始めた。
***
話を聞き終わるなり、確かに天莉がそれを気にしないわけがなかったのだと尽は今更のように気付かされて。
そのことを天莉にハッキリと告げることを避けていた自分の愚かさに溜め息を吐きたくなった。
まるでモード変更をするみたいにスッと片手で猫耳カチューシャを外してテーブルに載せると、尽は天莉をじっと見つめた。
「親睦会の日、天莉に酷いことをしようとした我が社の男達……。彼らは営業部の沖村三好と、品質管理部の伊崎不二男と言う」
尽がそう言ったら、尽と同じように頭からカチューシャを取った天莉が「沖村さんと伊崎さん……」とつぶやいて。
「奴らがオッキーとザキと名乗っていたのは天莉も覚えているよね?」
尽が天莉の反応を探るように恐る恐る言ったら、天莉の身体がびくっと小さく跳ねた。
「天莉。これ以上話しても平気? 辛いようならまた日を改めてからでも」
尽が天莉の手を優しく撫でると、天莉がフルフルと首を振った。
「……日常が戻る前にちゃんと聞いておかないと駄目なの。でないと私……」
「不安でたまらない?」
尽の言葉に天莉が小さくうなずいた。
天莉はアスマモル薬品に転職してからずっと、尽のそば――副社長室からほとんど出ない環境で働いている。
室外に出る時も、尽や直樹とともに動くから、全く一人にはしていないし、残業をさせないため先に帰らせる時でさえ、必ず会社を出るところまでは見届けるようにしている尽だ。
過保護なくらいの対応だけれど、それには実は理由があって、天莉が秘書課で行われた歓迎会を境に、社内でひとりになるのを極端に怯える素振りを見せるようになったと気付いたからだ。
無資格・未経験で副社長秘書へ大抜擢されたことを負い目に感じるようなことを、秘書課の誰かから言われたのだろうかと懸念していた尽だったけれど、もしかするとそれは大きな思い違いだったのかも知れない。
「あの……その二人は……どう、なりそう……なの、かな?」
天莉の不安に呼応したみたいに、タピオカ入りスパークリングアイスティーに入った氷が、カランと乾いた音を立てた。
こんなファンシーな雰囲気の店内で話すにはおよそ場違いな会話だけれど、だからこそ家や会社で話すよりも天莉の心を落ち着けてくれるのかも知れない。
ミライの面々と同様、沖村と伊崎が服役することになったと言うのは天莉にもさらりと話してあったはずだ。
沖村と伊崎はアスマモルの機密情報を、系列会社とはいえ外部の人間――江根見則夫らに漏洩していたのだ。
加えて、その見返りに定期的にその薬で身動きが出来なくなった女性たちを何人も食い物にしていたという、悪質な不同意性交罪も犯している。
江根見たちはあの薬の効き目を沖村と伊崎の行為を撮影することで確かなものとし、裏ルートで良くない人間たちに横流しするための宣伝材料にしていたらしい。
沖村も伊崎も、初犯とはいえ被害者の数が多過ぎる。
量刑が重くなることは免れないし、実際に彼らはほぼ確実に実刑判決を受けることになるだろうと顧問弁護士の桃坂先生も言っていた。
「それで……あの……彼らはもう……ホントに会社には戻って、こられない?」
『沖村さんと伊崎さん、二人の欠員の穴埋めがまだされていないのは何故だろう?』『まさか服役後に戻すつもりなのかな?』……などと、歓迎会の時に先輩たちが噂話をするのを天莉は小耳に挟んでしまったのだと言う。
ミライの方では速やかに江根見父娘や、風見の拘束によって空いた穴への欠員補充が行われたのに、アスマモルの方はそれがまだなのだ。
事情を知らない人たちが面白おかしく噂する話を、そんなことはあり得ないと頭では分かっていても、もしかしたら本当に二人が戻ってくるのではないかと天莉が怯えたって不思議ではない。
だって天莉は、彼らからの性被害に遭いそうになった当事者なのだから。
ただ単に、ふさわしい人材がなかなか見つからなくて選考が難航しているだけに過ぎないのだが、怖い目に遭わされた天莉は、もしかしたら……と考えてしまうことをやめられなかったんだろう。