コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
月子が、着替えを終え居間へ続くふすまを開けたとたん、歓声があがった。
何事かと部屋を見てみると、お咲が、唄い終え、立ちすくんでいる。
「おい!岩崎!大したもんじゃないか!」
「そうだろ?中村!しかも、私の演奏を聞いて、時間が経っているにもかかわらずだ。まあ、最初の一小節は、半音ずれていた所もあったが、よしとしよう」
岩崎と中村は、興奮しきっている。
しかし、その脇では……。
「うーん。何が凄いんだい?ビービー言ってるだけに、俺には聞こえたんだが。まあ、何かしらの唄、って、ことは分かった」
二代目が、ぼやいている。
「ちょっと!二代目!あんたなぁ!」
「中村。二代目は、こうゆう男なんだ。まるっきり、芸術、音楽というものが、わかっていない」
いきり立つ中村、それを制する岩崎のことなどおかまいなしで、二代目は、生欠伸をかみしめつつ、
「あー、酒が回って眠くなっちまったなぁ。もう一本、いっとくか」
などと言いつつ、徳利を手に取った。
「二代目!飲んでる場合か!ひょっとしたら、お咲は天才かもしれんのだぞ!」
中村が、噛みついた。
「でもねぇ、知ってる曲だったのかもしれねぇでしょう?中村の、にいさん」
酒が、ねえなぁと、徳利を覗きこみながら、二代目は答えた。
その適当加減が、中村に火をつける。
「岩崎!!演奏しろっ!バイオリンがあるっ!お咲の知らない曲を演奏するんだ!」
二代目の鼻をあかしてやろうと、中村は岩崎へ言った。
どうやら、お咲の実力を認めさせたいらしい。
そこは、岩崎も同じ思いのようで、よし、と、妙に前向きだった。
「月子様……」
こちらへと、部屋の隅に座っていた吉田が、話についていけない月子へ手招きする。
「……私は、これにて。少しばかり、にぎやかですが、月子様は、はいはいと、返事をしておけば大丈夫ですから」
「は、はい……」
月子は、とまどいながらも、芳子の着物をまとめた包みを吉田に手渡すと、そっと、腰を下ろした。
中村が、バイオリンを岩崎へ手渡している。
うん、と、大きく岩崎は頷き、演奏する気になっているが、ピタリと動きが止まった。
「中村。なぜ、私がバイオリンを演奏しなければならない?私はそもそも、チェロが専門なのだ。で、どうして、バイオリンがある?と、いうより、中村が、なぜいるのか、だ」
あーー、と、二代目は、酔いがまわってか、気だるそうに横になり、
「でたね、京さんの、あーでもない、こーでもない。中村のにいさんが、お弾きなさいよ。その方が、面倒臭くないでしょ」
「おお、二代目よ!確かにそうなのだ。が、おれも、酒が回ってる。指が動かんのだなぁ。それに、ほれ、岩崎に、弾かせるのが花をもたせるってやつじゃねぇかい?二代目よ!」
言って、中村は、顎をしゃくって、二代目へ合図する。
何のことやらと、示された後ろ側を見てみると、月子の姿があった。
「あーー、月子ちゃん、来てたの!そんじゃ、京さん、頼むわ!」
「何が、頼むだ!それに、中村!お前、月子を、ぞんざいに扱いすぎるぞ!なんだ、あの態度は!」
岩崎は、持っている、バイオリンの弓を振り回し、男二人を睨み付けた。
「……言ったよ、月子だと」
「へえ、岩崎、ほの字じゃないか?!」
睨み付けられた二人は、ものともせず、へらへら笑った。
「なっ!?」
岩崎は、言葉に詰まる。
部屋の隅に座っている月子も、二代目と中村の言い様に、つと、頬を染めた。
「まっ、細かいことは抜きにして、とにかく!お咲の才能を見極めるぞ!岩崎!」
中村の音頭に、岩崎も、はっとすると、頷いた。
「でだな、G線上のアリアは、意外と難易度が低い曲だ。ひょっとしたら、まぐれ当たりの線もある……」
「うん?中村、つまりは、もっと難易度の高い曲をという事か?しかし、難易度というのは、演奏する側の問題であって、聞いて真似する部分に関しては、どうなのだろうか?」
岩崎の問いに、中村も、うーんと考えこんだ。
「なんなんだい。適当に小技の効いたのやりゃーいいでしょ。で、そこんとこが、唄えるかどうか、ってのを見ればいいんじゃないの?!って、言うより……」
ごろ寝している二代目は、ちらりと月子へ目をやると、
「お咲もだけど、まあ!素敵って、言わせる方が、いいんじゃないのかねぇ?」
と、中村へ、意味深に目配せした。
「おお!それも、ありだな!ということで、岩崎!」
「はっ?!」
言われていることが、さっぱりわからんと、岩崎は、ポカンとしつつ、それでも、行き掛かり上、演奏の体勢をとる。
「……そうだなぁ、では、ヨハネス・ブラームス作曲、ハンガリー舞曲第五番……を」
言うと、岩崎は、キッと顔を引き締め背筋を伸ばし、バイオリンを左顎で挟み、弓を弦に当てた。