テラーノベル
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屋敷へ向かう馬車の中。
ガタゴトと揺れる振動に身を任せながら
私の膝の上には、二人の汚らわしい裏切りの証拠が詰まった紙袋が重々しく鎮座している。
つい先刻まで、私の指先は抑えようのない怒りで小刻みに震えていた。
けれど不思議なことに、今は冷や水を浴びたあとのように頭の芯が冴えわたっている。
愛していた夫と、信じていた親友。
二人の睦み言を思い出すたび、胃の底からせり上がるような不快感が私を突き動かす。
ただ泣き寝入りして、悲劇のヒロインを演じるなんて私のプライドが断じて許さない。
アシュフォード侯爵邸の前に到着し、私は迷うことなく重厚な門を叩いた。
出迎えたのは、背筋を真っ直ぐに伸ばした、厳格そうな年配のメイドだった。
「お忙しいところ、突然失礼いたします。マリアさんとよくお茶をさせていただいております、ロゼッタ・ルミエールと申します。……マリアさんは今、いらっしゃいますでしょうか?」
私は努めてにこやかに、教養ある淑女の微笑みを完璧に貼り付けて問いかけた。
内側の嵐を微塵も感じさせない声色で。
「……! ロゼッタ様ですね。左様でございますか、マリア様でしたらあいにく今は不在でして。今朝、何やら慌ただしく飛び出していかれたきりで……」
メイド長らしき女性は、主人の奔放な振る舞いに困り果てた様子で眉を下げた。
主人の不在を申し訳なさそうに詫びるその誠実な姿に、私はさらに声を潜め、秘密を共有するかのような声音で告げる。
「そうですか……残念。実は、マリアさんのものと思われる『落とし物』を拾いまして。とても大切そうなものでしたので、直接お届けに上がったのですが」
私は持参した、ずっしりと重い紙袋を差し出した。
「それは、わざわざありがとうございます。……念のため、中身を確認させていただきますね」
メイド長が慎重な手つきで紙袋の中を覗き込む。
次の瞬間、彼女の顔から、血の気が引いていくのがわかった。
そこにあるのは、間違いなく主人が今朝身に着けて外出したはずのドレス、そして……目を疑うような生々しさを放つ、男物の衣服まであるのだから。
「え、ちょ、ちょっとお待ちください……!すぐに旦那様を呼んでまいりますので」
メイド長は目に見えて動揺し、隠しきれない激しい焦燥を瞳に浮かべて、脱兎のごとく奥へと走っていった。
「いえ、お忙しいようですのでご無理はなさらず……」
わざと控えめに、遠慮がちな声をかけたが、彼女は
「いえ、お待ちください。本当にすぐですので!」
と強く言い置き、私に袋を返すと、弾かれたように去っていった。
しばらくして戻ってきたメイド長は、肩で息を切らしながら私を仰ぎ見た。
「すみません、お時間まだ大丈夫でしょうか? 旦那様が、応接室で詳しくお話を伺いたいとのことで……」
「ええ、私は構いませんわ。お急ぎのようですし」
私は静かに頷き、彼女の案内に従って二階の応接室へと足を踏み入れた。
重厚な革張りのソファに腰掛け、一人で待っていると、間もなく重い扉が開いた。
現れたのは、想像よりもずっと若く、気品に溢れた茶髪の男性だった。
その瞳には知性が宿り、立ち振る舞い一つ一つに洗練された美しさがある。
「お待たせして申し訳ありません。私はジェイド・アシュフォードと申します。妻のマリアが、いつもお世話になっております」
彼は突然の、しかも不穏な気配を纏った来客である私に対し、傲慢な態度など微塵も見せず、腰を低くして丁寧に挨拶をした。
その爽やかな笑顔と誠実そうな佇まいに、私は一瞬、胸の奥がキュッと痛んだ。
この人も私と同じ、最も身近な人間に裏切られた側に立たされているのだ。
「ロゼッタ・ルミエールと申します。案内してくださったメイドさんがとても困惑されていたようですが、大丈夫でしょうか?」
私の気遣いに、ジェイド様は少しだけ苦笑いを浮かべた。
「ああ、先ほどのメイド……メイド長は私の実の母でして。お見苦しいところを失礼しました。落とし物程度でそれほど驚くこともないと思うのですが、騒がしくて申し訳ありません」
まさか、あの方がお母様だったなんて。
何を聞いても親切に、かつ誠実に答えてくれるジェイド様。
そんな彼を見て、私は覚悟を決めた。
情けをかける必要はない。
真実を突きつけることが、今の彼にとって最大の慈悲だ。
「って、私ったら関係なことを聞いてしまって申し訳ありません」
「いえ…それで、その『落とし物』なのですが。……直接、一緒にご確認いただけますか?」
「はい」
返事をすると私は、紙袋からまずはマリアの衣服を取り出した。
そして、テーブルの上に丁寧に並べていく。
「こちら、マリア様のもので間違いありませんでしょうか?」
ジェイド様の表情が、彫刻のように凍りつく。
「……は、はい。間違いありません。これは確かに妻のものです」
「あ、それから。……こちらのお洋服も、一緒に落ちておりましたので」
私は、マリアのドレスと重なるように絡み合っていた、夫・カシウスの衣服を取り出した。
彼が今日仕事に着て行った、見覚えしかないデザイン。
「あの……この男性物の衣服は……?」
「あら…マリア様のお洋服と一緒に落ちておりましたので、マリア様に関連するものかと思ったのですが。……ジェイド様、見覚えはありませんか?」
ジェイド様は並べられた服をじっと見つめ、脳をフル回転させているようだった。
男物のシャツ、そして妻の下着。
その組み合わせが意味する、悍ましい真実。
やがて、その鋭い眼光が射抜くように私に向けられた。
「見覚えはありません、ね」
「それで……ロゼッタさんは、これらをどこで拾われたのですか?」
私は逃げずに、彼の射すような瞳を真っ直ぐに見つめて答えた。
「私が夫と暮らしている屋敷の中です。居間や……あ、そう。寝室の扉の前に、投げ捨てられるように落ちていました」
「…………なる、ほど」
ジェイド様の声が、一段と低く沈んだ。
重低音の響きが、部屋の温度を数度下げたように感じられる。
私がただの親切心でここに来たのではないこと。
そして、今この瞬間、私の自宅で何が行われているのか。
聡明な彼は、すべてを悟ったようだった。
「……不躾で、非常に身勝手な申し出であることは承知しております。ですが……これからそちらのお屋敷にお邪魔することは可能でしょうか?」
「いえいえ……今はまだ散らかっておりますし、お客様をお招きする準備もできておりませんので……」
嘘だ。
心の中では、今すぐこの高潔な男性を連れて帰り、あの破廉恥な二人を引きずり出したいと熱望している。
そんな私の剥き出しの本心を見透かしたように、ジェイド様はテーブルを思い切りバンッと叩き、身を乗り出した。
「お願いします、今すぐお邪魔させてください……!」
その瞳には、私の中に渦巻くものと同じ
静かな、けれど決して消えることのない激しい怒りの炎が宿っていた。
「……わかりました。そこまでおっしゃるのなら、ご案内いたします」
私は今、最高に美しい笑顔を浮かべているはずだ。
この人は、予想外且つ最高の協力者になるかもしれないからだ。
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