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築40年のアパート、6畳2K。
そこには今、無線機のノイズと男たちの怒号、そして虎屋の羊羹の甘い香りが充満していた。
家の中を3つに分割しての、地獄の事情聴取が始まった。
森「……で? 挨拶に来た天利を、輪島、お前がドスで斬ろうとして、それを娘が蹴り飛ばした……?
どんな三文芝居だ。お前その手首、本当に娘1人にやられたのか?」
輪島「……ああ。不覚を取った。
……森、あまり大きな声を出すな。
手首に響く」
森「情けねえツラしやがって。
この間も悪酔いで通報されたばっかりだろうが!」
鷲尾「……天利組長。あなた、今日の査問会はどうしたんですか?
こんなところで羊羹の箱を抱えて固まってる場合じゃないでしょう」
天利「元々、今日挨拶に行く件は代表と伊佐治組長に許可を取ってあります。
俺が不在でも問題ない手筈で……。
鷲尾さん、この羊羹、本当に美味しいですよ。
一切れどうです?」
鷲尾「……いりません。職務中ですから。
はぁ……あなたの私生活は、仕事より予測不能ですね」
赤岡「……失礼ですが、本当にお嬢さんの自衛のための蹴りなんですね?
男性が大勢いて怖かったでしょう。
無理に隠さなくてもいいんですよ?」
シズカ「ええ、本当に。父が少々血の気が多いものですから……。
天利さんは、ただ羊羹を持ってご挨拶に来てくださっただけなんですの。
……赤岡さん、おひとついかが?」
シズ母「そうですよ。この子、バレエで下半身だけは無駄に鍛えられてますから。
ねぇ刑事さん、お茶のおかわりは?」
赤岡「あ、ありがとうございます……ってお気持ちだけ頂きます!」
赤岡「(この親子、空気に飲まれないな……)」
30分後……。
ようやく「極道者の家庭内トラブル」という、警察にとっては極めて頭の痛い結論に達した。
シズちゃんの蹴りは、刃物を持った輪島組長に対する正当防衛。
ドスの件は「手入れ中にうっかり鞘から抜けた」という苦しい言い訳を、シズちゃんの優雅な微笑みが押し通した形だ。
森刑事「……分かった。とりあえず解散だ! 」
刑事たちが撤収しようと腰を上げた、その時。
鷲尾刑事「……森さん。
少し、表が騒がしくないですか?」
鷲尾刑事の言葉に、一同が窓の外を見下ろす。
そこには、パトカーの列を囲むように、さらに数台の黒塗りの車が急停車していた。
天利「え……?
あれ、ウチの車……!?」
一同「「えっ!?」」
門田「おぅごらポリ公ーーー!!
うちの親父に何しやがんだ!!!」
天利「……門田」
シズカ「え?大人版マサオくん?」
天利「違う違う。うちの組員。
……おい門田、帰れ!」
森刑事「天利!!どこから情報が漏れた!?
また公務執行妨害で引っ張られたいのか!」
天利「またって何?
知らないよ!」
廊下では鉢合わせた御焼組組員と警察が睨み合い、怒号が飛び交う。
輪島「アイツの猪突猛進なとこは、かわんねぇな……」
天利「お恥ずかしい限りで……」
シズカ「……羊羹とお茶足りるかしら?」
シズ母「その前に湯のみが足りないよ。あとで門田さんにも一切れ包んであげなさい」
輪島「……もう、どうにでもなれ」
その喧騒を遠くに聞きながら、201号室では、折れた手首を冷やす輪島組長と、正座を解かない俺、そして楽しそうに羊羹を切り分ける蓼原母娘の姿があった。
天利「(……挨拶回りどころか、これ……明日の朝刊の社会面に載るな)」
俺は、シズちゃんが淹れてくれた何杯目かわからない渋い茶を飲み、ようやく胃薬の効果が出てきたのを感じた。
暴力、愛、家族の情愛、そして国家権力。
すべてを飲み込んだ虎屋の羊羹は、驚くほど甘く、そしてほんのりと血の味がした。
天利「(……シズちゃん。やっぱり、君が1番強いよ)」
地獄の日曜日は、カオスの余韻を残したまま、夕暮れの赤坂へと溶けていくのだった。
輪島「……天利さん。
シズカを……よろしく頼む」
天利「……はい」
─── ───
翌日、俺と輪島組長は、状況説明と謝罪のために大判組本家を訪れていた。
俺の胃は昨日の羊羹と大量の胃薬でボロボロだが、隣の輪島組長はもっと悲惨だ。
手首をギプスで固め、首から吊ったその姿は、昨日までの「強面な舎輪組組長」の面影はどこにもない。
借りてきた猫のように小さくなっている。
本家の組長室。大判代表は、俺たちが報告した事の顛末を聞くなり、椅子から転げ落ちんばかりに爆笑した。
代表「輪島、おめぇ娘に手首折られたんか?!!
しかも天利、警察に囲まれながら羊羹食ってたって?
こりゃあ傑作だ、ここ数年で一番笑ったわ!」
輪島「……面目次第もございません。
不覚を取りました」
天利「……お騒がせして、申し訳ありません」
代表「いい、いい!
堅気の娘さん1人に、大判組の看板背負った組長が2人して形無しだってんだからな。
……で、その娘さん、今は?」
天利「……はい。
昨夜は『お騒がせして申し訳ありませんでしたわ。
お父様、お大事に』と優雅に微笑んで、実家アパートに……」
輪島「……あの笑顔が1番怖ぇんだよ……。
あいつ、俺を蹴り飛ばした直後に『お茶のおかわりはいかが?』だぞ?
鬼かよ……」
輪島組長がギプスで固めた手首をさすりながら、遠い目をして呟く。
代表「がはは!
そりゃあ将来が楽しみだ。
天利、お前さんも大変な女を捕まえたな。
……だが、筋を通しに行って返り討ち、おまけに警察まで引き連れて羊羹パーティーとは。
大判組の歴史に刻まれる珍事だぜ」
代表は、ひとしきり笑い転げた後、ふと表情を和らげ、俺たちを見据えた。
代表「……まぁ、笑い話で済んで良かった。
輪島、お前も娘が可愛くてドス抜いたんだろうが、これからはその『義理の息子』と仲良くやれ。
天利、お前もだ。相手の親父が同じ代紋背負ってる身内だって分かった以上、これまで以上に身を律しろよ。
……いいか、身内同士の揉め事は1番高くつくんだからな」
天利・輪島「「……承知いたしました」」
俺たちは再び深く頭を下げた。
代表の言葉は温かいが、その奥にある「身内として恥をさらすな」という無言の圧力に、背筋が伸びる思いだった。
帰りの車を待つ間。
輪島組長が、隣でぼそりと声を漏らした。
輪島「……天利。……昨日の、シズカのあの足癖。
……あれ、どっかで習ってるのか?
俺の知る限り、護身術とか武道とか習ってねぇはずなんだが……」
天利「俺も、聞いた事ないですね……。
……クラシックバレエは今も続けてるとは聞きましたが破壊力があるとは、俺も思いませんでした」
輪島「……そうか。
……あいつ、昔から何事も一生懸命だったからな……」
情けない顔で、けれどどこか誇らしげに目を細める「お義父さん」。
その横顔を見て、俺は昨日の地獄のような時間が、少しずつ現実味を帯びた「家族の記憶」に変わっていくのを感じた。
天利「……お義父さん。
その手首、完治したら……1度、3人で食事でもいかがですか。
今度は、ドスも警察も抜きで」
輪島「……フン。
虎屋の羊羹より美味ぇもん食わせろよ」
輪島組長は照れ隠しに顔を背け、迎えの車に乗り込んでいった。
天利「(……やれやれ。胃薬の次は、強力な湿布薬でも用意しておくか)」
俺は、青く晴れ渡った月曜日の空を見上げ、深くため息をついた。
シズカという「最強のお嬢さん」を隣に置くことの重みと幸せを、噛み締めながら。
地獄の日曜日は、こうしてようやく幕を閉じた……はずだった。