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8
✎ܚ〖 キ ア ラ 〗
シンデレラ
灰は、まだ温かい。
朝、暖炉の前でしゃがみ込み、私はそれに触れた。
指先に残る、淡い熱。
昨夜、火は消したはずだった。
それでも、この灰が冷えることはない。
――この家では、ずっと。
「何をしているの?」
義母の声。
振り向くと、いつもの笑顔があった。
柔らかく、優しく、そしてどこか空虚な笑み。
「……掃除を、しておりました」
私は灰を払い、立ち上がる。
義母は暖炉へ目を向けた。
その刹那、瞳の奥がわずかに沈む。
「そこは、触らないほうがいいわ」
理由は言わない。
けれど私は知っている。
――触れたものは、消える。
少しずつ。
*
この家に来てから、私は名前を呼ばれなくなった。
代わりに与えられた名は、「灰かぶり」。
最初はただの悪口だと思っていた。
けれど違う。
本当に灰がつくのだ。
どれだけ洗っても落ちない灰が。
手にも、髪にも、
そして時々、喉の奥にまで。
*
舞踏会の知らせが届いた日、家の空気は変わった。
義姉たちは笑い、ドレスを広げる。
光沢のある布が、やけに重たく見えた。
「あなたは留守番よ」
当然のように言われ、私は頷く。
それが、私の役目だった。
そのとき、気づく。
床に並べられた靴の中に、
一つだけ異様に透き通ったものがあった。
硝子の靴。
まだ誰も履いていないのに、内側が曇っている。
まるで、長く履かれていたかのように。
「それ……」
口に出しかけて、やめた。
義姉の一人がそれを手に取り、笑う。
「これ、王子様が用意してくださったんですって」
軽く足を入れる。
その瞬間――
ほんのわずかに、苦痛の表情がよぎった。
けれどすぐに笑顔へ戻る。
「ぴったり」
そう言って。
――床に落ちたのは、細い灰だった。
*
夜。
家には、私一人。
暖炉の前に座る。
ぱち、ぱち、と音がする。
火はない。
それでも、何かが燃えている。
私は灰に手を差し入れる。
沈む。
柔らかく、深く、引き込まれるように。
そして触れる。
硬いもの。
引き上げると、それは――硝子だった。
靴の破片。
透明なはずなのに、内側が黒く濁っている。
その奥に、何かが見えた。
指。
細く焦げた指が、硝子の中に閉じ込められている。
思わず落とす。
ぱきん、と乾いた音。
破片は灰の中へ沈んでいく。
その瞬間、暖炉の奥が緋色に染まった。
*
「遅くなったわね」
扉の音。
義母と義姉たちが帰ってくる。
笑い声。
けれど、どこか欠けている。
一人、足りない。
私は数えないようにした。
「舞踏会はどうでしたか」
そう尋ねると、義母は微笑む。
「とても楽しかったわ」
その言葉の裏で、ぱち、と音がした。
暖炉から。
「ねえ」
義姉の一人が、ふいに呟く。
「硝子の靴って、不思議よね」
ゆっくりと足を持ち上げる。
確かに、靴はある。
けれど――
内側で、何かが動いた。
「脱げないの」
震えながら笑う。
「ぴったりすぎて」
*
その夜、音は止まらなかった。
ぱち、ぱち、ぱち、と。
私は再び暖炉を覗き込む。
灰の中に、無数の破片。
硝子の靴。
そのすべてに、何かが閉じ込められている。
指。
足。
かすかに開いた口。
――声にならないもの。
そのとき、理解した。
あの靴は、選ぶためのものではない。
逃がさないためのものだ。
舞踏会で、“選ばれた者”を。
*
背後で、足音。
「見てしまったのね」
義母の声。
振り返れない。
足元の灰が絡みつく。
「大丈夫よ」
耳元で囁かれる。
「あなたにも、用意してあるから」
差し出される。
透明で、美しい硝子の靴。
歪んだ光を宿し、内側で何かがわずかに動く。
「王子様は、必ず見つけてくださるわ」
優しい声。
「逃げられないもの」
足に、冷たい感触。
はめられる。
その瞬間――
ぱきん、と音がした。
痛みはない。
ただ、動かせない。
中で何かが、固定されていく。
「ほら」
義母が微笑む。
「ぴったりでしょう?」
*
次の日。
城から使者が来た。
硝子の靴に合う者を探しているという。
一人ずつ試される。
私は最後だった。
すでに靴は履いているのに。
「では、確認を」
靴を脱ごうとする。
――脱げない。
少しも動かない。
代わりに、中から音がする。
ぱき、と。
何かがひび割れるような音。
「……結構です」
使者は静かに言った。
「もう、見つかっていますから」
顔を上げる。
その目は、靴ではなく――暖炉を見ていた。
*
その日から、灰はさらに増えた。
そして時折、誰もいないはずの部屋で足音がする。
硬く、乾いた音。
硝子が床を叩く音。
振り向いても、誰もいない。
けれど。
暖炉の奥で、ぱち、と音がするたびに。
確かに増えていく。
――“選ばれた者”が。
今回もチャッピーに誤字などを修整してもらっています
過去作も読んでいただけると嬉しいです
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