白紙だ。白紙が多い。書き始めた頃は五冊目に入ったことを喜んでいそうな雰囲気だったのに、こんなに白紙を残したまま死んだのか。
その時、紙面にだんだんシミが広がっていっているのを見た。
「あれ、なんかこれ、シミ……?」
「少し前のページから染みたみたいだね。──墨とは違うようだ」
そう言って賢人さんは、なにかを覚悟するように細く深く息を吸い込んだ。
めくる。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
「うわ……!!」
読めないはずなのに、読めた。
いや、これは優斗も読めたらしい。喉を甲高く鳴らして、ノートを体から遠ざけた。
小さく、大きく、丁寧に、書き殴るように、ひっそり、荒々しく。
いろんな感情を込めた、同じ言葉でページが埋まっていた。
「なんで、こんな」
これが書かれているのは五冊目の真ん中あたりだ。紙そのものが分厚めで、一ページに二日分ずつ書いたとしても、使い始めてからあまり日数は経っていない。
「……なんでこんなに汚れてるんだろう。最初はあんなにキレイに書かれてたのに」
「言ったろ、墨じゃなさそうだって、恐らく血をなすりつけながら書いたんだろう」
「血!?」
「極度の脱水で、出血しにくい状況だったのかもしれない。たった一文字書くのに、何度も指をこすりつけた痕がある。──もう少し前から読んでみよう。なにが起こったのか、詳細が分かるかもしれない」
十月二十三日
本日より奥座敷の改修が始まった。
この十畳もある奥座敷は、物心ついた頃から私の生きる場所と定められている。庶子である自分が使うには広すぎるこの部屋は、父上からの言いつけで母すら自由な出入りが許されていなかった。
その部屋の最奥、ちょうど二畳ほどを仕切るように、新たに壁を作るという。父上がにこやかになさっていたからには、よほど大事なことなのだろう。
部屋に木材や壁材が持ち込まれ、少々手狭になったが、この部屋以外に私が自由に出入りできる場所は風呂か厠しかない。仕方なく木材に布団を敷き眠るとする。
こんな経験も面白い。
十月二十四日
とんかんと大きな音が鳴り響くのを、私は間近で眺めていた。
壁と言うからには土壁なのだろうと思っていたのだが、どうやら簡易な板壁らしい。
いくつか柱を立て、それを横木で貫いて組み立てるのを見るのは、格子窓から見える世界しか知らぬ私には非常に興味深かった。
そんな私に職人は、興味があるのなら手伝えと言ってきた。遠慮げだったのは、私が父上の子だからか、私が座敷わらしと呼ばれ育ったことを知っているからだろうか。
しかし問題は、私と外を繋ぐ格子窓まで壁向こうになってしまうことだ。明日から厠と風呂でしか外を見ることができない。
十月二十五日
少々困ったことが起きた。
壁を作る職人を手伝う内に、誤って壁の中に閉じ込められてしまった。
扉も作るという話だったが今は工具がないということで、出るのは明日だという。
格子の隙から羽織一枚を差し入れられたあとは窓も板を打たれ、明かり取りの小さな穴だけが開いている。
布団もなく、さすがに冷える。狭い場所で壁に囲まれているため、私自身の体温が籠もるのが救いか。また、愛用の日記と筆入れがこちらに転がっていたのが幸いだった。
普段あまり長々と書く主義ではないが、万が一にも凍え死なぬために長文を自らに課す。
正直言えば、こんな簡易な板壁など蹴破れるかもしれない。しかしそれでは、せっかく職人を雇って壁を築いた父上ががっかりなさるかもしれぬ。明日まで辛抱すればきちんと出してもらえたものをと言われるやもしれぬ。
下働きの母から生まれた私を、本家の子らよりも大事に大事に育ててくださっている父上を消沈させたくない。
明日を待とう。せっかくなら、五十音や漢字の練習など書いて夜を明かそうか。
十月二十六日
職人が来ない。人も来ない。
いや、壁の向こうに誰かがいる気配はあった。しかし声をかけても返事はなく、ただぞりぞりとした音がするのみである。もしや扉を作る準備をしているのではと思ったが、誰だと問うても、早く出してくれと板を叩いてもなにもなかった。
当然、食事もない。排泄すらこの狭い室内で済ませる羽目である。
父上は私がここに閉じ込められているのをご存じだろうか。いや、もちろんご存じのはずだ。普段おわすお部屋がこの奥座敷から少しばかり離れているとは言っても、夜中の静まり返った時間、私の声が聞こえない距離ではない。
せめて励ましていただければ、それだけで力づけられるものを。
もしや職人を急かすために外出なさっているのかもしれない。職人が工具をなくしたため、村外の職人に依頼を出しに行かれたのかもしれぬ。
だとしたら明日、明日には出られるだろう。
今年の冬は暖かく、雪が降る様子もない。これでは冬の作物が葉ばかり育ってしまう。飢饉が村にまで及ばねばいいが。
コメント
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まさかわざとか……? そりゃあ恨みたくもなる……