「身体の痛みは平気でも⋯⋯
心はどうなのかな?
キミのその凍りきった顔みたいに
心もそうなのかい?」
耳元に囁くその声は
微笑むような音色を装っていたが
その実
底冷えするような悪意に満ちていた。
アラインはアリアの金糸のような髪を
無造作に掴み上げた。
柔らかな絹の束が手に絡みつき
そのまま力任せに引き上げる。
無理やり首を仰がされたアリアの視線を
アラインはモニターへと向けさせる。
その瞳が
画面の中央に映る時也の姿を捉えた瞬間──
アラインはさらに顔を寄せた。
唇がアリアの耳朶をかすめる。
「⋯⋯彼にはね、これからする事を
モニターで見せてあげるよ」
低く、喉で笑うような声。
それは不快というよりも
〝穢れ〟の感触を纏っていた。
アリアの内側を
じわじわと汚染していくような声音。
⸻
モニターの中。
時也は椅子に縛られ
幾筋もの筋弛緩剤が
静脈に流し込まれていた。
顔は伏せ、呼吸は浅く
手足はわずかに痙攣している。
まるで心だけが
まだ抗おうとしているかのように。
そこに、男が現れた。
彼は目隠しを剥ぎ取りながら
下卑た目で時也を見下ろし、笑う。
そこに
アラインの声がスピーカーから流される。
「キミには
モニターでアリアの様子が見れるが
アリアにはキミの様子が見えない。
だからこそ、アリアは愛するキミの為に
我々に大人しく従っている」
その言葉に
時也はスピーカーを睨みながら
唇を強く噛み締めた。
「⋯⋯抵抗の仕草ひとつ見せてごらんよ?
ボクはアリアが絶望するまで
痛めつけてしまうかもしれないねぇ。
そうしたら大変だ。
せっかくキミが今まで苦労して
アリアを絶望させないように
不死鳥の力の糧とさせないように
努めてきた時間が──
無駄になるだろうねぇ?」
噛み締めた唇から血が滲み
顎から垂れ落ちる。
それでも彼は、声を漏らさず
ただ苦しげに呼吸を整えていた。
⸻
アリアの首筋に
ぬるりと濡れた感触が這う。
アラインの唇が、彼女の肌に触れながら
ゆっくりと喉元をなぞる。
その行為の意味を、アリアは知っていた。
そして、その意図を──
時也にも見せつけるためだということも。
「ねぇ、アリア?
最愛の妻が、他の男の手で染められる姿を
彼が見たらどうなるんだろうね?」
ぞわりと背を這う悪寒。
それは薬でも痛みでもない──
ただ、穢されたいう感覚。
アラインは
アリアの両手を拘束していた鎖を
大太刀で断ち切った。
がしゃんと音を立て、鉄が地に落ちる。
自由になったはずの手は
薬の影響で力を入れることもできず
アリアの身体はそのまま
床に押し倒された。
反動で薬剤を流し込んでいたチューブが
次々に引き抜かれ
揺れる金属管から血と薬剤を滴らせる。
アラインは片手で両腕を押さえ込み
もう片方の手で
アリアの裂けた衣服をなぞる。
歪んだアースブルーの瞳が
すぐ目の前で煌めいていた。
「⋯⋯あのキミへの
愛の塊のような男のことだ。
再び逢えたところで
今まで通りに過ごせるかなぁ?」
するりと
冷たい指先が衣服の裂け目から潜り込む。
アリアの身体が、わずかに震えた。
それは痛みではない──拒絶反応。
肉体が、頭とは別に、その行為を拒否した。
「彼女に触るなぁああああ!!」
轟く怒声。
モニターから、時也の叫びが響いた。
椅子ごと体を揺らし
筋肉が破れそうなほどに暴れ始める。
パンパンパンッ!
連続する乾いた銃声。
続けざまに放たれた銃弾の音に続き
時也の呻き声が、モニターを通して響く。
「──ぐぅうううっ!」
アリアの目に
モニター越しの時也が撃たれる姿が映る。
右肩、左脇腹、腿──
いずれも急所を避けた部位。
だが
どれも確実に〝痛み〟を与えるための
標的だった。
「キミと違って
まだまだ彼は
痛みをしっかり感じるようだね?
さらに彼にはね
ピアノ線がしっかり身体に巻かれているんだ。
暴れたら、その身をピアノ線が裂き──
抵抗すれば、銃弾の雨に降られる」
アラインの声は楽しげだった。
笑いを噛み殺すように、唇が震えている。
「キミみたいに
死を経験し続けた不死身なら
心は死なないだろうけど⋯⋯
死んだ経験の少ない彼が
死ぬほどの痛みを
その不死の身体に与え続けられたら⋯⋯
心は果たして、無事かな?
廃人の不死⋯⋯さぞ辛いだろうねぇ?」
アリアは何も言わなかった。
ただ──
深紅の双眸を、静かに
そして強く閉ざした。
感情が漏れぬように。
怒りが噴き出さぬように。
そして、何より──
絶望を、不死鳥に与えぬように。
「やめろぉぉおおおお!!」
時也の怒声が
モニター越しに痛々しく響き渡る。
叫びは空間を震わせ
決してアリアには届かない場所で
何度も何度も繰り返された。
「キミも抵抗なんてしないでよね?
さらに愛する夫が苦しむ事になるよ?」
アラインの嗜虐的な囁きが耳元で響くたび
アリアは硬くその瞼を閉ざしていた。
(⋯⋯大丈夫。私は⋯⋯大丈夫だ。
絶望など⋯⋯してはやらぬ)
自らに幾度も言い聞かせる。
だが
時也とは違う体温、アラインの唇の感触
指が肌を這う冷たさ──
そのすべてが
アリアの内側を鋭利に抉っていく。
「──く⋯⋯っ」
どれだけ〝大丈夫〟と心に叫んでも
身体ではなく〝心〟が
意思に反して震える。
自分で自分を支え切れない無力さと
滲む嫌悪。
そのたびに響く、時也の叫び声
暴れる椅子の音、ピアノ線が軋む金属音
銃声──
そして
また齎される痛みと苦しみの呻き声。
(私が愛するのは⋯⋯時也、お前だけだ。
頼む⋯⋯見ないで⋯⋯)
閉ざされた瞳の端から
熱い涙がひと雫こぼれる。
頬を伝い、床に落ちたその滴は
静かに、静かに床の血と混ざり合い
淡紅色に輝く宝石へと姿を変えて転がった。
「⋯⋯あぁ、その顔が見たかった⋯⋯
その方が、キミは美しいよ」
アラインは愉悦に満ちた囁きと共に
まだ癒えきらぬアリアの腹部の傷に
手を這わせた。
鎖から解放された反動で
薬液を送り込んでいたチューブが外れた為
アリアの血流から薬が切れ
分解が始まると同時に
不死鳥の力が
再び傷口に熱を呼び戻していた。
次の瞬間──
アラインの掌が
触れた腹部からじりじりと焼かれる。
「──ぐっ⋯⋯!?」
思わず手を引く。
皮膚が泡立ち、焼け爛れる。
だが、アリアの血が付着した手は
みるみるうちに再生し
元の滑らかな肌へと戻る。
その光景を見て
アラインは甲高く哄笑した。
「あっははははぁ!
血の効果が良くわかったよ!
涙の宝石も!
不死の血も!
取り尽くしてあげるよ!!」
彼は焼かれることも厭わず
再びアリアの身体に手を伸ばす。
傷をこじ開け、血を掻き出し
床に広げられる血の海──
アリアの意識は
戻ってきた痛みに震える。
(⋯⋯この者の怨みは⋯⋯私の業⋯⋯
受け入れるのが⋯⋯宿命)
そう、胸の奥で呟く。
「⋯⋯時也⋯⋯」
薬液が途絶え、再生が始まった肉体は
かつてないほどの痛みを全身に伝えてくる。
だが
今、最も痛むのは〝心〟だった。
アリアは薄く瞳を開き
モニターに映る愛する夫の姿を
必死に見つめる。
時也は
暴れ、 身体をピアノ線で裂かれながらも
叫び続け
また銃弾を浴びても、抵抗し続けていた。
その姿に、また涙がひと粒
アリアの紅い瞳から零れ落ちる。
血の海に触れ、宝石のような輝きで
床に転がった。
その指が、震えながらも
モニターの時也へと手を伸ばそうとした
その瞬間。
──ひらり
アリアの視界の端に
淡い薄紅色の桜の花弁が
静かに、静かに舞い落ちてきた。
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絶望と血の海に沈んでいた彼女の前に、淡い桜吹雪と共に現れた彼。 護りを纏い、優雅に、だが怒気を孕んで立つその姿に、彼女は希望を取り戻す。 すべてを踏みにじった仇に対し、女王は不死鳥の炎で応えた──