テラーノベル
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ハーロルトは久しぶりに日記帳を開いた。インクの滲んだ跡を指でなぞりながら、彼はゆっくりと息を吐く。それから一行だけ、新たに文字を刻んだ。
“昨日、ルーケ家の娘が来た。”
それ以上、言葉は出てこなかった。思考は続いているのに、筆先だけが止まってしまう。まるで、心の奥に閉じ込めた何かが、再び目を覚まそうとしているようだった。
彼はペンを置き、机の上の蝋燭に目をやる。小さな炎が揺れている。その光が、閉ざされた部屋の闇をわずかに押し返していた。
窓の外では、湖面が朝日に照らされ、金色に輝いている。いつもと同じ光景。
何も感じなかった。
ただ、空っぽだった。
そして今も、同じはずだった。
彼は日記帳を閉じ、静かに引き出しへ戻した。その瞬間、扉の向こうからノックの音がする。
「……入れ。」
扉の向こうにいたのはレイラだった。 両手でお盆を持ち、湯気の立つ茶器を載せている。
「失礼いたします。」
「何の用だ。」
ハーロルトの声は冷たい。レイラは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに微笑みを取り戻す。
「お茶をお持ちしました。お口に合うかはわかりませんが……。」
レイラは机の前まで歩み寄り、湯気の立つ茶器をそっと置いた。温かな紅茶がほのかに香る。ハーロルトの手が、わずかに止まった。
「……誰が淹れた。」
「私です。」
短い沈黙。ハーロルトは視線を茶器に落としたまま、動かない。やがて、低い声で言う。
「そこに置いておけ。」
「はい。」
レイラは一歩下がり、姿勢を正した。だが、ハーロルトが手を伸ばす気配はない。湯気だけが、静まり返った空間に消えていく。レイラの胸に、小さな棘のような痛みが走る。疑われているという事実は、予想していたはずなのに。実際にその距離を突きつけられると、思いのほか堪えた。
「……失礼いたしました。」
それだけ告げ、レイラは一礼した。部屋を出ようとしたとき、ふと背後から声が届く。
「私に取り入ろうとしても意味はないぞ。」
レイラは立ち止まり、扉の前で振り返る。光が差し込み、横顔を淡く照らしていた。
「私はレイラ嬢に興味はないし、生きていようが死んでいようが関係ない。」
「……。そうですか。」
それだけ言うと、レイラは部屋を出る
ほんの一瞬、ハーロルトの瞳が揺れた。その奥で何かを押し殺すように、目を伏せる。
「……何をしている、私は。」
呟いた声は、すぐに闇に溶けた。彼はカーテンを閉め、机に戻る。だが、再び日記帳を開くことはなかった。インクと紅茶の匂いだけが部屋に残り、やがてそれも消えた。
コメント
5件
相変わらず凄い表現力 大好きです これから二人の距離がだんだん縮まっていくんですよね分かります そして私達読者はそれを見て「最初はあんな感じだったのにねえ…」ってしんみりするんですよね分かります!!
レイラとハーロルトの関係をもっと知りたくなりますねぇ… ハーロルトさん、そのお茶飲まないなら、私が貰いますね!ズゾゾゾゾゾ
火曜日と木曜日に投稿するとお伝えしたのですが、カレンダーを見返したら月曜日と木曜日の予定になっていました ということで、月曜日と木曜日投稿です!!!