コメント
1件
本読みが始まると、会議室は一瞬で映画の世界へと変わった。
物語の主人公は、すれ違いながらも惹かれ合う男女。
ヒロインを演じる私は、涼太が演じる男性と恋に落ちる役だった。
——フィクションのはずなのに、胸が苦しい。
台本をめくる手が、わずかに震えるのがわかった。
「……どうした?」
隣から、小さく涼太の声が聞こえた。
顔を上げると、涼太の瞳がじっと私を見つめていた。
「……なんでもない。大丈夫」
動揺を悟られたくなくて、私はすぐに視線を落とした。
「お互い、自然体で演じてくれればいいから」
監督の声が響く。
自然体。そんなの、一番難しい。
別れてから、ずっと意識しないようにしてきたのに。
こうして並んで座るだけで、過去の記憶が頭をよぎる。
「じゃあ、主人公同士の初対面のシーンからいこうか」
促され、私は台本を握りしめた。
——演技だから。これは仕事。
自分に言い聞かせて、目の前の涼太を見た。
涼太は静かに台本をめくり、口を開いた。
「……久しぶりだね」
まるで、本当に私たちのことを言われたような気がして、心臓が跳ねた。
涼太の声は低く、優しく、あの頃のままだった。
その響きが、胸の奥に触れてしまう。
私は必死に平静を装いながら、台本のセリフをなぞる。
「……ええ、久しぶり」
目を合わせると、涼太はわずかに口角を上げた。
それが、涼太の役の演技なのか、それとも
——本心なのか。
どちらかわからないのが、余計につらかった。
***
その日の本読みが終わったあと、私はすぐに席を立った。
涼太と話してしまったら、何かが崩れてしまいそうで。
だけど——。
「お疲れ」
廊下に出た瞬間、後ろから涼太に声をかけられた。
思わず足が止まる。
「……お疲れ様」
振り向かないまま、そう返した。
「演技、やりづらかった?」
「え?」
突然の言葉に、驚いて涼太を見た。
「なんか……少し硬かったから」
涼太は、落ち着いた表情で私を見つめていた。
まるで、私の心の中を見透かすような目で。
「……そんなことないよ」
どうにか笑ってみせる。
涼太はしばらく私を見ていたけれど、やがて小さく息をついた。
「そっか。ならいい」
そう言うと、何事もなかったかのように歩いていく。
……私は、まだ彼のことを引きずっているのかもしれない。
でも、もう戻ることはできない。
だから、これ以上、近づかないようにしなきゃいけないのに——。