本読みが始まると、会議室は一瞬で映画の世界へと変わった。
物語の主人公は、すれ違いながらも惹かれ合う男女。
ヒロインを演じる私は、涼太が演じる男性と恋に落ちる役だった。
——フィクションのはずなのに、胸が苦しい。
台本をめくる手が、わずかに震えるのがわかった。
「……どうした?」
隣から、小さく涼太の声が聞こえた。
顔を上げると、涼太の瞳がじっと私を見つめていた。
「……なんでもない。大丈夫」
動揺を悟られたくなくて、私はすぐに視線を落とした。
「お互い、自然体で演じてくれればいいから」
監督の声が響く。
自然体。そんなの、一番難しい。
別れてから、ずっと意識しないようにしてきたのに。
こうして並んで座るだけで、過去の記憶が頭をよぎる。
「じゃあ、主人公同士の初対面のシーンからいこうか」
促され、私は台本を握りしめた。
——演技だから。これは仕事。
自分に言い聞かせて、目の前の涼太を見た。
涼太は静かに台本をめくり、口を開いた。
「……久しぶりだね」
まるで、本当に私たちのことを言われたような気がして、心臓が跳ねた。
涼太の声は低く、優しく、あの頃のままだった。
その響きが、胸の奥に触れてしまう。
私は必死に平静を装いながら、台本のセリフをなぞる。
「……ええ、久しぶり」
目を合わせると、涼太はわずかに口角を上げた。
それが、涼太の役の演技なのか、それとも
——本心なのか。
どちらかわからないのが、余計につらかった。
***
その日の本読みが終わったあと、私はすぐに席を立った。
涼太と話してしまったら、何かが崩れてしまいそうで。
だけど——。
「お疲れ」
廊下に出た瞬間、後ろから涼太に声をかけられた。
思わず足が止まる。
「……お疲れ様」
振り向かないまま、そう返した。
「演技、やりづらかった?」
「え?」
突然の言葉に、驚いて涼太を見た。
「なんか……少し硬かったから」
涼太は、落ち着いた表情で私を見つめていた。
まるで、私の心の中を見透かすような目で。
「……そんなことないよ」
どうにか笑ってみせる。
涼太はしばらく私を見ていたけれど、やがて小さく息をついた。
「そっか。ならいい」
そう言うと、何事もなかったかのように歩いていく。
……私は、まだ彼のことを引きずっているのかもしれない。
でも、もう戻ることはできない。
だから、これ以上、近づかないようにしなきゃいけないのに——。
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