部屋の中は真っ暗な闇が広がっていた。
広がっていたというのは正確ではない、コユキや善悪が神殿の最奥が広間だろうと先入観を持って想像しているのに過ぎないからである。
実際には闇は通常の闇では無く、空間全体に真っ黒なインクを満たしたのかと錯覚するほどに深く、顔の前に近付けた自分の手指すら見る事が出来ない位であった。
右も左も前も後ろも上も下も何一つ見えない平衡(へいこう)感覚すら狂わせる不自然な闇のどこかから扉の閉まる大きな音、続けてこちらも大きな声が聞こえた、ハミルカルの物だ。
バタンっ!
「イヒィーヒヒヒィー、入った入った入ってしまったなあ、神に唾する愚か者共めが! 偉大なる全能の神、バアル様直々(じきじき)にお与え下さる罰の痛みに、その薄汚い身体を歓びで満たすが良い、イィーヒヒヒィ、事もあろうか御兄上神様であるルキフェル様の名を騙る(かたる)とは不敬の極み、判決! 死刑死刑死刑死刑、死ね死ね死ね死ね死ね、イーヒヒヒーィ、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿バァァァーカァ!」
タッタッタッタッタタタタタ――――
ハミルカルの元気な声は話している内に徐々に遠くから発せられている様に聞こえた。
コユキは確信するのである、やはりこの部屋は広いと……
そして同時に再認識した事柄について口に出すのであった。
「なによ、全然風評被害じゃなかったじゃない、狂信者、少なくとも狂っている事は確定ね」
暗闇の中から善悪が答えた。
「でござるなアンにゃろうっ! にしても真っ暗でどこがどこやら、手探りで進んでみようか? どうする、コユキちゃん、アスタ?」
思わず昔の呼び方が出てしまう辺り、さしもの善悪であっても多分に不安を感じているのが伝わってくる……
「ふっ、任せておけ善悪、ほれっ!」
「「お!」」
アスタロトの自信に溢れた声と同時に真っ黒な空間に炎が出現する。
あの位置は多分胸位の高さに持ち上げられた掌(てのひら)辺りだろうと想像できた。
そう、炎は見えるのだ、炎は……
ただし、明るく燃え上がった暖色の光はその場に留まるのみで周囲を照らすことは無く、闇の中でメラメラしているだけだったのである。
コユキのガッカリとした声が聞こえる。
「なんだ、駄目じゃないの、この部屋ってどうなってるのよ、もうっ!」
イライラしているらしい、おやつがチョコレートだけでは足りなかったのであろう、十四枚も食べたのだが……
すかさず慰めるような善悪のフォローが入る。
「でも、この炎、アスタから離れない様に移動すれば、バラバラに分散させられる事は無いでござろう? 一歩前進でござるよ♪ ね、アスタ、先頭任せたっ! でござる」
アスタロトが納得した様子で返す。
「なるほどな、んじゃ皆遅れないようにな、といってもまあ、我も手探りで行くからゆっくりしか動けないけどな………………………… なあ? 行っても良いのか?」
「え、うん、良いでござるよ」
「うん、さっきから頷いてるじゃないの」
だから見えないんだってば…… 声に出さなきゃ……
我慢強いアスタロトは抗議の声も上げずに移動を始めたようであった。
ソロリソロリと足元を確認しているのであろう、ゆっくりではあったが確実に一方向に向けて進んで行くのであった、テキトーに。
闇の中から声が聞こえた。
「イヒヒィっ! のそのそグズ共が動き出したぁー! はてさて何日掛かって辿り着くかなぁ? イヒヒヒーィ!」
ハミルカルだ。
声は右手の方向から聞こえた、それも結構近くだった、と思う。
そう判断したアスタロトは一か八か、素早く声の聞こえた場所へと進む足運びを速める。
ガッ!
「ぐぁっ! ……べ、ベンケイが」
目印の炎が消える。
一切何も見えないがその一言で何が起こったか分かる、脛(すね)を強打したのであろう。
「アスタ! 頑張って! 自分を信じてっ!」
「そうでござるよ、拙者達の唯一の指針、希望の光を灯し続けて欲しいのでござる!」
「わ、我が皆の、希望の光…… 分かったぞ! 皆、ついて来るが良い! この光に!」
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