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#溺愛
桜咲かな
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#溺愛
桜咲かな
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第258話 異世界から来た女性
【異世界・王都東部/旧治療施設・地下研究区画・夕方】
水晶板に映し出された王都外縁の地図を、黒い点が取り囲んでいた。
その中心にあるのは、高瀬直人が保護されている施設。
点は少しずつ位置を変えながら、建物の外周に沿って並び始めている。
「転移反応じゃない」
ノノは画面へ顔を近づけた。
「少なくとも、まだ入口にはなってない」
アデルが尋ねる。
「では何だ」
「場所を測ってる」
ノノの指が地図上を走る。
「一個ずつは小さい。でも、建物を囲むように置いて、内側の反応を比べてる」
「高瀬さんの位置と、ハレルたちの鍵の位置を分けようとしてるんだと思う」
セラが黒い点を見る。
「観測のための杭に近いものです」
「通路を作るのではなく、通路を作る場所を探しているのでしょう」
アデルは左手首の副鍵を外套の下へ隠した。
「ジャバはまだ来ていないということか」
「たぶん」
ノノは答えた。
「でも、これが揃ったら来るかもしれない」
アデルが階段へ向かおうとする。
その前に、ダミエが短く言った。
「待て」
アデルが振り返る。
ダミエは水晶板の黒い点をじっと見ていた。
「同じ間隔じゃない」
ノノも画面を見直す。
「……本当だ」
「施設の北側だけ、点が広い」
ダミエは地図の一角を指した。
「そこに結界がある」
「保護施設の結界?」
「古い。弱い。でも、測る線を曲げてる」
ダミエは結界の話になると、少しだけ言葉が増える。
「黒い点は、内側を直接見ていない」
「外から線を投げて、返ってくる形を読んでる」
「北側の結界を使えば、反応をずらせる」
ノノの表情が明るくなる。
「位置を間違えさせられる?」
「少しだけ」
「長くは無理」
アデルはすぐに判断した。
「ダミエ。ここから結界を繋げられるか」
「遠い」
ダミエは首を小さく振った。
「私一人では、届いても弱い」
「セラの案内線を使ったら?」
ノノが尋ねる。
セラは旧研究区画の奥に残る、エリウスの避難層へ目を向けた。
「可能だと思います」
「この層は、離れた意識を安全な場所へ案内するためのものです」
「結界そのものを運ぶのではなく、ダミエの術が通る道を示すことなら」
ダミエは床に片膝をついた。
「なら、やる」
アデルが言う。
「無理はするな」
ダミエは顔を上げない。
「無理なら、止める」
簡潔な答えだった。
イデールがダミエの隣へしゃがむ。
「倒れる前に止めてね~」
「止める」
「本当に?」
「たぶん」
イデールは困ったように笑った。
「そこは、言い切ってほしかったな」
ダミエは答えず、両手を石床へ置いた。
青白い結界線が広がる。
エリウスが残した避難層が、それに反応した。
《安全》
《遠い声》
《通してよい道》
古い標識が一つずつ光る。
セラが層の前へ立った。
「道を繋ぎます」
ノノは保護施設の通信線を開く。
「ハレル、聞こえる?」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都外縁/保護施設・夕方】
『ハレル、聞こえる?』
イヤーカフからノノの声が響いた。
ハレルたちは、高瀬直人の部屋から廊下へ移動していた。
高瀬は疲労が強いため、寝台で休ませている。
部屋には警備局員が一人残り、サキも扉の近くで様子を見ていた。
ヴェルニは窓から外を見ている。
中庭の石壁。
施設を囲む木々。
日が沈みかけた空。
外見上は何もない。
だが、reが画面の中で落ち着かずに揺れていた。
「聞こえる」
ハレルが答える。
『外の反応は、攻撃じゃなくて測定用みたい』
「俺たちの位置を調べてるのか」
『うん。主鍵と副鍵、それから高瀬さんを分けて見ようとしてる』
リオが右手首を押さえる。
「鍵を使わなくても見つかるのか」
『完全には見つからない』
『だから、周りに点を置いて測ってる』
ヴェルニが窓から離れた。
「だったら、点ごと吹き飛ばすか」
『駄目』
ノノが即座に答えた。
『魔術を当てたら、その反応から位置を計算される』
「何もしない方がいいって?」
『今、ダミエが向こうの線を曲げようとしてる』
ヴェルニは少しだけ眉を上げた。
「ダミエが?」
『うん。だから、ちょっとだけ静かにしてて』
「俺、ずっと静かだろ」
リオが横目で見る。
「さっきから燃やすか吹き飛ばすかしか言ってない」
「まだ実行してない」
「それを静かとは言わない」
ハレルは二人の会話を聞きながら、胸元の主鍵に触れないよう手を下ろした。
今、必要なのは戦うことではない。
相手へ正しい位置を教えないことだった。
ノノが続ける。
『北側の廊下へ移動して』
『そこだけ古い結界が残ってる』
ヴェルニが先に歩き出す。
「俺が見る。ハレルたちは高瀬を連れてこい」
リオが尋ねる。
「動かして大丈夫なのか」
『ゆっくりなら』
『名前の確認はもう終わってるから、今は話しかけすぎないで』
ハレルたちは部屋へ戻った。
高瀬は寝台へ座り、両手で薄い毛布を握っていた。
「どこかへ……行くんですか」
「同じ建物の中です」
ハレルが答える。
「ここにいることを、外から見つけられそうになっています」
高瀬の顔が強張る。
「また、見られる……?」
「大丈夫です」
サキが柔らかく言った。
「見つからない場所へ移るだけです」
高瀬は不安そうにハレルを見る。
「鍵は……」
「今は使いません」
ハレルははっきり答えた。
「あなたを帰す時も、勝手には使わない」
「あなたが帰ると決めて、準備ができてからです」
高瀬は少し迷ってから頷いた。
リオと警備局員が両側から支え、廊下へ出る。
サキのスマホから伸びるreの白い線が、北側の通路を示した。
声はない。
ただ、黒い点から離れるように線を曲げている。
◆ ◆ ◆
【旧治療施設・地下研究区画/同時刻】
ダミエの結界線が、セラの案内層へ入っていく。
直接、王都外縁まで届いているわけではない。
エリウスの層に残された「安全な道」という意味を使い、
保護施設の古い結界へ同じ働きを思い出させている。
ダミエの額に汗が浮かぶ。
イデールが隣から顔を覗き込んだ。
「まだ大丈夫?」
「大丈夫」
「さっきの“たぶん”は?」
「今は、大丈夫」
「じゃあ、信じるね~」
イデールはダミエの背へ手を添えた。
淡い治療光が流れ、結界術で失われていく体温を補う。
「冷たい」
イデールの笑顔が少しだけ消える。
「使いすぎないでね」
「あと少し」
ダミエは短く答えた。
ノノが水晶板を見る。
保護施設を囲む黒い点から、細い線が中心へ伸びる。
だが、線は北側の結界へ触れた瞬間、わずかに曲がった。
高瀬の位置。
ハレルの主鍵。
リオの副鍵。
三つの反応が、別々の場所にあるように表示される。
「曲がった」
ノノが息を吐く。
「Cが位置を間違えてる」
セラが言う。
「長くは保ちません」
「十分」
アデルは通信石を握った。
「私はその間に保護施設へ向かう」
イデールが振り返る。
「一人で先に行くの?」
「護衛を連れていく」
「アデルも、無茶する時はちゃんと言わないからね」
「今回は言っている」
「行く、しか言ってないよ?」
アデルは一瞬だけ言葉に詰まった。
ノノが水晶板を見ながら小さく笑う。
「アデル、それイデールには勝てないよ」
「勝つ必要はない」
アデルは外套を整えた。
「保護施設へ着いたら連絡する」
「うん。気をつけて」
ノノの声から笑いが消え、真剣な調子へ戻る。
アデルは地下研究区画を出ていった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・警察仮設指揮室/夕方】
城ヶ峰の前へ、古い病院記録が表示された。
日下部が全国の身元不明者と、異世界側の行方不明者を照合している途中で見つけたものだった。
「数年前の記録です」
日下部が言った。
「地方の総合病院へ、身元不明の女性が運ばれています」
画面には、病院職員が作成した簡単な記録が残っている。
年齢は二十代後半から三十代前半。
長い栗色の髪。
腹部と左肩に刃物によるものと思われる傷。
発見時、現代の物ではない衣服を身につけていた。
日本語をほとんど理解できず、何度も同じ言葉を繰り返していた。
「記録に残った音声は」
城ヶ峰が聞く。
日下部が再生する。
ノイズの多い短い音声。
女性の弱い声が聞こえる。
『イルダ……』
『治療班……』
『帰らなければ……』
城ヶ峰の表情が変わった。
「異世界側へ送れ」
「すでに送っています」
旧治療施設の水晶板へ、女性の記録が表示される。
ノノが音声を聞き、セラを見る。
セラは首を横へ振った。
「声には覚えがありません」
イデールが画面へ近づいた。
女性が身につけていた衣服の記録。
病院職員が描いた、胸元の金属飾りのスケッチ。
三枚の葉。
その中央に、小さな器。
イデールの目が細くなる。
「これ、王国の治療班章だね」
ノノが尋ねる。
「今のものと同じ?」
「少し古い形」
イデールは自分の外套についた印と見比べた。
「戦地へ出る治療術師が使ってたもの」
「この人、王都の治療班にいた可能性が高いよ」
日下部の声が通信から入る。
『名前に繋がる情報はありますか』
イデールはしばらくスケッチを見た。
「この印だけじゃ、個人までは分からないかな~」
「でも、戦地派遣の記録が残っていれば絞れると思う」
ノノが別の分析官へ声をかける。
「古い治療班の失踪記録、お願い」
「戦争中と、その後五年くらいまで」
「了解しました」
数分後。
一覧の中から、一件が表示された。
《リーネ・アスト》
《王都治療班・第二派遣隊》
《地方戦地から王都へ帰還する途中、消息不明》
失踪時の年齢。
髪の色。
身体の特徴。
左の耳の下にある小さな火傷痕。
現実側の病院記録と一致する。
イデールの表情から、柔らかな笑みが消えた。
「リーネ……」
アデルはすでに出発しているため、その場にはいない。
だがイデールは、その名を知っていた。
ノノが気づく。
「知ってる人?」
「少しだけね」
イデールは静かに答えた。
「私が治療班へ入った頃、何度か教えてくれた人」
「厳しくないのに、みんなちゃんと話を聞く人だった」
「戦地から帰らなかったって聞いてたけど……」
画面には、現実世界の病室で保護された女性の記録が残っている。
「この人が、リーネさん?」
ノノが聞く。
「まだ決められないよ」
イデールはいつもの穏やかな口調へ戻った。
「似ているところが多いだけ」
「ちゃんと確認しないとね」
高瀬直人と同じだった。
持ち物。
身体的特徴。
最後に残した言葉。
それだけで本人と決めることはできない。
日下部が次の記録を開く。
『問題があります』
「何?」
ノノが聞く。
『女性は病院へ運ばれた三日後、姿を消しています』
「自分で出ていったの?」
『防犯記録には残っていません』
『病室の扉を通った映像も、窓から出た形跡もない』
『ただし、消える直前に病院全体で短時間の停電が起きています』
城ヶ峰が低く言う。
『こちらへ転移したあと、もう一度どこかへ移された可能性がある』
ノノは現実側の地図を開いた。
病院。
停電。
消えた異世界の治療術師。
「現実側へ来たことは、ほぼ間違いなさそう」
「でも、今いる場所が分からない」
セラが画面を見る。
「名前が残っているなら、探せる可能性があります」
イデールが小さく頷いた。
「リーネが本当に生きているなら、見つけたいね」
声は穏やかだった。
だが、その目は強かった。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都外縁/保護施設・夜】
高瀬を北側の部屋へ移した直後。
建物の外で、何かが弾けるような音がした。
ヴェルニが窓から確認する。
黒い点が、一つずつ消えていく。
「逃げたか」
リオが首を振った。
「違う」
「位置を測れなかったから、引いただけだ」
ヴェルニは口元を歪める。
「じゃあ、次は直接来るな」
ハレルは高瀬の部屋を見る。
男は疲れ切り、寝台で眠っている。
サキのスマホでは、reがまだ建物の外を示していた。
白い線の先。
遠い木々の向こうで、一瞬だけ大きな影が動く。
人間よりも大きい。
重い足音。
だが、すぐに消えた。
『ハレル』
ノノの声が入る。
『ひとまず、位置の測定は外せた』
『でも、長くここには置けないと思う』
「別の場所へ移す?」
『うん。アデルが向かってる』
『それと、現実側で異世界から来たかもしれない人が見つかった』
リオが振り向く。
「異世界から現実へ?」
『記録だけ。今はもう病院にいない』
『でも、王都の治療術師だった可能性がある』
二つの世界で、人が消えている。
現実から異世界へ。
異世界から現実へ。
そして、一度転移したあと、さらに別の場所へ移された者もいる。
ハレルは言った。
「高瀬さんだけじゃない」
『うん』
ノノが答える。
『たぶん、捜さなきゃいけない人は、思ってたよりずっと多い』
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
Cの画面には、二人の名前が表示されていた。
《高瀬直人》
《リーネ・アスト》
オルガが現実側の病院記録を見る。
「異世界側の失踪者まで照合を始めたか」
白峰律は、停電が起きた夜の記録を拡大した。
病室の扉を通った映像はない。
窓が開けられた形跡もない。
ただ、短い停電のあと、ベッドから女性の姿だけが消えている。
「ここまで辿り着くとはな」
白峰の声に驚きはなかった。
リーネがどのように消えたのか、初めて知った者の反応ではない。
カシウスが尋ねる。
「現在の状態は」
Cが答える。
『保存反応に変化はありません』
『ただし、現実側から名前を観測されました』
オルガの目が細くなる。
「名前が固定されれば、向こうから道を探される」
「まだ名前を見つけただけだ」
カシウスは言った。
「現在位置までは届いていない」
ジャバは、保護施設から離れていく黒い測定点を眺めていた。
「結局、あの男のところには行かなくてよかったのか」
「今はな」
カシウスは高瀬直人の反応を見る。
「奴らは鍵を使わなかった」
「無理に襲えば、本人確認の途中で壊れる」
「もう少し待て」
ジャバが不満そうに鼻を鳴らす。
カシウスは二つの名前を並べた。
現実世界から異世界へ落ちた男。
異世界から現実世界へ落ちた女。
どちらも、世界の間を通過した記録を持っている。
だが、そのうち一人は、すでに彼らの手の届く場所にいた。
「高瀬直人を見失うな」
カシウスは命じた。
「リーネ・アストについても、名前から現在位置へ繋がる線を遮断しろ」
Cの画面に、複数の黒い線が広がり始める。
失踪者を救おうとする者たち。
その失踪者を、すでに利用している者たち。
同じ名前を追っていても、両者が目指す場所は正反対だった。
コメント
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おお、第258話、読み終えたわ。今回も情報の積み上げ方が丁寧で、じわじわくる緊張感がたまらなかった。 特に刺さったのは、イデールがリーネ・アストの名前を聞いたときの一瞬の間。あの「少しだけね」の静かさに、過去の重みが詰まっててグッときた。ダミエの「無理なら、止める」→「たぶん」のやりとりも、彼女らしさ全開で笑った。 二つの世界で人が消えている構図がはっきり見えてきて、次が待ち遠しい🔥